基本情報
作曲・初演
尺八のための《MU-GEN》は竹保流尺八奏者酒井松道の委嘱により1981年9月に作曲。同年11月12日にテイジンホール大阪での「酒井松道竹を吹く」にて初演された。同じ演奏会で私の尺八と箏、十七絃のための《EN》も委嘱作品としてあわせて初演された。酒井松道氏はこの演奏会に対し大阪文化祭賞を受賞した。
尺八の種類はA管を想定している。楽譜は実音記譜である。演奏時間は10〜13分。
タイトル
曲のタイトル「MU-GEN」は夢幻であり、無限である。音楽イメージとしては直接的には「夢幻」であるが、無限な尺八の音世界の一瞬をこの曲が切り取ったに過ぎないという内省的な想いをアピールするためには「無限」である。これらの双方の意味があるということで「MU-GEN」とローマ字表記している。
作曲の背景
1960年代半ば頃から日本の作曲家たちは尺八のための音楽を「現代音楽」として積極的につくるようになっていた。その頃に私は作曲家を志したのでNHK・FMでそうした尺八音楽を熱心に聴いていた。
尺八のための現代音楽がつくられるようになったのには3つ理由があったように思う。ひとつは、箏や三絃などとちがって内省的な虚無僧尺八のイメージが、娯楽性とは真逆の現代音楽のイメージに合致していたこと。ふたつ目は、息音やユリなどを用いて雑音をも含む様々な音色を一つの楽器として出し得る尺八は、音色が重要な構成要素となっている現代音楽の表現に適していたこと。そして息と密接に関係している奏法の性格上、拍節に則ることが苦手な尺八の個性が、現代音楽の非拍節性やリズムの不確定性による表現に向いていたことである。
しかしこれらの理由以上に、明治百年を経て、西洋中心の音楽観から脱した日本独自の現代音楽をつくって世界にアピールしたいという思いが日本の作曲家たちに共有されはじめたことも大きい。その意味で、尺八は日本の独自性を示す現代音楽には最適の楽器であるように思われた。そして私もそのように感じていた。
音群的音楽(作曲当時の音楽語法)
「MU-GEN」を作曲していた時期の前後、つまり1970年代後半から1980年代前半、私はいわゆる音群的音楽を主に作曲していた。音群的音楽は音群の状態の変遷を音楽内容とする。それは、旋律や和音、バス、リズムなどの次元で音楽を捉えるのではなく、そういう区別を超えて瞬間瞬間を音響テクスチュアとして捉える音楽である。旋律や和音、バス、リズムの次元で捉えにくくするためには非全音階、非拍節的である方がよい。単音の音楽ではあるが「MU-GEN」は非全音階、非拍節的に音を処理することで音楽を音群の状態の変遷として捉えられるように作曲した。
解説
45の断片
この作品は45の断片から成る。
断片は古典的な音楽の楽節に相当するもので、この曲でも音楽としてのひとつのまとまりを示すいわば最小単位である。個々の断片の時間は大まかにしか記されていない。楽譜に記された各断片の頭の★の数が、★=5秒以内、★★=5秒から10秒、★★★=10秒から15秒、★★★★=15秒から20秒、★★★★★=20秒以上、をそれぞれ示す。ただしこの時間は感覚的なもので、時計等で計る必要はなく、結果としての伸び縮みは問題にならない。
断片間の移行は指定された休止を経てなされるが、これもきわめて感覚的なもので、あくまでも目安に過ぎない。
音高については全音階的な進行を避けている。また、ムラ息やユリ、コロコロ、カラカラ、吹切り、メリ・カリへのポルタメント、メリ・カリからのポルタメント、など音色の多様性に関係する要素を多く使用している。
音価については拍節の存在を意識から消すような記譜法を用いている。音価は断片の水平の長さにおける図形配分から類推される。なお、この作品の記譜法については楽譜に付属している「演奏のための注」(mugen_ex.pdf)を参照してほしい。
7つの部分
45の断片は個々に独立しているが、ある程度のグルーピングがなされる方が演奏もしやすいし、聴きやすい。作曲者としては以下のようなグルーピングを想定している。
- 第1部(第1〜第6断片)
- 第2部(第7〜第12断片)
- 第3部(第13〜第18断片)
- 第4部(第19〜第24断片)
- 第5部(第25〜第30断片)
- 第6部(第31〜第38断片)
- 第7部(第39〜第45断片)
ただしグルーピングは演奏者が自身の解釈で変更することも可能である。
第1部
ある音を核音として、その核音の持続が第1部の特徴である。持続の際にはユリやメリ、カリなどで音高が連続的に変化するが、それを音高の変化として捉えるよりも、ユリを伴う持続、メリに移行する持続、カリに移行する持続というように、持続の質の変化として捉えてほしい。ムライキを伴う音も持続の質の変化である。
