“Gallery of Reliefs” Symphony No.3
第一楽章「乳海攪拌」(Churning the Ocean of Milk)
第二楽章「神々の戦い」(Battle of Gods)
第三楽章「天国と地獄」(Heaven and Hell)
第四楽章「アプサラの森」(Wood of Apsaras)
演奏時間:16分
作曲:2002年8月
初演:2002年10月22日、「オーケストラ・プロジェクト2002」東京芸術劇場大ホール、秋山和慶指揮東京交響楽団
この交響曲のタイトルは「レリーフの回廊」である。この回廊はカンポジアのアンコール・ワットの回廊を指す。それらの回廊にはカンボジアの神話や歴史をモチーフにしたレリーフが彫られている。私はこのレリーフに魅せられてこの交響曲作曲のインスピレーションを得た。
連続して演奏される四つの楽章から成っており、それぞれに以下のタイトルが付けられている:
第一楽章:乳海攪拌
第二楽章:神々の戦い
第三楽章:天国と地獄
第四楽章:アプサラの森
この曲の作曲当時私は芸術工学系の大学に勤務しており、IT技術を用いた音楽系メディアアートの制作研究教育に熱心に取り組んでいた。だがその一方で西洋芸術音楽(いわゆるクラシック音楽)的な作曲の世界からも離れられなかった。現代日本において「交響曲」を作曲することに一体どのような価値や意味があるのかと考え込んでしまうことも多かったのだが、作曲せずにおれなかったのである。これは身体の中に染み込んでしまった“業”のようなものであろう。ちょっと大げさに言えは「これをやらねば死んでしまう」というような感覚である。
この交響曲、「レリーフの回廊」というタイトルを持っている。この回廊は、カンポジアのアンコール・ワットの回廊を指す。レリーフは主にそれらの回廊に彫られている。そのモチーフは主に神話や歴史である。このレリーフに魅せられて私はそこをすでに4度も訪れている。
魅せられる要素は様々にあるが、今回の作曲に関連して言えば、造形に関する構成法である。それは、単純なモチーフ反復による画面構成、図の縦の上下位置によって表現される幼稚な遠近法、人物事物の大きさの不一致、パターン化された顔の表情など、西洋芸術の造形観から言えは否定されかねないようなものばかりである。しかし、実際に向かい合った時にそれらの造形が発する圧倒的な迫力と、それによって生まれた感動は譬えようもない。また、仔細に見ていくと、上述の特徴は表現としての意味に満ちていることが分かる。こうした構成法を、私は、今回の作曲の構成上の指針にした。視覚的な構成法を聴覚に単純に置き換えたりはしていないが、かなり影響は受けている。
この作品は2002年7月に完成し、同年10月22日、『オーケストラ・プロジェクト2002』(東京芸術劇場大ホール)において秋山和慶指揮の東京交響楽団によって初演された。3管編成の管弦楽のための演奏時間16分の音楽である。休みなく続けて演奏される4楽章から成る。
タイトルのレリーフの回廊とはアンコール・ワット(図1)の第一回廊のことを指している。この曲はまさにその回廊とそこに描かれたレリーフを題材にした作品である。「交響曲第三番」という古典的な副題に込められた思いは、管弦楽という表現形態を前にすると、その表現形態自体が歴史的に形成してきた様式、すなわち西洋芸術音楽を要求しているように思える。
第1楽章「乳海撹拌」は、第一回廊の東面南側のレリーフが題材になっている。レリーフにはクメール化されたヒンドウー教の天地創造神話「乳海撹拌」が描かれている(図4)。ビシュヌ神の化身である大亀の背に載せた大マンダラ山を、両サイドから神々と阿修羅が大蛇の胴体を綱として引き合って海中をかき回すといった撹拌が1000年以上も続き、海は乳海となり、その中から天女アプサラが生まれ、最後に不死の妙薬「アムリタ」が得られたという神話である。音楽は、平静な海が撹拌されて徐々に荒れていく様子を、曲頭ュニゾンで奏されているレの音が半音階的に上下にずれながら重なり合って徐々にトーンクラスターを形成していくことで表わしている。
第2楽章「神々の戦い」は、第一回廊の西面のレリーフが題材になっている。西面南側のレリーフにはインド古代の叙事詩『マハーバラタ』の戦闘シーンが、西面北側には『ラーマヤナ』の戦闘シーンがいずれも描かれている。そこには指揮官や無数の兵士たち、猿の軍勢、悪魔の軍勢、戦車、馬などをモチーフとして、迫力と躍動感に満ちた描写が展開されている。音楽は戦いの躍動感をテンボの速いスケルツオによって表している。
第3楽章「天国と地獄」は、第一回廊南面東側のレリーフが題材になっている。レリーフには死後の世界を表した「天国と地獄」が描かれている。3段に分割された壁面には、上段から下段に向けて極楽、裁定を受ける様子、地獄が順に描かれている。分割線がとぎれたところから地獄に落とされる様子や、地獄で激しい責め苦を受ける人の姿や、閻魔大王に減刑を懇願する人々などが描かれている。音楽は、天国を清澄な長三和音を主体としたフレーズによって、地獄を半音階主体の無調的フレーズによって、裁定の様子を周期的なリズムで単音からクラスターへと音を積み重ねていくフレーズによって、それぞれ表している。
第4楽章「アプサラの森」は、第一回廊の4つの曲がり角にある多くの天女アプサラのレリーフを題材にしている。アプサラのレリーフはアンコール・トムのバイヨン寺院においても壁面や柱にさらに多く見られる(図5)。それらアプサラはいずれも舞っている。現在に伝わるカンボジアの古典舞踊「アプサラの踊り」はまさにその天女アプサラを模している。「アプサラの森」なるレリーフは現実には存在しないが、アンコール遺跡で目にする多くのアプサラたちは、遺跡の中の森からまるで飛来してきたかのように感じられる。音楽は、天女アプサラの舞う様子を表している。必然的に短いフレーズ反復を主体とする音楽になり、表面的にはミニマル・ジック的な様式を表す箇所も多い。
さて、以上のようにアンコール・ワットのレリーフに題材を得て作曲したと述べてきたが、音楽は具体的な意味を示すことがないので、この事実を客観的に証明することは出来ない。聴衆にこのことを感じてもらうしかない。
ただ、なかなか思うように作曲の筆が進まなかった時に、思い切ってカンボジアまで飛び、アンコール遺跡を再訪し、じっくりとレリーフを見つめ直して、それをきっかけに一気に作曲の筆が進んだことは事実である。