11月10日(金)アクロス福岡シンフォニーホールでの、九州交響楽団第363回定期公演の聴きどころを紹介します。私は九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者ですが、このブログの記事は自由に個人的な視点で書いています。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にあります。(譜例はクリックすると拡大表示されます)

363回定期公演の演目は、徐振民(シュ・ジェンミン)の交響詩「楓橋夜泊」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調、シベリウスの交響曲第2番ニ長調です。指揮は中国出身で、ヨーロッパや東アジアで活躍し、北京の中央音楽院の教授でもある李心草(リ・シンソウ)です。独奏ピアノはミュンヘン国際音楽コンクールの覇者、アメリカ出身のベン・キムです。

徐振民(シュ・ジェンミン)/音詩「楓橋夜泊」

タイトル、初演、徐振民プロフィール

プログラム1曲目は徐振民(シュ・ジュンミン)作曲の交響詩「楓橋夜泊」。スコアなどに書かれたオリジナル・タイトルは「音詩」となっています。中国の知人に訊いたところ、交響詩という語は中国でも日本と同様の意味で一般的に使われているので、作曲者は意図的に「音詩」を使っているはずだということでした。私自身も「音詩」を「交響詩」と区別して使っていますので、ここは「音詩」を使いたいですね。

作曲は1991年に新星日本交響楽団(後に東京フィルハーモニーと統合)の委嘱によってなされ、初演は1991年10月23日、同楽団が主催する「我が隣人たちの音楽」(東京芸術劇場大ホール)において外山雄三指揮で行われました。その後日本では2006年3月14日に大友直人指揮の東京交響楽団にて演奏されています。

作曲者徐振民は1934年山東省煙台(山東半島の北側、黄海に面した大都市)に生まれ、幼少期からピアノやヴァイオリン、音楽理論などの教育を受け、1952年から北京の中央音楽学院作曲科で学びました。57年の卒業直後から南京芸術学院に勤務し、1988年からは母校中央音楽学院の作曲科教授をつとめています。作品は中国の音楽的伝統をドビュッシー風の音感覚で非常に丁寧な筆致で表現したようなものが主流です。台湾でもその作品がよく演奏され、楽譜も出版されているようです。作品の録音はYoutubeやCDのNAXOSレーベルで聴くことが出来ます。

中国の現代音楽事情

最近の中国のクラシック音楽については、国際コンクールに優勝するようなすぐれた若手演奏者を次々と輩出するようになって、その潜在的能力の高さには目を見張らせるものがあります。

創作に関しては旧ソ連と同様に中国共産党の指導に基づいた作曲活動が最近までなされていたようで、社会主義リアリズムに思想の下、いわゆる無調風の現代音楽は許されず、労働者のための音楽として平易な音楽内容のものが中心でした。私のような世代(60歳代後半)は70年代に耳にしたピアノ協奏曲「黄河」が中国の現代音楽として強烈にインプットされています。これは中国の音階を用いてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のスタイルで作曲したようなもので、現代音楽という言葉で我々がイメージするものとはまったく違っていました。なにしろ集団作曲で作られていますので、作家の個性などは問題にもされず、過去のいろいろな音楽の断片が組み合わせれて作られているような感じの音楽です。ピアノ協奏曲「黄河」はYoutubeに様々な録音が挙げられており、ラン・ランやユンディ・リーによる独奏ピアノを加えた演奏でも聴くことができます。

近年は露骨な政治的メッセージが含まれていない限り表現は自由になってきていると聞いています。西欧の最先端の現代音楽に影響を受けた優れた音楽が登場し始めるのも時間の問題です。

いずれにせよ中国から入ってくる現代音楽の情報は未だに少なく、どうしても陳怡(チェン・イ、1953-)や譚盾(タン・ドゥン、1957-)のように欧米在住の作曲家の名前のみが日本ではよく知られることになります。譚盾は特に有名で、その作品を日本でもN響が取り上げたり、サントリー音楽祭で彼の作品のみのコンサートが催されたりしています。またニューヨークのメトロポリタンオペラが彼のオペラ「始皇帝」を上演し、プラシド・ドミンゴが主役始皇帝を歌っていました。

そうした中で本日がすでに日本での三度目の上演になる交響詩「楓(ふう)橋(きょう)夜(や)泊(はく)」の作曲者徐振民の名前は、中国内在住者のみがなし得る中国の情と景の融合を前面に出した管弦楽作品によって徐々に日本においても知られつつあります。

