かつてLPレコードで音楽を聴いていた時代,LP1枚を購入するとジャケットや差し込みの冊子などから音楽にまつわる情報をたっぷり得ることができた。LPはジャケット・デザインなどを含めて一種の「総合芸術」体験をもたらしてくれた。しかしLPからCDに変わってジャケット等も小型化したことにより音楽にまつわる情報が減った。さらに現在の音楽のネット配信になると音楽にまつわる情報は切り捨てられて「音楽そのもの」だけに接することになる。じつはこのことが音楽産業の低迷と関係しているように思われてならない。
ことは演奏会も同様である。「音楽そのもの」の質の高さだけでなく,演目構成,演奏会名,会場の雰囲気作り,チラシやプログラム冊子のデザイン,特にプログラム冊子の文字情報なども演奏会の重要な構成要素である。
9月23日に聴いた『有馬史ピアノリサイタル,連(つらなるもの)』(旧香港上海銀行長崎支店記念館)はまさに「総合芸術」体験をもたらしてくれた演奏会であった。演目はリュリ,クープラン,ラモーのフランス古典音楽を代表する作曲家の作品と,それらの作品に想を得たドビュッシーやラヴェルのフランス近代の作品と,この演奏会のプロデューサで長崎在住の現代作曲家小畑郁男によるリュリをテーマにした新作とから成り,まさに「つらな」っている。演奏者の身振りや呼吸を身近に感じさせる会場の雰囲気も音楽聴取の集中をもたらしてくれた。小畑の筆によるプログラム冊子の曲目解説は平易に書かれているが専門家にも読み応えがあり,同様に曲間の小畑の語りも抑制の聴いた知的なもので,これも次の曲への期待をかき立てた。
有馬のピアノは衒いのない落ち着いた演奏で好感を持った。小畑の新作《リュリへの注釈》は高度な現代作曲技法を盛り込んでいるが調性的響きが横溢しており親しみやすい。身近なピアニストたちのレパートリーとなるべき秀作である。
10月1日に聴いた西日本オペラ協会によるドニゼッティ作曲『愛の妙薬』(福岡シンフォニーホール)は正真正銘の総合芸術=オペラである。筋書きにそって台詞・舞台の演技・装置・照明があると音楽までがより聴き手に迫ってくる。
岡本泰寛はネモリーノの純情で気の弱い面を強調する好演。ベルコーレを演じた芝山昌宣は声量豊かで,それだけで十分な存在感を発揮した。久世安俊のドゥルカマーラは憎めないペテン師をまさにそのように演じた。アディーナを演じた吉田由季・永渕くにかも熱演。ただし,主人公を演じる歌手が途中で変わってしまうのは何とも残念。松本重孝の演出は合唱団の群衆一人一人の演技にまで神経が行き届いたもので,そのことがこの他愛もない筋書きにリアリティを与えていた。奥村哲也の指揮はメリハリのきいた小気味のよいもので,最初のうち戸惑いがちだった九響も,尻上がりによく鳴るようになった。
とにかくオペラはたのしい,もっと聴きたい。