作曲の契機、曲名の由来
今年に入って3月にヴィオラとピアノのための音詩《Heart and Soul》、4月に左手のためのピアノ曲《修羅の肖像》、そして今月がフルート独奏のための音詩《My Imaginary Life》と、ひと月に1曲のペースで作曲。新型コロナウィルス禍の下で何もしなかったら精神的にやばいことになると思って、器楽奏者が毎日練習するように私も毎日音符を書くようにしている。そのことで精神的均衡が保てている。
私は先日ついに古稀70歳を迎えた。父が70歳で亡くなったことも鑑み、いつどうなってもよいように「終活」を始めている。特に病気を患っているわけではない。しかし「人は確実に死ぬのだ」という思いはこれまでになかったほどの強烈なもので、だから「自分自身の人生をきちんとした形で残しておきたい」という願いを強烈なものにしている。そこでこれまでの自分の人生を振り返り、その諸々を記録として残し、作品については手直しを含めて第三者が検証しやすいように整理して残すようにしている。つまりは終活なのである。
この作業の中で、自分がなした選択に対し、他の可能性はなかったのだろうかという思いにとらわれることが再々ある。なぜあのスタイルと続けなかったのか、なぜあの時に集中して作品を発表しなかったのか、なぜあの時にもう少し海外に留まらなかったのか、なぜあの時にあの仕事を受けなかったのか、なぜあの時につまらぬことで仲違いしてしまったのか、等々。そうした思いは多くは感傷を伴ってやってくるもので、「めめしい(=女々しい)」と自分を叱っているが、「めめしい」という感情は、めめしいが故に、意外に音楽的発想を豊かにもたらしてくれるのものなのだ。
そこでそうした感情にどっぷりつかり、その感情が生み出す音楽的発想を受け止め、音楽作品としてまとめ、仕上げようとしたのがこの作品だ。「めめしい」という言葉とは裏腹に作曲作業そのものには元気に集中して取り組み、じつは意外にたのしく進んだ。
“My Imaginary Life”は「想像上の生活・人生」のことである。自分がなした現実の選択に対し他の可能性の想像、すなわちあり得たかも知れないもうひとつの人生を思い描いたのがこの作品だ。
作品の構成
最近の私の作品がほとんどそうなのだが、あらかじめ作曲計画をつくらずに曲冒頭のインスピレーションだけを確保し、そこから楽想を刻々と紡いで作曲していく。それだけに構成の説明をすればそれはつまらないものになる。どうしてもクラシック音楽の伝統的な構成法にほとんど無意識に依存してしまっているからであり、音選びも機能和声的な感性に頼ってしまっているからでもある。それを承知の上で、以下、構成を説明する。
導入(1−12) Adagio espressivo
山型の旋律線が3つ連続し(1−3、4−6、7−9)、4つめ(10−12)は山型を形成せずに開け放たれたまま次への移行を導く。
第1部(13−54) Allegro con brio
3つの区分からなる。第1区分(13−25)では非周期に休符が挿入された32分音符が連続するジグザク線による旋律が続く。非周期に休符が挿入されることが旋律に生気と変化を与えている。第2区分(26−37)は16分音符の周期的なリズムによる音型が休符を挟まずに続く。変化を与えるのは上行音型や下行音型、山型音型の違いとそれらの組み合わせの仕方である
第2部(55−54) Largo fantastico
もっとも変化に富んだ部分であり、区分の判別は容易ではないし,必要ない。形式的な配慮なしに一つ一つの音を探し出した作曲。
第3部(55−146) Allegro vivo それ自体A-B-A’-C-A”の小ロンド形式
前の部分から一転、小ロンド形式的図式に則って作曲。A(84−92)、B(94−101)、A’(102−108)、C(109−128)、A”(129−146)から成る。音の運動性に重きを置いた部分で、演奏者のヴィルトゥオーソ性を意識している。