基本情報

この曲は1997年11月から98年1月にかけてドイツ南西部の都市カールスルーエにあるZKMで制作した《映像音響詩sabi》の音響パートに手を加え、映像なしの音響のみの作品に改作したものである。

映像音響詩とは映像を構成要素として取り入れた音楽作品のことであり、形態は映像アートである。発想の最初の段階から映像と音響の2つのパートを一体としてとらえ、いわば“同時”に制作編集する。したがって映像と音響を分離して鑑賞することは本意ではない。

ところが《映像音響詩sabi》の制作当時、映像編集と音響編集を別々にせねばならない状況下に置かれた。そこで仕方なく、先に音響パートを完成させ、次に音響パートに合わせて映像パートを制作した。理由は制作開始時期の1997年11月がZKMの新築記念の大イベントMultimediale’97の直後で多くの職員が休暇をとっていたからであった。しかしこのことが音響パートにわずか手を加えれば音響単独作品としての成立し得る可能性を残したのだ。

制作のきっかけ

1997-98年の半年間、京都芸術短期大学・京都造形芸術大学の半年間のサバティカルを取得してドイツに滞在した。最初の2ヶ月はベルリンのゲーテ・インスティテュート、後半4ヶ月はカールスルーエのZKMを滞在基地とした。このドイツ滞在期間、頻繁にオペラ公演に出かけ、私はすっかりオペラファンになった。

そして「ドイツでオペラ盛んなりし頃、それに相当する時代の日本の音楽文化は何か」なんてことを妄想するようになった時、たまたまラジオから義太夫の断片が聞こえてきた。太夫(歌い手であり語り手でもある)一人と三味線一丁で実に豊かな表情と内容をつくることに驚き「オペラに相当するのは義太夫だ」と深く頷き、義太夫のCDを日本から取り寄せて毎日聴くようになった。

その時のCDは『一谷嫩軍記』の中の「熊谷陣屋の段」。有名な演目で、物語構成が秀逸。すぐにこの内容を映像音響詩として表現したいと思った。それも物語を単に描くだけでなく、男声から女声まで、年寄りから少年少女までを、たった一人で演じ分ける義太夫独自の表現の卓越性に焦点をあてようと思った。

こうした思いはドイツにいてヨーロッパと日本の文化の違いに敏感なっていたがゆえの発想である。そこでこの映像音響詩には彼我の文化の違いに翻弄される私自身の心象風景も加味しようと思った。特に滞在時節は冬。当時頻繁に近くの森(有名なシュヴァルツバルトの北端)を散歩しつつ彼我の文化の違いについて思いをめぐらしていたので、冬のドイツの森は当時の私の心象風景の象徴でもあった。

《映像音響詩sabi》から《音響詩「寂(さび)」2018》への改作は今回の演奏会(MTUS-CCMC2018 Kyoto)での上演がきっかけとなってなされた。この演奏会では上映装置が使用できないということで、映像なしの作品を上演せざるを得なかったからだ。が、このことは20年前の自分の作品に関する思いもかけぬ再発見につながった。

内容・構成

私が下宿で義太夫のCDを聴いているところから作品は開始する。作品中に出てくる義太夫の音声はすべて下宿でラジカセから聞こえるものという設定である。したがって音源はラインで録音したものではなく、すべてラジカセからの音をマイクで拾ったものだ。

『一谷嫩軍記』の中の「熊谷陣屋の段」は以下のような内容である。

  1. 源平合戦の時代、場所は義経の家来熊谷次郎直実の陣屋。熊谷は合戦で平家の若大将敦盛を討つ。討った後の熊谷の感慨「熊谷次郎直実、花の盛りの敦盛を討って無情を悟りしか」の台詞で音響詩は始まる。
  2. 義経によるその首実検が行われるが、その折りに熊谷が敦盛を生かし、自分の息子小次郎の首を敦盛の代わりに差し出したことが分かる。敦盛が後白河法皇の胤であることを知る義経からその命を暗示として受けていたのである。暗示は陣屋の制札に書かれていた「一枝(子)を伐(切)らば一指(子)を剪(切)るべし」という文言である。熊谷は無念を押し殺して心の奥底から絞り出すようにこの言葉を口にする。
  3. 首実検の後、「十六年も一昔、あぁ、夢であったなあ」との感慨を残して熊谷は侍を辞め、仏門に入る。

音響詩は3種の状態を移動しながら進行する。その状態とは「物語世界」「現実世界」「幻想世界」である。「物語世界」とは義太夫で演じられている内容をそのまま切り取ったものである。「現実世界」とは物語と接している当時の私を私自身の目でとらえたものである。「幻想世界」とは「物語世界」に触発され,私の現実が幻想に変容した世界の描写である。

全体は以下の12の部分に分かれる。参考までに全体の波形図を添える(クリックすると拡大)。

01/現実世界/00:00

  • 義太夫:台詞「熊谷次郎直実、花の盛りの敦盛を討って無情を悟りしか」
  • 音素材:風

02/物語世界/00:28

  • 義太夫:断片集合
  • 音素材:電子音持続

03/現実世界/01:14

  • 義太夫:電子音重複
  • 音素材:カールスルーエ騒音

04/幻想世界/02:12

  • 義太夫:
  • 音素材:電子音持続重層

05/物語世界/03:05

  • 義太夫:音群集合
  • 音素材:

06/幻想世界/03:19

  • 義太夫:断片集合
  • 音素材:時計秒針音複層

07/幻想世界/04:28

  • 義太夫:変調処理
  • 音素材:鐘+風

08/物語世界/05:38

  • 義太夫:台詞「急ぎその首を実検せん」「やああああ」
  • 音素材:ガラス破裂音、駆け足

09/物語世界/07:01

  • 義太夫:台詞「一枝を伐らば一指を剪るべし」、鳴き声
  • 音素材:水滴、ガラス破裂音

10/物語世界/07:52

  • 義太夫:うめき声(ウフ!)
  • 音素材:焚き火、水滴、木が倒れる音

11/現実世界×物語世界/09:24

  • 義太夫:「十六年も一昔、あぁ、夢であったなあ」
  • 音素材:カールスルーエ騒音、時計秒針

12/現実世界/10:04

  • 義太夫:
  • 音素材:水を流す音、ドアを閉める音

Fine/    /10:26