張継「楓橋夜泊」

曲は唐代の詩人張継の七言絶句「楓橋夜泊」からインスピレーションを得てつくられたものです。

  • 月落烏啼霜満天  月落ち 烏啼きて 霜 天に満つ
  • 江楓漁火對愁眠  江楓 漁火 愁眠に対す
  • 姑蘇城外寒山寺  故蘇城外の寒山寺
  • 夜半鐘声到客船  夜半の鐘声 客船 に到る

(1)月が西に傾き夜もふけたころに、カラスが鳴き、辺りには霜の寒気が満ちあふれている。(2)川辺の楓やいさり火が、眠れずにいる私の目に飛び入ってくる。(3)故蘇城の外にある寒山寺からは、(4)夜半を知らせる鐘の音が、この客船にまで聞こえてくる。

官吏登用試験に落第しショックを受けたまま船に乗って地方に赴任する張継が、蘇州あたりで眠れないで(=情)、ふと船外に出たときに目にし、耳にした様子(=景)が描かれています。

音詩「楓橋夜泊」素材

この作品は最初から最後までLentoを中心としたゆったりとした速度で推移します。構成を一言で言えば、そのゆったりした速度の中国風音階による旋律の羅列です。モチーフ操作とか、展開という概念とは異なります。しかし旋律に中国風音階が生のままで使われているところは少なく、巧みに変化音を使用して、その旋律を味わい深いものにしています。

冒頭、フルート独奏によって次のような旋律が出現します(譜例1a)。

(譜例1a)

ロ短調の調号で書かれた旋律ですが多くの変化音が用いられており、調性が曖昧です。また楽節を形成するのに動機・楽句の分かりやすい繰り返しがなく、聴いてすぐに旋律の構造を把握することもできません。しかしこのことがこの旋律の味わい深さをもたらします。この旋律を骨格をみると、じつは動機・楽句の繰り返しが隠れているのです(譜例1b)。

(譜例1b)

なお、この冒頭の旋律を変化音を除いたものが次のようになります。わかりやすいですが、味わいがなくなってしまっています(譜例1c)。

次に経過的楽節をはさんで新たな旋律が現れます(譜例2)。この旋律は対旋律を伴っています。

譜例2

対旋律は中声部と低声部の2種類ありますが、低声部の一部を除いては、いずれも和音の形で現れます。和音は西洋音楽のように3度の積み重ねによるものではなく、4度の積み重ねによるもので、このことが非西洋的な雰囲気を醸成しています。和音の形で現れる対旋律は、和音であることによって旋律線が単声によるものほど明確には聞こえません。

旋律は、多くの場合、直に接続されていきます。が、時折接続を仲介するための楽句(譜例3)があります。これを映画の用語から借用してブリッジ(Bridge)と私は名付けました。曲想の異なる旋律の接続を、まるで場面変換を円滑にするかのような機能を持ちます。

譜例3

曲の開始後、いくつかの旋律が出現して、5分ほど経過した後、金管楽器とピアノと打楽器のタムタムが鐘を音を模した楽句が現れ(譜例4)、それが延々と繰り返されます。詩に描かれた寒山寺の鐘です。

譜例4

この鐘の響きの上に様々な旋律が単声で、または対旋律を伴って複声で現れます。この鐘の響き全体も声部の一つで、拡大された持続音声部です。この鐘の響きは9分30秒あたりの時点で鳴り止みます。

鐘の音が鳴り止んだのを見計らったかのように中国の管楽器、管子(グァンズィ)が登場して新たな旋律を演奏します(譜例5)。中国外ではイングリッシュホルンで代用されるこの楽器は複簧管楽器で、日本でいうところの篳篥です。当然、半音階を演奏するのが得意ではないために変化音のない平明な旋律ですが、これまでが中国風音階があまり出てこなかっただけに、新鮮に感じます。

譜例5

鐘の音と同じ機能としての拡大された持続音として反復音群があります。多くの音が集まって一つの音群を構成し、それが絶えず反復されて音群として持続声群を形成するのです(譜例6)。

