10月11日(金)19:00からのアクロス福岡シンフォニーホールでの九州交響楽団第378回定期演奏会「ベルリオーズ没後150年」の聴きどころを紹介する。私は九響定期公演プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者の一人であり、本稿はその講座(2019年9月24日)の内容を自由に個人的に「評論」の一種として書き直したもの。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にある。

なお、本文中の譜例はクリックすれば別ページで拡大表示される。また参考音源としてはYoutubeのURLを示し、該当演奏箇所を秒数で示している。

第378回定期演奏会の演目は次の通り。
 ジョセッペ・ベルディ/歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲
 フレデリック・ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
 エクトル・ベルリオーズ/交響曲「イタリアのハロルド」

 指揮は広上淳一、
 ショパンのピアノ協奏曲における独奏はジャン・チャクムル、
 ベルリオーズの「イタリアのハロルド」におけるヴィオラ独奏は豊島泰嗣。

講座は「ロマン派いろいろ〜自意識を素材に〜」と題して4つの項目にわけて行った。

1. ロマン派いろいろ〜自意識を素材に〜
2. ベルディの序曲:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」
3. まさにピアノの詩人:ショパン「ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11」
4. 偏りが特異な才能を開花:ベルリオーズ「イタリアのハロルド」

1. ロマン派いろいろ〜自意識を素材に〜

この定期で上演される音楽はいずれも19世紀初頭生まれの作曲家によってつくられた。ベルリオーズ(1803-1869、フランス)、ショパン(1810-1849、ポーランド)、ベルディ(1813-1901、イタリア)はいずれも19世紀前半に作曲活動を展開していた人たちである(ただしベルディのみは19世紀後半にも作曲活動を展開)。一括りに彼らはロマン派の作曲家、彼らの作曲したものはロマン派の音楽と呼ばれる。

ロマン派の音楽とは何か。それをごく簡単に言えば、その前の古典派の音楽との対比で次のように捉えることができる。

古典派にあっては、
音楽を構成することが第一義であり、形式に則って音楽がつくられ、そのために外的秩序が優先される。ちなみに古典派の音楽とはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(特にその前半)に代表される主に18世紀後半につくられた音楽のことである。

一方、ロマン派にあっては、
感情を表現することが第一義であり、形式から逸脱することを厭わず、内的な思い(自意識)が外的な秩序を上回ることがある。

以上はごく簡単な分類であり、音楽学・美学の専門的見地からはこのように簡単に言えないことは当然である。が、いずれにせよ古典派に較べてロマン派では表現における「自意識」の要素が拡大していることは事実であり、自意識が作曲のどの部分に関わっているかを想像することもロマン派の音楽を理解する上においても無駄ではない。なお古典派もロマン派もともに調性音楽である。

2. ベルディの序曲:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」

作曲:1854年 
初演:1855年6月13日、パリ・オペラ座
編成:フルート、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、コルネット2、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、大太鼓、弦5部

2.1.ベルディの人生
ジョセッペ・ベルディ(Giuseppe Verdi, 1813-1901)は音楽史上もっとも成功したオペラ作曲家の一人であり、オペラ史にその名前が燦然と輝く存在であり、今なお世界中の劇場で彼のオペラが上演されている。生涯に30近くのオペラを作曲した。

ベルディは貧しい育ちである。出身地は北イタリアのパルマ近郊の村。その地の篤志家の援助で音楽の勉強を始め、苦労しながらオペラ作曲家として揺るぎのない地位を得た。貧しい育ちだったこともあるのか蓄財に熱心で、著作権の管理も自ら意欲的に行い、作曲家としての仕事ばかりでなく農場経営にも手を拡げて財を得た。

彼の偉大なところはそうした蓄財を社会に還元したことである。晩年にリタイヤした音楽家のための老人ホーム「Casa di Riposo per Musicisti(音楽家のための憩いの家)」(図1)を私財によって設立運営したのである。自身のこれまでの活動を支えてくれたオペラ関係者への感謝の気持ちの表れである。この老人ホームは現在も運営されている。

