2010年5月14日,アクロス福岡シンフォニーホールでミシェル・ダルベルトのリサイタルを聴いた。曲目はシューマン《3つの幻想的小品 Op.111》《幻想曲ハ長調 Op.17》とシューベルト《ピアノソナタ第21番変ロ長調 D.960》
もっとも印象深かったのはシューベルトのピアノソナタ。特にその第二楽章。冒頭,内声にある主旋律を,音量的に際立たせるのではなく,見事に浮き彫りにしていき,伴奏音型の反復の中に永遠の広がりを感じさせつつ,静かに盛り上げていく。ヘタに演奏されると反復性ばかりが表面にでて退屈になってしまうのであるが,反復の際のわずかな差異を目立たせ,次への予測を静かに掻き立て,全体のひとつの持続の中にまとめ上げていく演奏である。確かなテクニックと,耳の良さと,音楽に関する豊かな知識・教養がなせる技である。確かなテクニックは,他にも,第四楽章冒頭のG音のフォルテピアノ(打鍵時のフォルテを直後にピアノに減じること)の見事な表現にも表れていた。打鍵楽器のピアノには持続音の音量を変化させることは機能的に不可能なのであるが,どのようなテクニックを用いたのか,見事にそうしていたのである。
シューマンの幻想曲ももちろん素晴らしかった。表現の振幅は非常に大きかったのであるが,一つの時間的持続の中でまとめ上げ,それこそ1週間前に聴いたポゴレリッチの演奏のように音楽を断片化することなく,表現の振幅が統一性の中の多様性として機能していたのである。