譜例6

音詩「楓橋夜泊」構成

すでに述べましたように、この曲はゆったりした速度の中国風音階による旋律の羅列によって構成さています。旋律は中国風音階という共通性があるものの、表面的には異なる旋律です。これらの旋律は単声部のみによる出現と、複声部による出現とがほぼ交互に出てきます。単声部の場合の声部はおおかた1声です。複声部を構成する声部には平行和音を伴う声部があります。平行和音はほとんどが四度和音です。また複声部には拡大された持続音としての反復音群も用いられることもあります。

全体は3つの部分に分けることが出来ます。(0’00”)→ (5’00”) →(9’30”-13’30”)となり、IIでは鐘が延々と繰り返し鳴り響きます。この中の7’40”あたりが音量的クライマックスを形成します。張継の詩との関係で言えば、が1行目と2行目の「月落烏啼霜満天、江楓漁火對愁眠」に相当し、が3行目と4行目の「姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船」に相当し、は詩のあとの「眠れるままにせつない思いで朝を待つ」を表しているように、私は解釈しました。

西条八十「蘇州夜曲」

戦前に李香蘭(山口淑子)が唱って大ヒットした「蘇州夜曲」という歌がありました。今でも石川さゆりや高畑充希(NHK朝のテレビ小説「ごちそうさん」の中の1シーン)などが唱っています。

  • (1)
  • 君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄
  • 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすりなく
  • (2)
  • 花を浮かべて流れる水の 明日の行方は知らねども
  • 今宵映した二人の姿 消えてくれるないつまでも
  • (3)
  • 髪にかざろか口づけしよか 君が手折りし桃の花
  • 涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺
  •         (詞:西条八十 曲:服部良一)

この歌は長谷川一夫と李香蘭の主演の同名映画の劇中歌です。舞台が「楓橋夜泊」と同じ蘇州であり、川(=江、運河)があり、寒山寺の鐘も聞こえてきます。作詞者西条八十は張継の文言を巧みに「蘇州夜曲」の歌詞に流用しています(赤字でその箇所を指摘)。設定も内容もさらにはジャンルも異なりますが、情と景の描写に共通するものを感じます。

ラヴェルMourice Ravel/ピアノ協奏曲ト長調

モーリス・ラヴェル (1875 – 1937年)

ラヴェルはドビュッシー(1862-1916)と同じくフランス印象派の作曲家として位置づけられています。しかしラヴェルの音楽が明快な旋律線を示す点や、古典的均整に裏打ちされた形式、ジャズ的要素の導入などにおいて、ドビュッシーとは相違します。また管弦楽法においてもドビュッシーは自身の音楽世界とそれが一体化しているのに対し、「管弦楽の魔術師」と呼ばれるラヴェルにとって管弦楽法はひとつの独立した技術であり、自作や他の作曲家のピアノ曲などを数多く管弦楽編曲しています。ムソルグスキー「展覧会の絵」などはラヴェルの編曲によってこそ歴史的な名曲になり得ていると言ってよいでしょう。

ピアノ協奏曲ト長調の作曲・初演年

ピアノ協奏曲ト長調は1929〜31年にかけて作曲されました。初演は1932年1月14日、パリにてマルグリット・ロンのピアノ独奏と作曲者の指揮によるラムルー管弦楽団です。

さて、この協奏曲、ラヴェルのもうひとつのピアノ協奏曲である「左手のためのピアノ協奏曲二長調」と同時期に平行して作曲されました。一楽章制の「左手のため」が重々しく劇的な表情が目立つのに対し、このト長調協奏曲はモーツァルトのピアノ協奏曲を理想に掲げたかのようなデヴェルティメント的明朗さと華麗さに満ちた三楽章制の協奏曲です。いわばモーツァルトの現近代化のような趣があります。

第1楽章Allegramente ソナタ形式

第1主題(譜例7a)が明快な旋律線によってまずピッコロに、次いでトランペットによって示されます。ほぼ5音音階(譜例7b)で形成された主題はその簡明さゆえに強烈に印象に残ります。この主題の伴奏は独奏ピアノが担当しますが、ト長調のトニカとドミナントの分散和音に多調的に嬰ヘ長調の分散和音が重なりますので(譜例7c)、単純さを微妙に回避して味わい深い一連の音の流れをつくっています。