図1:Casa di Riposo per Musicisti

話は横道に逸れるが日本の著名な脚本家倉本聰は最近のテレビ朝日の連続ドラマ「やすらぎの郷」(2017年)において「Casa di Riposo per Musicisti」に想を得たテレビ関係者の「老人ホーム・やすらぎの郷」を舞台に設定している。そこでは倉本聰自身をモデルにした元テレビ脚本家が主人公。老テレビ俳優・老テレビマンたちが過ごす老人ホームで起こるさまざまな事件を巧みに描いて「老い」を見つめ、それらを通して先の大戦を見つめ直したりしている。2017年の好評をもとに現在「やすらぎの時、道」(図2)が続編として放送されている。人気を得ている。しかしこのドラマがベルディによって設立された「Casa di Riposo per Musicisti」に想を得ていることをどの程度の人が知っているのであろうか。

図2:「やすらぎの刻・道」の情宣ポスター

2.2.歌劇「シチリア島の夕べの祈り」の概要
このオペラの舞台は13世紀末のフランス支配下のシチリア島。フランス支配に対してシチリア人たちの不満がたまっており、シチリア人たちはフランス総督府襲撃を企てる。そうした中、前シチリア王の妹で総督府に幽閉されているエレーナと、シチリア青年アルリーゴは互いに愛し合っている。ところがアルリーゴが実はシチリア人ではなく、フランス総督モンフォンテの息子であるとの秘密が暴かれる。モンフォンテはエレーナとアルリーゴにシチリアを裏切るのであれば二人の結婚を許すという。二人の婚礼を前に「夕べの祈り」の鐘を合図にシチリア人たちの総督府に対する暴動が起こり、フランス人の多くは命を落とし、敗走する。

2.3.前奏曲でなく序曲
じつはヴェルディのオペラに序曲が置かれることはそう多くはない。多くは演奏時間3分以内の前奏曲である。このオペラの直前に作曲された中期の人気歌劇『リゴレット』『イル・トルヴァトゥーレ』『椿姫』においていずれも前奏曲である。それだけにグランドオペラという性格もあって、本格的な序曲が久し振りに作曲できるという状況にベルディも燃えていたのではなかろうか。音楽的にたいへん優れた作品である。劇的な表情に満ちた内容は聴き応えも十分。

(Youtube参考演奏)
G. Verdi I Vespri Siciliani Overture C. Abbado Palermo 01/05/2002

2.4.序曲としての構成
序曲の構成は序奏付きの変形ソナタ形式である。
序奏はゆっくりとした速度。つぶやくような低音声部のリズム音型が特徴的である。次にセレナーデ風の旋律が続く。

主部(ソナタ形式)は、闘いを象徴する激しい表情の第1主題がホ短調で登場する(譜例1)。激烈に盛り上がった後、第2主題がト長調で登場する。
第2主題はなだらかな旋律線(譜例2)の前半と活発な印象を与える後半(譜例3)からなる。前半はエレーナとアルリーゴの愛のやさしさ、後半には浮き浮きした恋の喜びがそれぞれ象徴されている。その後展開部で盛り上がった後に再現部になるが、ここでは第1主題は省略されている。再現部から結尾部へはオペラ本編への期待を高めるかのように盛り上がる。

第1主題(譜例1)は2小節目1拍目と3小節目1泊目のアクセントが強調されている。このアクセントはその場所の同期が前の動機をリズム的に圧縮して繰り返すことでより強調されている。

譜例1(3:15 以降)

第2主題前半(譜例2)は順次進行上行を中心とする楽句と下行を中心とする楽句の組み合わせである。上行→下行の組み合わせの旋律線によって楽節としてのまとまりは明瞭だ。目立たないことだが、順次進行の音程が半音であるか全音であるかによってリズム音型を変えている。

譜例2(4:10 以降)

第2主題後半(譜例3)が前半と対照的な楽想なのも表現の幅の大きさをもたらしている。

譜例3(5:05 以降)

終始、劇的で表情幅の大きな音楽。物語内容への感情移入がそれをもたらしており、その意味においてまさにロマン派的である。

3. まさにピアノの詩人:ショパン「ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11」

作曲:1830年
初演:1830年10月11日,ワルシャワ
編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン1、ティンパニ、独奏ピアノ、弦5部

