2010年11月29日アクロス福岡シンフォニーホールでチョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団を聴く。曲目はモーツアルトの最後の三つの交響曲。
第39番は前日遅くに海外から帰ってきた疲れで途中何度か眠ってしまい,勿体ないことをした。
さて,第40番。チョン・ミュンフンがオーケストラ団員に人気のある指揮者であることがよく分かる演奏。冒頭の第1主題の最初の2小節の楽句に楽譜にないようなクレシェンドをつける。これだけで聴き慣れた第1主題がまったく新鮮に魅力的に,かつ演奏がしまってきこえてくる。かなりのクレシェンドなのだかまったく大げさにわざとらしく聴こえてこない。そして第2主題,弦楽器から木管楽器へと旋律の受け渡しがあるが,これが自然な音色変化を伴う一本の旋律としてまとまって聴くことができる。このような演奏ははじめての体験。もうここまでで,完全にチョン・ミュンフンの世界に取り込まれてしまった。つまり聴き手としての集中度が一気にアップしたのである。低音声部の四分音符の単純なリズムでさえ,表情たっぷりに聴こえてくる。
第2楽章も,冒頭の八分音符同音反復の主題がヴィオラ,第2ヴァイオリン,第1ヴァイオリンと受け継がれるように登場していくが,そこのところで既出の声部の旋律線がはっきりと意識して聴くことが出来るように演奏する。通常は新しく演奏し始める声部しか聴くことが出来ない。
第3楽章ではトリオに入ると弦楽器の音がまるでそれまでと異なって聴こえる。単に弱音の演奏指示だけではない。音色に対する感性がすごい。「よい演奏」「正しい演奏」に何かをプラスしている。この何かによって,演奏の完成度が一挙にアップする。
第4楽章はびっくりするような早さで演奏する。しかし,演奏はまったく乱れない。
チョン・ミュンフンの指揮は断片的に取り出すと表現過多と思えるところがかなりあるのだが,全体を通してみるとまったくそのような感じはない。モーツァルトに持つ音楽イメージを損なうことはまったくない。断片的な表情過多は聴き手の耳を研ぎ澄まし,聴き手の集中力を上げてくれる。
第41番「ジュピーター」もまったく同様。
チョン・ミュンフンの指揮でモーツアルトの魅力を再発見。それは彼が演奏を創造行為としてとらえているからだろう。
東京フィルハーモニーのチョン・ミュンフンの指揮にしっかりと応えた熱演・好演であった。