九響ジャンプ!「ライブ」配布パンフレット掲載原稿

本日(2014年2月17日)のライブのプログラムは「物語」にインスパイヤされた音楽を軸に据えて統一性に配慮し、18世紀から21世紀の作品を偏りなく選ぶことで多様性を持たせようにした(実際には18世紀の代わりに19世紀初頭の音楽が選ばれている)。「時代と向き合うオーケストラ」というトークセッションを受けてライブがなされるため、必然的に現代音楽を取り上げることになった。取り上げたのは九州在住の作曲家の近作。なじみの薄い現代音楽を少しでも身近に感じてもらうためである。
ここでの物語の共通要素は「愛」である。愛は普遍的な感情だが、その実態は多様だ。愛の物語は喜怒哀楽すべての感情を包含して進む。音楽には「感情表現」というディオニソス的側面と,「秩序(形式表現)」というアポロン的側面とがあるとされている。今回は、パネルディスカッションの知的集中を和らげるために、愛にまつわる感情を中心にして、あえてディオニソス的側面を強調した選曲となった。

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
歌劇《フィデリオ》序曲 作品72c
作曲: 歌劇は1805年、この序曲は1814年
初演:1805年11月20日(アン・デア・ウィーン劇場)、この序曲は1814年5月23日(ウィーンのケルントナートーア劇場)
作品番号にして138曲以上の音楽を様々な編成と様式のために作曲したベートーヴェンであるが、オペラはたった1曲しか完成させていない。それが《フィデリオ》である。ベートーヴェンはこのオペラのために4つの序曲を書いた。「ロッシーニはひとつの序曲を4つの歌劇に使用した」と言われるのとは好対照である。
フランスの作家ジャン・ニコラ・ブィー原作のこのオペラのもともとのタイトルは《フィデリオ、別名、夫婦愛》である。政敵のために不当に投獄された夫を救うため、女主人公レオノーレが男装してフィデリオと名のり、生命の危険をかえりみず、ついに地下牢の中から夫フロレスタンを救い出すという話しである。女性の深い愛や誠実さ、また勇気や不屈性を謳ったもので、この序曲もそのことを表現する。
序奏の冒頭、管弦全楽器の強奏によってリズムに特徴ある基礎主題が示される。その直後、一転してホルンによるおだやかな感じの旋律が現れる。レオノーレの激しい情熱と内に秘めた意思を表している。続く主部はAllegro(はやく)で、簡潔なソナタ形式。第1主題は基礎主題に基づいたもので、最初はホルンによって提示される。基礎主題はその後いたるところに現れて、そのリズム的特徴がこの曲の動的で前進的な印象を際立たせる。結尾部はPresto(急速に)になり、全奏による最高潮を築き、精神的な高揚をさらに掻き立てる。

中村 滋延(1950-)
《ラーマヤナ—愛と死(交響曲第4番)》
作曲: 2006年3月〜8月
初演:2006年10月12日(東京芸術劇場)、小鍛冶邦隆指揮による東京交響楽団の演奏
中村は、ここ10年間ほど、そのほとんどの作品を「ラーマヤナ」をモチーフにして制作している。「ラーマヤナ」はインド起源の叙事詩で、南アジアや東南アジアではたいへんポピュラーな物語である。その内容はアヨーダヤ王国の皇太子ラーマの成長譚であり、その成長を支えるのが妻シータとの愛。物語の主要部分はシータをさらった魔王ラーヴァナとのランカ島での戦いである。愛ゆえにラーマは数多くの試練を乗り越えてラーヴァナを打ち負かし、シータを救い出す。愛ゆえにシータは必死に貞操を守り、ラーマの無事をひたすら祈る。
曲は休みなく続けて演奏される5つの楽章から成る。各楽章は物語の内容と深く関係している。

第1楽章(Adagio – Allegro con moto – Adagio):
義母の奸計によって王国を追い出されたラーマとシータは森に隠れ住む。
第2楽章(Vivace – Moderato – Vivace):
シータに懸想したラーヴァナは魔法を使って彼女を惑わし誘拐し、ランカ島に幽閉する。
第3楽章(Lento):
ラーマは悲しみの淵に沈む。
第4楽章(Allegro molto – Allegto molto energico – un poco meno mosso):
ラーマはランカ島に渡り、ラーヴァナの軍勢と死闘を繰りひろげ、ついにラーヴァナを打ち負かす。
第5楽章(Lento – Allegro con anima – Moderato):
シータを無事に救い出し、ラーマは王国に凱旋する。しかし、シータは民から不貞の疑いをかけられ、潔白を証明するために大地の裂け目に身を投げる。

ただしこの曲は標題音楽のように物語の内容を音で描くのではなく、内容によって喚起される感情を音楽として表現することに主眼をおいたものである。
なお、この作品の初演年が武満徹没後10年にあたっていたことを受けて、武満へのオマージュとして彼の《弦楽のためのレクイエム》の主題の一部分が第3楽章で引用されている。
2006年度尾高賞候補作となり、審査員の一人であった故若杉弘に「ぜひとも指揮してみたい作品」と激賞された。

ピヨートル・チャイコフスキー(1840-1893)
幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》作品32
作曲:1876年
初演:1877年3月10日、モスクワ
実質的には交響詩であり、ダンテ(1265-1321)の「神曲」の「地獄編」第五歌に触発されて作曲された。
ボレンタ家の美しい姫フランチェスカは、父の命令で宿敵マラテスタ家との和解のため、同家の長男ジョヴァンニのもとへ嫁ぐことになる。フランチェスカを迎えに来たのは、ジョヴァンニの弟である美青年パオロ。2人は恋に落ち、フランチェスカがジョヴァンニの妃になった後も密会を続ける。ところがある夜、その密会がジョヴァンニに見つかり、嫉妬に狂ったジョヴァンニによって2人は殺されてしまう。2人は色欲の罪を犯した者として、地獄に落とされる。
地獄に落ちることがわかっていても愛し合わずにはいられない男女の業(ごう)が、大胆な和声や半音階的要素を多用した旋律、斬新な音楽構成によって見事に描き出されている。構造的にもすぐれた音楽になっている。ただ、チャイコフスキー自身がこの曲に否定的評価をくだしたこともあって、彼の作品の中ではあまり知られていないのがひじょうに残念。
この曲は導入部に続いて3つの部分が展開される形式となっている。導入部は減七の和音を駆使した重苦しい雰囲気で、地獄の玄関を象徴する不安定な世界が半音階的要素の多用によって描かれる。第1部はAllegro vivo(早く、活発に)の8分の6拍子、ここでは地獄で苦しむ罪人達の姿やフランチェスカたちを待ち受ける過酷な運命が描かれる。第2部はゆっくりしたテンポで、弦楽器を主体とした甘く幻想的な世界が繰り広げられる。やがてそれは全楽器の強烈な咆哮によって打ち砕かれ、破滅に向かっていく。終結部たる第3部は第1部の主題が再現され、愛の結末として地獄に落ちた二人の様子が描かれる。