12月1日(金)アクロス福岡シンフォニーホールでの、九州交響楽団第372回定期公演の聴きどころを紹介します。私は九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者ですが、このブログの記事は自由に個人的な視点で書いています。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にあります。
368回定期公演の演目は、
ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番イ長調488、エルガー/交響曲第1番変イ長調作品55、
演奏は、
指揮:ジョセフ・ウォルフ、ピアノ独奏:コルネリア・ヘルマン。
本稿では講座での話しの順に以下の項目について解説します。譜例はクリックすると拡大表示されます。なお下記3〜5の項目は「九響第372回定期公演曲目解説その2(ワーグナー、モーツァルト)」をクリックしてください。
- イギリスの最大の作曲家エドワード・エルガー
- 交響曲第1番変イ長調作品55の聴きどころ
- 楽劇「マイスタージンガー」に込めたワーグナーの思い
- 「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲の聴きどころ
- モーツァルト、奇跡の旋律
1.イギリスの最大の作曲家エドワード・エルガー
1.1.略歴
1857年にイングランド西部、バーミンガム近郊のウスターに生まれる.ウスターは「ウスターソース」のウスターであり、調味料の醸造所があることで知られる。父はピアノ調律師、楽器商であり、若い頃は楽譜出版社に勤務していた。当然音楽好きの家庭環境にあり、エルガーも幼児の頃から演奏・作曲を我流・独学で経験してきて、豊かな音楽生活を送っていたと考えられる。音楽学校で学ぶ機会はなく、エルガー自身は将来ドイツのライプツィッヒ音楽学校で学ぶことを望んでいたが、経済的理由でそれを果たすことはなかった。
地元で様々な団体の指揮者、音楽教師として生活していた。1889年に生徒の一人キャロライン・アリス・ロバーツと結婚。妻は8歳年上で、彼の活動を実務的にも精神的にも全面的に支える存在であった。有名な《愛の挨拶》は妻アリスに捧げた作品。アリスの勧めにしたがってロンドンに移住し、作曲に専念することになる。
イギリスの音楽の中心地ロンドンで彼の作品は次第に認められるようになり、晩年にはイギリスを代表する作曲家としての揺るぎない地位を築き、1931年に准男爵の称号が贈られている。
1.2.代表作
- 《創作主題による変奏曲(エニグマ変奏曲)》(1899)
- 行進曲《威風堂々、第1番》(1901)
- 《交響曲第1番》(1908)
- 《バイオリン協奏曲》(1910)
- 《交響曲第2番》(1911)
- 《チェロ協奏曲》(1919)、他
1.3.同時代の作曲家
エルガー(1857-1934)の同時代の主な作曲家を挙げると以下の様になる。ブラームス(1833-1897)、チャイコフスキー(1840)、ドヴォルザーク(1841-1904)、マーラー(1860-1911)、ドビュッシー(1862-1916)、R・シュトラウス(1864-1949)、シベリウス(1865-1957、)ラフマニノフ(1873-1943)、シェーンベルク(1874-1951)、等々。じつはドヴォルザークとマーラーの生年との間に生まれた著名作曲家が意外と少なく、20年ほどの間隔が空いている。この間隔がロマン派の前期と後期とを分ける分水嶺か。
ドイツやその周辺地域を中心に考えれば、前期ロマン派に属する作曲家と後期ロマン派に属する作曲家の間に歴然とした差が存在するように思う。ワーグナーは年代的には前期ロマン派に属するが、音楽的には後期ロマン派的であり、半音階的和声の扱いなどで後期ロマン派からシェーンベルクの無調性音楽への道を拓いた人である。
エルガーの音楽はR・シュトラウスの影響を受け、調性システムに従いながらも半音階的要素も多用し、古典的形式観から逸脱する調性配置など、後期ロマン派的性格を極めて強めている。
1.4.音楽的辺境の地イギリス
イギリスは長く世界の中心国であり、政治的・経済的大国であり、文化面では文学・演劇の大国である。そうした割には音楽的大国とは言い難い。音楽史が作曲家の仕事を中心に考えられる限り、そうなのである。ちなみにクラシックコンサートで聴かれるようなイギリスの作曲家の名前を挙げよと言われるとちょっと困るであろう。無理をして挙げれば、ヘンリー・パーセル(1659-1695)、エドワード・エルガー(1857-1934)、ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)、グスターヴ・ホルスト(1874-1934)、ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)くらいであろうか。パーセルなどはどちらかと言えば古楽演奏会では取り上げられるが、クラシックコンサートにおいてはまず聴くことなど出来ない。ブリテンは近代現代音楽で、クラシックコンサートの聴衆には馴染みがあるとは言えない。そうした中でのエルガーである。数少ない中での突出した存在として扱われる場合もあれば、数少なさによってそのグループ全体が地味に扱われてエルガーも埋没してしまっている場合もある。
なお文化国家イギリスの名誉のために言っておくと、輩出したイギリス人作曲家の数はドイツ、フランス、イタリアなどに比較すると確かに少ないのであるが、音楽活動そのものについてイギリスは先進的であり、活発である。音楽史上、イギリスで受け入れられたことによって音楽史上に名前を大きく刻まれている作曲家も存在する。それはたとえばヘンデル(1685-1759)であり、ハイドン(1732-1809)であり、メンデルスゾーン(1809-1847))であり、シベリウス(1865-1957)である。