核音は第1断片がd1(譜例1)、第2断片がf1、第3断片がes1、第4断片が再びd1である。ここまででは第3断片の変化の度合いがもっとも大きい。
第5断片の核音はaであるが、装飾音や装飾音群が挿入されることで核音の持続という特徴は後退する(譜例2)。(補足注:これまでの上演例を考慮すると、この断片全体が第1部の中の装飾音群的として挿入されていると理解した方がよく、5〜10秒という指定の演奏時間より短くなってもよい。)
第6断片は核音の持続という特徴を一瞬希薄にし、旋律線を提示する。しかしこの断片においても核音の持続という特徴は後半のdes2を核音とする持続に現れている。
第1部では、単発的に出現するアクセント的な強音を除き、終始弱音で演奏される。弱音であることによって持続の質の変化に聴衆の耳を集中させるためである。
第2部
ここでは核音の持続という特徴とは異なる新たな特徴が加わる。その新たな特徴とは「上行進行音符群」「下行進行音符群」及びその両者の組み合わせ(上行下行進行音符群、下行上行進行音符群)である。持続は水平進行であり→の記号で把握する。そうであれば、上行進行音符群は↗であり、下行進行音符群は↘である。第1部では→のみであったのに対し、第2部では↗や↘が加わって変化をつけ、音楽は一気に動的な性格を帯びる。
変化は第1部が弱音のみであったのに対し、この第2部では強音が支配的になったことにも現れている。
各断片ごとに見ていけば、第7断片は↘(譜例3)、第8断片は→(核音は前半のg1、後半のes2の2種類)、第9断片は→、第10断片は→、第11断片は↗(譜例4:断片11)、第12断片は↘↗(譜例5)となる。(補足注:第8・第9・第10の断片以外は、持続性を考慮せずに各音符群が個別にランダムに現れるような感じで演奏してもよい。)
第3部
核音の持続という特徴を示す。ただし持続音そのものはほとんど登場せず、核音は短音(スタッカート)で同音反復されることで核音の持続と同等とみなす。この第3部はスタッカートの効果によって動的な音楽となる。各断片の核音は複数の場合もある。
第13断片前半の核音はa1、後半はd1。第14断片の同音反復に見えないが、核音e2が反復の際に音高が著しくずれているとみなした拡大された同音反復とみなす(譜例6)。第15断片前半の核音はf2、後半はas。第16断片前半はb、後半は核音cの拡大された同音反復。断片17前半の核音はf1、後半の核音はg2。断片18前半の核音はg2、後半の核音はc1である。(補足注:動的な音楽ではあるが、音量指定からも類推できるように劇的な音楽ではない。持続音が細かく動いているだけで、全体の印象としては静的な音楽と理解されてもよい。)
第4部
第4部は核音の持続という特徴が濃厚であり、その意味では第1部の再現である。前打音的装飾音が核音の強調であるように、またユリやポルタメント、同音反復音型などが核音の変奏であるように、さらにオクターブの跳躍は音型というより音色の変化であるかのように演奏されることが望ましい(譜例7)。(補足注:断片がひとつのまとまりある音楽単位を形成するように演奏する。つまり断片を超えて旋律的つながりを聴き手に感じさせないことが望ましい。平たく言えば)
第5部
第5部は各断片前半に前打音的装飾音群があり、後半に核音の持続がある、だたし断片29と断片30は2つでひとつの「前打音的装飾音群(前半)と核音の持続(後半)」という構造をつくる。(譜例8)。
前打音的装飾音群は様々な音高が素早く演奏されることでまさに音群としての性格が強調される。個々の音高を丁寧に追いかけるよりも素早く様々な音高の複数の音を連続的に奏する。(譜例9)
(補足注:前打音的装飾音群(前半)と核音の持続(後半)という構造をそれ自体で独立したものとして捉えてほしいので、断片間の休止を十分にとってほしい。)
第6部
第6部はもっとも動的で、全体のクライマックス的性格を持っている。また断片ごとの特徴はそれぞれに異なっている。断片31は核音の持続、断片32には装飾音群を交えながら上行進行音群↗を形成する。断片33は核音の同音反復(b2)であるが、同音反復は音高のズレをつねに伴い(譜例10)。高音域のフォルティッシモでもっとも劇的な表情を見せる。断片34も前の断片と同様に劇的な表情をもち、核音(b2)が反復される際に上行進行装飾音群をともなう(譜例11:34)。断片38はムライキをともなう激しい表情の下行進行音群↘によってこの部分をしめる。
(補足注:全体を激しいカオス状の音の運動として捉えて演奏してほしい。)
第7部
第7部は核音の持続に終始する。冒頭の再現としての性格を持ち、劇的な表情の第6部をしずめるように作用する。第45断片で尺八の音が永遠の中に消えていくように吹奏する。(補足注:ここまでの部分の余韻と位置づけてこの部分を演奏する。)