現代クラシックの演奏家は過去に較べてきびしい状況にさらされている。競争相手が同時代だけではなく、過去の多くの演奏家たちを含むからだ。コンサートでどのように演奏しようが、音盤(CDやLP)の名演奏との聴き較べをされてしまう。さらに、人工的に調整された音量や定位(音源の方向)の音盤に聴きなじんでいると、コンサート会場での音は必ずしも豊かな響きに聴こえないことがある。
ピアニスト河村尚子はそのリサイタル(11月6日、福銀ホール)をJ.S.バッハのコラール(ピアノ編曲)で始めた。ピアノ曲として聴く機会の少ない演目で始めたことによって、過去の名演奏との聴き較べにさらされることなく河村のピアノ世界に没入することができた。鍵盤から柔らかく舞い立ってくるようなきれいな音の中に、音楽の構造が透き通って見えた。それが続くべートーベン《ソナタ第18番変ホ長調》Op.31-3、ブラームス《4つの小品》Op.119にも反映され、巧みに集中聴取にいざなった。
休憩後のショパンも奇を衒わず、手垢にまみれた解釈とも無縁で、美しく音が紡がれていった。《ソナタ第2番ロ短調》Op.35の第3楽章が特に秀逸。河村は葬送行進曲中間部の長調の旋律を聴き手が落涙するほどの哀しみで表現し、続く第4楽章を絶妙の間合いで始めて一気呵成に弾き終わり、この極端に短い楽章が第3楽章のピリオドの機能を果たしていることを如実に示した。
北九州国際音楽祭のプログラムのひとつであるタチアナ・ヴァシリエヴァ&小菅優(11月12日、響ホール)はショパンのみの曲目構成で、前半は小菅のピアノソロ、後半はチェロとの二重奏。冒頭、小菅は技巧と高度な芸術性を要求される《12の練習曲》Op.10を、音盤になじんだ耳に対して挑戦するかのように弾き始め、ショパン演奏に対する自信を披瀝した。《バラード第4番ヘ短調》Op.52では複雑な構造の曲を分かり易く聴かせ、音楽構造把握にも優れた才能を示した。
後半、音盤になじんでしまった耳のせいでヴァシリエヴァのチェロの音色の豊かさに気付くまで時間がかかった。耳の集中はもっぱら小菅のピアノに向かった。《序奏と華麗なポロネーズ》Op3における、特にポロネーズに入ってからの小菅のピアノが素晴らしかった。まさに玉を転がすような高音のパッセージを表情豊かに弾いてのけ、そのパッセージの次の登場が待ち遠しくなる瞬間を何度も現出させた。《チェロ・ソナタト短調》Op.65の始まる頃にはヴァシリエヴァのチェロとの二重奏を愉しめるようになってきたが、ここでも相手を引き立てつつも自身の音楽造形力を主張する小菅のピアノが光った。
今回取り上げたヨーロッパを拠点に活躍する二人の女性ピアニストはともに音盤になじんだ耳をも満足させる優れたもので、今まさに「旬」のピアニストたちである。その「旬」がこれから少しでも長く持続することを心より望む。