譜例7a

譜例7b

譜例7c

第2主題にはジャズから借用したかのような旋律断片(譜例8a, 譜例8b)を管楽器に聴くことができます。変ホ調のクラリネットが特にジャズ性を強調します。

譜例8a

譜例8b

第2楽章Adagio assai 三部形式

曲頭からピアノ独奏によってサラバンド風の主要主題(譜例9a)が示されます。伴奏音型と旋律線がどこかサティの音楽を思い起こさせます。単純な外形にもかかわらずじつに味わい深く感じさせます。味わいの深さは伴奏が8分の6拍子(譜例9b)であることによる旋律部分とのアクセントのズレによるものでしょう。

譜例9a

譜例9b

中間部の主題(譜例10a)は旋律とその伴奏との関係がユニークです。一見、半音関係で音がぶつかって、楽譜を見るとまるで多調のように見えますが、実際に聴くとよく調和しているのです。これは旋律的短音階の上行形と下行形を同時使用がここでなされているからだと思います(譜例10b)。

譜例10a

譜例10b

第3楽章Presto 自由なロンド形式

この楽章は速いテンポのきびきびとした動きの音楽です。冒頭に聴くことが出来る5音からなるリズム音型(譜例11)がこの楽章中に何度も現れ、まるで句読点のように機能して行きます。

譜例11

第1主題は冒頭の句読点の後にすぐ登場する16分音符による無窮動風の楽句が連続します(譜例12a)。旋律線としては譜例12bのように聞こえるのがよいのですが、速すぎてなかなかそのようには捉えられません。この主題はその後の出現において主に伴奏パートとなって出現します。

譜例12a

譜例12b

第2主題は民俗的な舞曲、第3主題は行進曲のように聞こえます。これらは合体して同時に、あるいは継起的に現れたりします。そのために形式的把握はすこし難しいですが、それにはこだわらず、音の魅力的な動きに耳を澄ましましょう。

ジャン・シベリウスJean Sibelius/交響曲第2番 ニ長調 作品43

フィンランドとシベリウス

フィンランドは北ヨーロッパの東側にあります。西の大国スェーデンと東の大国ロシアにはさまれた国です。歴史的にも両国の影響と支配を受けて来ました。19世紀にはロシアに支配下に入り、大公国として自治がある程度認められていたのものの独立国ではありませんでした。ロシア革命と第1次世界大戦の混乱の時に独立しますが、第2次世界大戦時にロシア(ソ連)の脅威にさらされ、枢軸国側につきます。なんとか独立を維持しますが東部のカレリアはロシア(ソ連)領のままになります。カレリアはフィンランドの古層文化や伝説が残っている土地で、シベリウスの若い時の作品にはカレリアの伝説「カレワラ」の基づいたものがあります。

フィンランド人はコーカソイド(白色人種)ですが、フィンランド語はアジア起源の非印欧語ウラル語系統の言語だそうです。歴史的にはスウェーデンの影響が強く、住民の1割弱はスウェーデン系で、じつはシベリウス自身もスウェーデン系の家庭で育ちました。

シベリウスはフィンランド国内で音楽の勉強をし、ベルリンとウィーンでの二年間の留学生活や短期のイタリア滞在を除いて、つねにフィンランドにいて作曲を続けました。19世紀のロマン派盛期の作曲家に引けを取らないほど上演機会が多くあります。辺境ゆえにロマン派音楽が遅れてフィンランドに到達し、シベリウスにおいて花開いたと言うことが出来るでしょう。加えて北欧のきびしい自然を反映したかのような独自の楽想が魅力を添えていいます。

作品としては「フィンランディア」「トゥオネラの白鳥」などの交響詩的作品と、番号付きの7つの交響曲、ヴァイオリン協奏曲などが有名です。

交響曲第2番 ニ長調作品43

交響曲第2番は第1番の3年後の1901年に作曲されたました。第1番も演奏機会の多いすぐれた作品で、北欧的な楽想が盛り込まれていてシベリウス独自の魅力を示す作品です。その面で両曲は相似しています。しかしこの相似こそが第1番から第2番への作曲技法の大きな進歩をはっきりと示すことになります。第2番の主題楽想はより個性化し、展開の仕方は技術的に高度になり、主題間の性格的対比やその配置の仕方などもより巧みになっている。曲は1902年3月8日、ヘルシンキにて作曲者の指揮で初演されました。