3.1.ショパンの人生
フデレリック・ショパン(Frederic Chopin, 1819-1849)はポーランドのワルシャワ生まれのピアニスト兼作曲家である。もっともこの当時、作曲家は音楽家としての独立した職業ではなく、演奏家こそが音楽家であり、その演奏家の一部が作曲もするという扱いであった。ベートーヴェンは耳の病によって人生の後半で演奏活動が不可能になったことから作曲のみを行う音楽家になった。しかしこのことが楽器演奏のできない作曲家が現れることを可能にした。ベルリーズであり、ワーグナーであった。ただし両者は楽器演奏そのものをしなかっただけで、指揮活動は熱心だったし、ベルリーズは指揮法の本まで書いている。

ショパンはそうした関係において自分自身の演奏能力をより効果的にアピールするために作曲を行ったと言ってよいであろう。作品数は多いものの、曲種がもっぱらピアノに限られているのはそういうわけだ。

彼は国外での演奏活動を目指して母国ポーランドを離れる直前にピアノと管弦楽のための協奏的作品を集中して作曲し、ワルシャワの聴衆の前で披露した。それらの曲とは「ドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲」(1828)、ポーランドの主題による大幻想曲(1828)、協奏曲第2番(1829)、協奏曲第1番(1830)などである。シューマンの「諸君、脱帽したまえ、これぞ天才だ!」の評は「ドン・ジョヴァンニの主題による変奏曲」に向けられたものだ。

さてポーランドの首都ワルシャワからウィーンへ出たのが1830年。しかしウィーンには結局1年しか滞在せず、1831年にパリに向かった。そしてここを活動の拠点とする。途中、愛人の女流作家ジョルジュ・サンドとスペインのマジョルカ島で同棲生活を送るが、最後はパリに戻り1949年に亡くなる。パリでの活躍の場は主にサロンであり、サロンに集う人士の好みにショパンの音楽が合致したのであろう、実に多くの作品を残した。

3.2.ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11の概要
ピアノ協奏曲第1番は先に述べたように1830年にその後のポーランド外での活躍機会をつくるためのアピールとして作曲。当時の一般的な協奏曲の様式に則り、急−緩−急の3楽章から成る。主題にはポーランドの民族音楽的素材も用いられたおり、一種のエキゾティシズムを“売り”にもしている。またピアノが名人芸の披露のための絶妙の楽器として機能するようにも書いている。装飾音の多用により、ピアノも旋律的表情を豊かにしている。その表情は多くの人が抱くロマン的というイメージに合致するもので、細部が個人的感情表現に満ちている。

3.3.楽器としてのピアノの特徴
西洋音楽の歴史においてピアノは他のクラシックの楽器に比較して機械的であり人工的な楽器である。単に音を鳴らすだけであればこれほど味気のない音の楽器はないであろう。音は打鍵後に減衰し、持続しない。どのように弾こうが音色は変化しない。

しかしこうした短所はショパンのようなピアノ演奏の名手にかかるとたちまち長所に変わる。音は持続できないが、運動性を利用してトリルやトレモロで持続音と同様の効果を得ることが可能。さらには分散和音そのものを装飾音化して持続音効果をより華麗なものにすることができる。それにより旋律をより魅力的に聴かせることもできる。さらに音の強弱変化も打鍵の強さだけでなく和音構成音の多寡や音域においてもじつに細かく設定することができる。そしてピアノはなによりも広い音域を備えている。通常のオーケストラよりも広い音域を持つ。この曲はそうしたピアノの楽器としての聴きどころに満ちている。比較の観点での管弦楽という参照軸を持つが故にそのことを殊更に感じるのである。

