7月21日(火),福岡シンフォニーホールで第43回九州サマーフェスティバル公演(九州サマーフェスティバル協会+財団法人九州交響楽団の主催)の一環として演奏会形式によるプッチーニ作曲の歌劇『トゥーランドット』ハイライトが催された。管弦楽は現田茂夫指揮の九州交響楽団,合唱は三浦宣明指揮の九響合唱団,歌手はタイトルロールが岡田昌子(ソプラノ),カラフが青柳素晴(テノール),中国の役人/ピンが原尚志(バリトン),リューが持松朋世(ソプラノ),ティムール/皇帝アルトゥムが岩本貴文(バリトン)であった。
オペラを演奏会形式でやることを一概に否定するつもりはないが,やはりこれは特殊な事例に属することであるべきだ。昨年の『カルメン』も演奏会形式であった。上演に莫大な経費がかかるから仕方がないことなのであろうか。
正直言って演奏会形式のそれはオペラではない。作曲家は筋書きをもとに舞台での出来事を想像しながら音楽を作っていくのである。またその想像力は音楽とともに舞台美術と台詞と演技にまで及んでいる。また,聴衆も筋書きに従った舞台上の出来事があってこそオペラを見る喜びが満たされる。舞台美術に驚き,新しい解釈の演出に共感し,歌手の演技と演奏に満足したりしてオペラを楽しむのである。演奏会形式のオペラを臆面もなく提示されると,「オペラってなぁに?」と突っ込み返したくなる。
オペラがいかに声の芸術であると言っても,それは劇としての最低限の条件がクリアされてこその話しではないか。
第43回九州サマーフェスティバル公演では,オペラ公演の演奏会形式が特殊であるという意識がまったくと言ってよいほど感じられなかった。つまり,演奏会形式によって本来のオペラ上演からは欠けるものがあるはずなのに,それを埋めようとする心配りを感じることができなかったのである。例えば筋書きをわからせるために歌詞の日本語訳を字幕として出すとか,語り手を加えて状況説明を行うとか,歌手の動作や表情を浮き彫りにすべくステージ上の配置を考えるとか,いくらでも工夫の余地はある。
歌い手とオーケストラがあればそれで十分だと考えているとしたら大きな間違いである。今やDVDビデオで最高品質のオペラが鑑賞出来る。少しばかりの優れた歌い手の演奏だけではオペラとしては満足など出来ない。生でオペラを聴くなら,なによりもまず「見たい」のである。「見る」ことで劇を分かりたいのである。劇を分かることで音楽を楽しみたいのである。
ただし「見る」ことがいい加減であってはならない。じつはここまで書いてきて,そのいい加減な例を思い出した。それは2ヶ月近く前の6月3日(木)のアクロス福岡・イベントホールで見たオペラ実験工房inアクロス福岡/プッチーニ作曲の歌劇『トスカ』(アクロス福岡主催)である。たしかに舞台もあり,演技もあり,オペラを「見る」ことは出来た。しかしそれだけである。「見る」ことの感興があったかと言えば,正直,大きな疑問符がつく。何よりも舞台美術がお粗末であった。お金をかけて豪勢なものを作れと言っているのではない。ゴテゴテと飾り立てずとも,象徴的に造形することで,表現の奥行きを示すことは出来るはずだ。
昨年のオペラ実験工房inアクロス福岡のドニゼッティ作曲の歌劇『ランメルモールのルチア』も舞台美術のお粗末さは同じであって,映像を映し出す舞台中央のスクリーンの布がきちんと貼られていなくてしわが浮き出ていた状態であり,舞台の造形以前の問題を感じてしまった。
しかし,なんと言っても大きな問題は,やはり音楽がオーケストラではなく,ピアノで演奏されたことである。歌曲の伴奏をピアノでおこなうのとは訳が違う。音楽としての魅力が半分以下になってしまう。
ただ誤解のないように言っておきたいのは,オーケストラの代わりにピアノを用いることが絶対に駄目だということではない。オーケストラの代わりにピアノでオペラ公演を行うことは特殊な事例であるという意識が主催者にないことが問題なのである。ピアノ伴奏ということで,音の面で欠けるものがあるはずなのに,それを埋めようとする心配りを,ここでも感じることができなかった。
オペラの上演に莫大な経費がかかることはよくわかる。だからといって,聴衆に不完全な公演を我慢しろというのは傲慢ではないか。第43回九州サマーフェスティバル公演の『トゥーランドット』ではタイトルロールとカラフは東京を活動拠点としている歌手,オペラ実験工房inアクロス福岡の『トスカ』は全員が東京・神奈川を活動拠点としている歌手である。優れていると評価されている歌手を中央から連れてきたらそれで充分だということなのであろうか。
そんなことはあるまい。ここで私は,昨年10月3日の福岡シンフォニーホールでの西日本オペラ協会主催のモーツアルト作曲の歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」の公演をあらためて思い出す。オーケストラ(九州交響楽団)を雇い,本格的なオペラ舞台をつくり,演出や衣装に工夫を凝らし,字幕をきちんと用意するなど,並々ならぬ決意をもって公演を行った。そこにはオペラの上演に莫大な経費がかかるからという甘えはない。その決意が西日本オペラ協会所属の歌手たちに満足行くパフォーマンスをもたらし,感動的な舞台を作り上げる原動力となった。そこにはオペラを見る喜びを聴衆に共有してもらいたいという強い想いがあふれていた。こうしたことを地元福岡の人間はもっと知るべきだと思う。
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