4つの楽章からなる伝統的な交響曲のスタイルを保っています。各楽章の内容を大まかに説明しましょう。

  • 第1楽章Allegretto
  • ソナタ形式:木管楽器の軽快な舞曲風の第1主題と北欧の厳しい自然を映し出したような第2主題との対比を中心に構成されている。
  • 第2楽章Tempo Andante, ma rubato
  • 二つの対照的な部分の並置A-B-A-B:ファゴットによるAの主題旋律がじつに味わい深く美しい。
  • 第3楽章Vivacissimo – Lento e suave
  • 二つの対照的な部分の並置A-B-A-B:Aに相当する部分は慌ただしいスケルツォ。中間部Bに現れるオーボエによる美しい旋律は、チャイコフスキーのバレエ曲「白鳥の湖」の有名なオーボエのソロ旋律を思い起こさせる。
  • 第4楽章Allegro moderato
  • ソナタ形式:前の楽章から休みなく連続してはじまり、大地を一歩一歩踏みしめるような感じの主題旋律が登場する。最後はこの主題が北欧の長く厳しい冬から春への移り変わりを賛美するかのように盛り上がって終わる。

シベリウスの魅力 第1楽章を例にとって

しかしその古典的な外観(形式的図式)にもかかわらず、明確なシベリウスの個性が見られます。このことを第1楽章を例にとって説明しましょう。

冒頭、導入主題(譜例13)が現れます。この主題は伴奏音型としても機能します。第1主題及び第2主題の伴奏音型として出てきます。またこの楽章の終結主題としても現れます。同音反復を基にしていますが、存在感のある音楽です。

譜例13

第1主題は木管楽器で明るく舞曲風な装いで登場します。後半では主題の歌謡性が強調されて引き延ばされてホルンで登場します。一つの主題のもつ2面性をストレートに表現します(譜例14)。前半の終わりの音型(ミ ー ファ# ー ミ – レ -ミ)が後半の終わりでは拡大されて出てくることで、表面的には異なる前半と後半の内容的な共通性を強調します。

譜例14

その後に経過的楽想を経て新しい楽想の主題が出現します。第2主題のように思えますが、その後に本格的な第2主題が出現しますので、古典的なソナタ形式における推移のように見えます。ただし推移部のような動機の変奏反復がなく、旋律としてまとまりを見せているので、副次的第1主題としましょう(譜例15)。

譜例15

古典的なソナタ形式では連続して第2主題に突入することが多いのですが、ここでは段落を置いて、第2主題への導入句を用いて第2主題が登場します。この登場の仕方はまるで第2主題の重要性を強調するかのようです。この長い持続音の緊張が極点に達して崩壊するように跳躍下行する第2主題(譜例16)は一度聴いたら忘れられないほど個性的で魅力的です。

譜例16

続いて提示部を閉じるために、別の言い方をすれば展開部を導くための新たな推移的主題が登場します(譜例17)。これは旋律としてのまとまりをなしていませんが反復に耐える展開部的楽句です。

譜例17

展開部の実態例として第1主題の展開例を挙げます。提示部の長調的素材から短調的、場合によっては半音階的素材に変奏され、明るいイメージをまったく消して第1主題が現れます。うっかり聴くと第1主題の関係性にきづかず、まったく新たな主題のように感じてしまいます(譜例18)。

譜例18

その他の展開部の実態例としては前出の譜例15の副次的第1主題が変奏されて登場します(譜例19)。ここでの登場によってこの副次的第1主題が第1主題そのものと動機的に関連しているのことがわかります。

譜例19

以上を整理してシベリウスの特徴と魅力をまとめます。

基礎的な動機の頻繁な出現によって統一性をもたらします。例えば導入主題(譜例13)が第1主題にも第2主題にもその伴奏音型として用いられています。

古典派以来の交響曲の伝統を継いで、限定された素材を変奏して多様な楽句を造形するという方針をとっています。例えば第1主題は(譜例14)は展開部の主要素材(譜例18)になっています。

以上に見たように主題は相互に関係し合っていますが、そられが登場する際には独立してその存在を目立たせるように現れます。だから個々の主題が魅力的に聞こえます。それら多くの魅力的な主題の存在が音楽の表現幅の大きさを感じさせ、多様性をつくりだします。そしてそれが相互に動機のその変奏や変奏反復で関係し合っていることに気付けば、多様性が雑多ではなく、首尾一貫した流れの中の豊かさに感じられるのです。