(Youtube参考音源)
Chopin Piano Concerto No. 1 Op.11 Evgeny Kissin

第1楽章
ホ短調、3/4、Allegro maestoso、協奏曲風ソナタ形式。
第1主題はホ短調の堂々とした前半(譜例4a)とセンチメンタルな旋律による後半(譜例5)から成る。第2主題はホ長調のなだらかな旋律線による。
第1主題前半は8小節で大きなまとまりを示す。その旋律線は大きな山型を示す(譜例4b)。重要なのはこの主題の中の1・2小節小節の動機(動機α)。特に2小節目の四分音符の3つの反復は耳につく重要な部分動機であり、この楽章中によく出てくる。
第1主題後半(譜例5)は4小節の楽節が音高を変えてほぼそのまま反復される明快な構造である。8小節全体でひとつのまとまりを形成する前半に比べて明確な違いがある。この部分の3小節目3拍目からは低声部に動機αも出現する。

譜例4a(0:05 以降)
譜例4b
譜例5(0:45 以降)

第2主題はホ長調のなだらかな旋律線で大きな山形の旋律線を示す。

第2楽章「ロマンツェ」
ホ長調、4/4拍子、Larghetto、変形ロンド形式
弱音の導入部の後、A主題がピアノ独奏によって現れる(譜例6)。シンプルな構造の主題である。その後B主題がピアノによって出現。その背後をシンプルな旋律で彩るのがファゴットである。低声部を担当するのが一般的なファゴットを旋律楽器(副旋律)と扱うセンスの良さが光る。(譜例7)

譜例6(21:45 以降)
譜例7(23:05 以降)

その次のA主題の再現(譜例8)におけるピアノの扱いが見事である。機械的で人工的な音の旋律を装飾して血の通った情緒満点のじつに美しい音楽に変えていく。例えば一瞬のうちに音をつなぐ音階進行、旋律内のある音を強調するためのアルペジオを伴う和音など。

譜例8(24:50 以降)

第3楽章「ロンド」
ホ長調、2/4拍子、Vivace
弦楽器の全奏ユニゾンによる導入部は意外感に満ちたもの。嬰ハ短調からホ長調に転調してすぐにA主題が現れる。クラコヴィアク(クラコフ風)と呼ばれる民族舞踏による2拍子の軽快な音楽である。B主題は、一六分音符の刻みを取り入れた弦楽器の伴奏音型に乗ってピアノがオクターブのユニゾンで示す素朴な田舎風情緒を湛えた旋律である(譜例9)。一度聴いたら忘れないほどの個性的なもの。この楽章は一度も緩むことなくピアノの運動を伴って明快に終わる。

譜例9(24:50 以降)

4.偏りが特異な才能を開花 :ベルリオーズ「イタリアのハロルド」

作曲:1834年
初演:1834年12月23日、パリ音楽院ホール、ヴィオラ独奏クレティアン・ユラン、指揮ナルシス・ジラール
編成:独奏ヴィオラ、フルート2(1はピッコロ持ち替え)、オーボエ2(1はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット4、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、オフィクレイド(またはチューバ)、ティンパニ、タンブリン2、シンバル、トライアングル、ハープ、弦5部

4.1.ベルリオーズの人生

エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)はフランスのリヨン郊外の町の医師の長男として生まれた。医学を学ぶためにパリに出た。そのパリで音楽に夢中になり、親の強い反対にあったがパリ音楽院の教授について作曲の勉強を始めた。彼は幼児から音楽の勉強をしたわけではなかったので、この時代の作曲家にめずらしくピアノをはじめとして楽器が引けなかった(ギターとフルートは多少できたようだが)。その代わりとして、管弦楽という楽器の複合体を扱う力を身につけたのだろう。

パリでは音楽の勉強ばかりではなく演劇にも興味を持ち、シェイクスピア女優であるハリエット・スミッソンに熱烈な恋をし、それに触発された妄想をもとに代表作「幻想交響曲」を作曲したのは有名な話だ。

ベルリオーズは「幻想交響曲」をはじめてとして生涯に交響曲の名前を持つ作品が4曲ある。「幻想交響曲」(1830)、「イタリアのハロルド」(1834)、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 (1839)、「葬送と勝利の大交響曲」(1840)。

いずれもドイツで発展した絶対音楽としての交響曲ではなく、標題音楽である。つまりは音楽が描写的である。楽器編成も描写の内容に合わせて特異である。また「幻想交響曲」は5楽章制、「イタリアのハロルド」は独奏ヴィオラ付き、「ロメオとジュリエット」は独唱と合唱とレチタティーヴォを伴い、「葬送と勝利の大交響曲」は大編成の軍楽隊と合唱によって野外で演奏されるという具合の、様式も形式も変わっている。

