5月22日予定の九州交響楽団(九響)第385回定期演奏会が新型コロナウィルス禍によって延期になりました。それにつれて定期演奏会の演目に関する講座「目からウロコのクラシック講座」も延期(日時未定)になりました。私はその講座を担当する予定でした。そこで講座で語ろうとしていた内容の中からサッリネン作曲《壁の音楽》に関するものを文章化してここに掲載します。

アウリス サッリネン (Aulis Sallinen、1935- )
壁の音楽 作品7 (Mauermusik Op.7)
作曲 1962年
初演 1964年3月23日、ウルフ・セーダーブロム指揮ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団
楽器編成 フルート2(一つはピッコロ持ち替え)、アルトフルート、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン3、トランペット2、トロンボーン2、チューバ、弦五部
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 サッリネンはフィンランドの現代音楽を代表する作曲家の一人であり、6つのオペラと8つの交響曲を作曲した多作家である。シベリウス音楽院卒業後すぐに同校の作曲教師となり、現在も終身教授として教えているようだ。1935年生まれと言えば、エストニア出身の作曲家ペルト(Arvo Pärt)やドイツの作曲家ラッヘンマン(Helmut Lachenmann)が同年生まれである。先日亡くなったやポーランドの作曲家ペンデレツキ(Krzystof Penderecki)は2歳上になる。
[1] [2]

 「壁の音楽」の壁とは1961年に西ベルリンを取り囲むように東ドイツ政府によって建設された壁(Mauer)のことである。この壁は西ベルリンへの市民流出に頭を悩ませていた東ドイツ政府がそれを阻止するために建設したもので、東西ドイツ分断の象徴とされている。 

 壁建設直後、西ベルリンでの職も新居も失うことになった東ベルリンの一青年が東ドイツ政府によって撃たれ死亡する事件が勃発した。言わば難民状態となってしまった青年が壁を乗り越えて西ベルリンへ入ろうとしたところを撃たれたのである。[3]

 この事件に衝撃を受けたサッリネンはすぐさま抗議の意味を込めてその青年への一種の鎮魂曲としてこの曲を作曲した。サッリネンが衝撃を受けたのはサッリネン自身が難民となって生まれ故郷を追われた体験を持っていたからである。彼は現在はロシア領になってしまった東カレリアの出身である。カレリアはシベリウスの作曲上のインスピレーションのもととなった叙事詩カレワラの発祥地であり、フィンランド人の故地とされているところだ。[4]

 「壁の音楽」の音楽様式は1960年初頭の前衛音楽の影響をあきらかに受けている。特にその当時のペンデレツキの音楽の影響が顕著であり、四分音(半音の幅よりも狭い音程)や不確定で非周期的なリズム(拍節に基づかないリズム)などが用いられている。和音はいずれも不協和で、クラスター(四分音や半音を等間隔音程で積み重ねて形成される密集和音)そのものではないがその鳴らされ方はペンデレッキのクラスターと同様に独立した持続和声であり、次への連結という概念を欠いている(和音は次へ進行するのではなく、次の和音に単に出会うのである)。和音としての特徴は、その和音の中の一音を拍節から独立させて自由な非周期的リズムで反復させ、その反復に音楽的表情を付与して主要主題的に扱っている点にある(譜例1)。自由な非周期的リズムは不安を描く。また持続和音の音高変位は意識下に存在する切迫感を感じさせる。

譜例1:曲冒頭から

 曲は基本的にクラスター的持続和声を中心として構成されている。持続和声が出現の度に半音や四分音の音程で音高が変位していくのである。もちろんそれだけでは単調になるので、音楽的性格の違いを示す3種類の素材(=旋律)がある。

 素材Aは十六分音符による素早い動きの音域幅の狭い音型(譜例2)。この音型が反転されたものも素材としては同じ。持続音中心の全体の中では動的で目立つ音型。切迫感は顕在化する。

譜例2:開始後1:53頃の時点

 素材Bは短三和音の分散和音から成る音型(譜例3)で調性的雰囲気を醸し出してこの音楽の中ではその違和感によって目立つ。東西の分断による哀しみを象徴する音型である。

譜例3:開始後2:16頃の時点

 素材Cはまとまりのある旋律主題(譜例4)で曲中に3回は明確に出現する。内奥の哀しみを静かに吐露するかのようである。

譜例4:開始後3:20頃の時点

 形式的には開始部と集結部がほぼ同じ雰囲気で三部形式的な外観を保っている。中間部には上記三種の素材(A.B.C)が出現し、展開される。過剰ではないが,十分な盛り上がりを見せる。その際クラスター的持続和声が単純な持続の外見ではなく、明確なリズム音型として「刻み」を現出させたりする。この箇所ではそこに素材Aが金管楽器によって切迫した感じで絡む。

譜例5:開始後5’20”頃の時点

 ペンデレッキ的な大げさな音楽的身振りを拒否した繊細な表情を持つ佳品で、スケールが大きくはないが、味わい深い。