「音楽季報」 中村滋延 
西日本新聞2015年10月15日朝刊文化欄

 上演者と聴衆観客が時空間を共有することで鑑賞が可能になるパフォーミングアーツ(音楽、舞踊、演劇など)の場合、鑑賞機会の多寡は地域性に大きく依存する。鑑賞機会を設定するには一定以上の数の聴衆観客を必要とするからである。したがって首都圏や京阪神以外の地域では鑑賞機会はどうしても少なくなる。やむを得ぬ面があるとは思うものの、不平等を感じる。この不平等の解決に向けて対策がなされてこなかったわけではない。ハコモノ行政と揶揄されながらも、日本中いたるところにパフォーミングアーツ鑑賞可能な施設が建設されてきた。
 しかしハードとしての施設があっても、そこでなにを、いつ、どのようにして上演するかについてのソフトにまで手がまわらず、結局は鑑賞機会が少ないままで推移してきたのが現実だ。このことは聴衆観客の質に影響を与え、そして数に影響を与え、結果としてパフォーミングアーツの質にまで影響を与える。どこかでこの悪循環を断ち切らなくてはならない。
 「直方谷尾美術館室内楽定期演奏会」はそうした悪循環を断ち切る活動の一つである。直方市やその周辺の音楽愛好者が「音楽の喜び」と「演奏会を育てていく機運」を分かち合うための活動を2010年からはじめた。一部の助成金を除くと運営資金の大部分は入場料と賛助金収入による。これまでに21回の定期演奏会を開催した。
 筆者は「クァルテット・エクセルシオ、シリーズ7」(第19回、5月16日)と「九州の音楽家シリーズ5、日高剛ホルン・リサイタル」(第20回、7月12日)を聴いた。エクセルシオは日本では数少ない常設の弦楽四重奏団のひとつであり、多くの受賞歴を持つ。日高は宮崎県出身の元NHK交響楽団ホルン奏者で、現在東京芸大准教授。
 会場は趣ある古い洋館を改造した美術館の中の新館展示室。美術作品が醸し出す芸術的雰囲気の中、演奏者のすぐ間近で、演奏者自身による語りに導かれてそのすぐれた演奏に集中する。聴衆の質が向上しないはずがない。
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 地域に密着しつつ地域外にも発信可能な内容をめざして長崎県オペラ協会が2013年に制作したのがオペラ『いのち』である。指揮者星出豊の台本構成・演出と錦かよ子の作曲によるこのオペラは原爆投下をモチーフにした愛の物語。今年度の新国立劇場地域招聘公演として取り上げられ(7月25・26日)、その後に長崎被爆70周年記念事業として長崎で再演された(9月5日・6日、長崎ブリックホール)。筆者は両方の公演に足を運んだ。
 この種のオペラは題材の扱いによって議論を呼ぶ。曰く「原爆の被害・悲劇はあんなものじゃない」「お涙頂戴じゃ何の訴えにもならない」「原爆を落としたアメリカの責任が無視されている」など。だが音楽の質の高さ、紗幕を巧みに使った舞台美術や照明の迫力、制作サイドの意気込みなどがそうした議論を超越した。長崎の文化資源として、機会あるごとの再演を望みたい。
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 大分では第17回大分県民文化祭開幕行事として首藤康之演出振付のバレエ『ドン・キホーテ』が上演された(9月22日、iichiko総合文化センターグランシアター)。首藤の演出は物語を「一日の出来事」として描き、マイム集団のCAVA(サバ)を起用するなど、劇としての魅力も引き出した。エドツワキのビジュアルも舞台全体の芸術性を高めていた。主役のキトリ/ドゥルシネア姫はオーディションで選ばれた地元の佐藤香名が演じ、溌剌としたバレエで観客を魅了した。地元のバレエ団による群舞もきびしい訓練の跡がうかがえて、実によいまとまりを見せていた。音楽は、この公演のために集められた地元の音楽家や音大生を中心にしたオーケストラが森口真司の指揮の下、“寄せ集めオケ”とは思えぬほどの密度の高い演奏を行った。
 この公演は大分県芸術文化スポーツ振興財団が2年前から地元大分出身の首藤や「おおいた洋舞連盟」などとともに周到に準備し制作したものだ。地元密着によって会場は満員。要所要所で惜しみない拍手を送るなどの客席の積極的な反応が公演自体の質をも押し上げていた。まさに好循環である。地方都市でもすばらしい作品を生み出すことができる可能性を他の地域に対して示したことの価値は大きい。