4.2.交響曲「イタリアのハロルド」
「イタリアのハロルド」の作曲は、「幻想交響曲」の初演を聴いて感動したパガニーニが新しく手に入れたヴィオラの名器のための協奏曲の作曲をベルリオーズに依頼したことが契機となっている(近年このエピソードの真実性に疑義が生じている)。ところが強烈な自我を持つベルリオーズが他人の名人芸披露のための協奏曲を作曲できるはずもない。途中に出来具合をチェックに来たパガニーニはあまりのヴィオラ独奏の少なさに不満をもらした。それによってベルリオーズは逆に協奏曲作曲の予定を変え、ヴィオラを主人公に見たたて標題交響曲を作るようにしたのである。

「イタリアのハロルド」はイギリスの詩人バイロンの長編詩「チャイルド・ハロルド」に想を得てベルリオーズがつくった物語である。チャイルド・ハロルドは世界中を旅した実在のイギリス貴族ハロルドの旅行記である。「イタリアのハロルド」はそのハロルドに自分自身をなぞらえ、ローマ賞の褒賞としてローマに滞在したベルリオーズ自身のイタリア旅行記である。そこには妄想が満ちあふれている。

独奏ヴィオラがハロルド を表現する。それゆえにハロルドを表す固定楽想はもっぱらヴィオラに現れる。この曲におけるロマン派的なるものは自身の妄想までを発想に取り入れて作品を作るところにある。

(Youtube参考音源)
Berlioz: Harold en Italie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Antoine Tamestit ∙ Eliahu Inbal

4.3.第1楽章「山におけるハロルド、憂愁、幸福、歓喜の場面」
序奏では苦悩や憂愁の中でのハロルドが固定楽想(譜例10)の移旋形(長調の短調への変奏、譜例11)によって表現される。

譜例10(3:45以降)
譜例11(1:45以降)

主部では多感なハロルドが2つの主題(譜例12、13)によって表現される。

譜例12(7:40以降)
譜例13(9:10以降)

4.4.第2楽章「夕べの祈祷を歌う巡礼の行進」
前の楽章からは一転して平静な音楽。聖歌が弦楽合奏で歌われ(譜例14)、巡礼の歩みが管楽器で表される。独奏ヴィオラはきわめて控えめにしか出てこない。後半は静かなヴィオラのアルペジオが連続する。

譜例14(16:25以降)

4.5.第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人に寄せるセレナード」
通常の交響曲のメヌエットもしくはスケルツォ楽章に相当する。はじめにアブルッチの山中からローマを訪れる牧人たちの吹奏するやや軽快な音楽が現れる(譜例15)。それはそのままイングリッシュ・ホルンによる牧人のセレナーデ(譜例16)に接続する。そこに音価を2倍にした固定楽想が重なり、牧人のセレナードに想いを寄せているハロルドがいることが分かる。

譜例15(24:10以降)
譜例16(24:45以降)

なお、牧人たちが演奏する軽快な音楽は私には非常になつかしい。クラシックを熱心に聴きだした10代の半ば(1965年前後)、この音楽をテーマ音楽にしていたのがNHK・FMの「トスカニーニ・アワー」という番組であった。村田武雄の親しみやすい解説で名指揮者トスカニーニの名盤を紹介してくれる番組で、当時のオープンリール・テープで毎週エアチェック+録音をして、それらを何度も聴き返していた。

4.6.第4楽章「山賊の饗宴、前景の追憶」
冒頭からト短調の激烈な第1主題(譜例17)が何度も出現する。出現するたびにこれまでに登場した主題が挿入される。ベートーヴェンの第9交響曲の終楽章を思わせる手法で、一種の回想効果が演出されている。やがて変ロ長調の派手な身振りの第2主題(譜例18)が現れる。これら二つの主題が混じりあって「山賊の饗宴」は展開され、手に汗を握るような緊張感をもって音楽はまさに「音の饗宴」として盛り上がる。

譜例17(30:50以降)
譜例17(35:05以降)