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《色即是空》ピアノのための即興曲  →楽譜download

Siki-soku-ze-ku Improvisation for Piano

【演奏時間】7〜9分【作曲】1972年【初演】1972年4月4日,名古屋,ミュージカルホール・ジロー,ART SQUARE名古屋公演,初演:栗本洋子【概要】般若心経を心の中で唱え、それで時間を計測し、リズムを決定しつつ音を出していく作品.

作曲の動機

大学3年の授業が終わった年(1972年)の春休みに作曲。授業とは無関係な作曲であった。

授業の自由作曲では十二音技法を用いて作曲していた。十二音技法による音楽は西洋芸術音楽史の必然として出現したと信じていたからであり,調性音楽の次は十二音技法による音楽を学ぶことで作曲技術の鍛錬が可能になると思っていた。ちょうど作曲当時はシーンベルク流の十二音技法からウェーベルンや総音列音楽に私の関心が移り始めていた頃だった。

しかし西洋芸術音楽史の進歩史観にとらわれ、表現と言うよりも技術の鍛錬のような形で作曲をすることにうんざりとすることも多かった。技術にとらわれずに自由に表現したい、新しい音楽表現の形態に挑戦したい、という思いに突き動かされることもあった。時々作曲専攻の仲間と行う自由即興演奏などに「これぞ本当の音楽表現ではないか」と思ったりしていた。

その頃、名古屋に「ジロー」というレストラン・バーのような店が出来て、そこのホールで小さなコンサートがよく催されていた。ホールと言ってもライブハウスのような感じであった。そこで現代音楽を時々演奏するので通っていた。その中でフリージャズのような即興演奏中心の現代音楽(?)に数回触れる機会があった。音楽がその場においてまさにライブで生成されているという雰囲気にとても引かれ、そうした音楽をやってみたいと思うことがあった。

そのジローで演奏会をやろうという友人からの呼びかけに応じて作曲したのがこの曲『色即是空』である。授業の自由作曲の課題とは別に作曲した。だから作曲の授業では指導教員にも見せなかった。作曲技術の鍛錬のためという目的から離れてする作曲は、じつにたのしかった。

初演、その後

初演は1972年4月4日,名古屋市内のミュージカルホール・ジローにて、グループART SQUARE名古屋公演として行われた。作曲科同級生の栗本洋子さんが演奏した。ノリノリの演奏で、普段の現代音楽のコンサートに来る客層とは全然違っていて、会場はたいへんな盛り上がりであった。私自身もたいへんたのしいコンサートだったことを覚えている。

このようなことを続けたかったのだが、その後の卒業制作、大学院進学、留学生試験、留学などのために作曲技術の鍛錬に戻り、この種のことから手を引いてしまった。自分のキャリヤ形成のためにアカデミズムにすぐに戻ってしまったのである。

昨年3月の定年退職以来、自分の過去の作品の整理改訂作業を続けてある中でこの『色即是空』の楽譜を発見した。この曲はこれまで作品リストにも記載していなかった。何となく正規の作品ではないという思いでいたためだ。見直してみると意外と価値ありそうに思えていた。時間を計るのにお経を口の中で唱えるなんて曲はかつてあったのだろうか。

楽譜(記譜法)・奏法

作曲にあたってのねらいは「即興演奏中心の現代音楽」であり、能動的で創造的な即興演奏を誘発するための刺激剤としての楽譜を書くということであった。しかし私の作品としてのアイデンティティを最低限示すものでありたいということで、即興は細部の音高、細部の音価の決定に限定される。

音高はピアノの音域を7つに区切り、個々の音高は図形の垂直位置を目安に即興的に決定する。決定の際の条件は全音階的(調性的)音感を避けるという一点である。(譜例1)

(譜例1)

音価については般若心経の読誦の速度や間(ま)に基づいて即興的に決定される。他にslowly、very slowly、fast、as fast as possible、unperiodicallyなどの語によって補助的に指示される箇所もある。般若心経の読誦はこの曲では一切声には出さない。黙読である。(譜例2)

(譜例2)

なお、この曲には般若心経の黙読による宗教的にメッセージは一切ない。速度や間の決定のために日本で宗派を超えてもっともよく読まれていて、かつ短い経文を選んだに過ぎない。

構 成

作品は9つの断片から成る。音響テクスチャの変遷を内容とする音群的音楽である。9つの断片は、A(第1・2断片)、B(第3・第4断片)、C(第5・第6・第7断片)、D(第8・第9断片)の4つの部分にまとめることができる。この4つ部分は、聴感上での区分が可能である。

部分Aは導入的性格を示し、音が非周期的な間隔で様々な音域に現れて相互に無関係に聞こえ、モチーフとかフレーズなどの次元での把握を要求する音楽とは異なるタイプの音楽であることを端的に示す。低音域のクラスター奏法による強打もこの曲が音群的音楽であることを示す。テンポ感はslowlyとas fast as possibleが混在する。

部分Bは静的な表情に終始する。弱音が中心であり、そのことで個々の音の属性(音強・音色・音高・アタック)に聴き手の関心を引きつける。テンポ感はvery slowlyである。

部分Cは一種のスケルツォである。スタッカートの単音・重音が非周期的な間隔で様々な音域に、様々な音強で現れる。音域は徐々に中音域に収斂する。全体のテンポ感はfastが支配的。

部分Dは曲の最後のクライマックスに向けて運動を徐々に加速させる。クラスター奏法が多用されて動的印象は著しい。曲は、両手の腕を用いたクラスター奏法による重音のffでの周期的反復によって閉じる。(譜例3)

(譜例3)