2.交響曲第1番変イ長調作品55の聴きどころ
2.1.基礎情報
1907年の夏から構想を練りはじめ、エルガー50歳の1908年に完成。初演は同年12月3日にハンス・リヒター指揮のハレ管弦楽団によってマンチェスターで初演された。初演は大変な好評を博し、その後1年ほどの間に100回以上演奏されたと言われている。エルガーがこの曲を初演指揮者のハンス・リヒターに捧げている。
2.2.楽章構成
楽章構成は本格的な古典的な交響曲の様式にしたがって4楽章から成っている。
- 第1楽章 Andante Nobilmente e semplice – Allegro(ほどよくゆっくりと、高貴にかつ素朴に ー 速く)
- 第2楽章 Allegro molto(ひじょうに速く)
- 第3楽章 Adagio −Molto espressivo e sostenuto(ゆるやかに ― ひじょうに感情豊かに、そして音符の長さを充分に保って)
- 第4楽章 Lento −Allegro – Grandioso(ゆるやかに ー 速く ― 雄大に)
2.3.第1楽章
序奏ではこの交響曲のモットーが登場する(譜例11、演奏例11)。ゆったりしたテンポ、4分の4拍子上の単純なリズムによるゆったりした変イ長調の平明な旋律である。この楽章の中にも他楽章においても何度か出現することで、まさにモットーである。
演奏例11
主部ソナタ形式の第一主題はニ短調のエモーショナルな雰囲気を持つ旋律である(譜例12、演奏例12)。7の和音多用による半音階的和声によって味わい深い外見をつくり出している。主題1小節目、3小節目、5小節目の各2拍目の短2度下行動機が印象的で、それがその後の確保(主題の反復)においても第一主題であることを特徴づけてくれる。
演奏例12
第一主題が静まると推移主題が現れる(譜例13、演奏例13)。4分の6拍子によるヘミオラ的な順次下行の単純な旋律線(ト短調)とその反復から成っている。単純であるがゆえに「耳に付き」に、曲中の何度かの出現にも気付くことができる。
演奏例13
第二主題は推移主題と異なりはっきりとした4分の6拍子、ヘ長調、なだらかな旋律線を形成する(譜例14、演奏例14)。主題の2小節目1拍目の3つの音から成る動機は曲中にも割合頻繁に登場する。
演奏例14
提示部小結尾は提示部でのここまでの発展的反復である(演奏例15)。第一主題→推移→第二主題と順に出てくるが、変奏の度合いが深く、表現の振幅が激しく、迫力満点である。小結尾と書いているが、けっして規模が小さいことを言っているわけではなく、楽章最後の結尾と区別しているだけである。
演奏例15
展開部のはじめにはモットーがハ長調で登場する。その後に新しい主題(譜例16、演奏例16)を取り込みつつ第一主題や第二主題、推移主題が大きな表現幅の中で次々と展開されていく。
演奏例16
再現部は大まかな道筋において提示の流れのままに進む。もちろん古典派や前期ロマン派のソナタ形式と較べると規模も大きく、変化に満ちている。長めの結尾にはモットーが出現する。このモットーの平明さがそれ以外の主題の楽想の激しさを際立たせていることを感じる。
2.4.第2楽章
急速なスケルツォ楽章で、変形ロンド形式。主部第一主題や主部第二主題、中間部第一主題、中間部第二主題が様々な主題や動機をはさみながら回帰する。その回帰の際に複数の主題が複数の声部によって対位法的に重なりあって出現することもあり、ひじょうに構造的に凝ったつくりになっている。
最初に無窮動の第一主題が登場する(譜例21、演奏例21)。
演奏例21
対比的な第二主題は行進曲風な伴奏を伴い非常に印象的な楽想(譜例22、演奏例22)。
演奏例22
その後に中間部第一主題が現れる(譜例23、演奏例23)。これはどこかブラームスを思わせる。
演奏例23
中間部第二主題も同様な趣があり、より民謡風である(譜例24、演奏例24)。
演奏例24
主部が回帰したり、主部の主題と中間部の主題が同時に出現したり、形式的には複雑なままに展開していく。休止をはさまずに続いて第3楽章に移行する。
2.5.第3楽章
ソナタ形式。この楽章の主部第一主題(譜例31、演奏例31)は第2楽章の主部第一主題(譜例21)と同じ旋律構成音によってつくられている。もちろんアダージョの速度に合わせてリズムは変えられている。
演奏例31
その直後にこの主部第一主題はリズムを変え、第一主題Bともいうべき対旋律を伴って繰り返される(譜例32、演奏例32)。
演奏例32
特徴的なリズムによる音階下行形を中心とする推移主題(譜例33、演奏例33)がその後に続く。
演奏例33
第二主題は二声部から成り(譜例34、演奏例34)、場合によっては声部の上下が入れ替わって登場する。
演奏例34
展開部と再現部の後に長めの結尾部がある。休止をはさまずに第4楽章に移行する。
2.6.第4楽章
序奏部に現れる主題は後に第二主題となる(譜例41、演奏例41)
演奏例41
Allegroの主部第一主題は付点四分音符と八分音符のリズムの組み合わせの連続による。(譜例42、演奏例42)
演奏例42
段落感を放棄したままに主題が続いていき、第二主題に突入する。第二主題は序奏主題をアレグロにしたものである(譜例43、演奏例43)。第二主題は四分音符による楷書的リズムによって構成されていて、この主題が全奏のフォルティッシモで登場すると一挙に音楽に力強さが加わっていく。
演奏例43
終結に向けて音楽の盛り上がりが頂点を迎えた時にモットーが力強く登場し(譜例44、演奏例44)、盛り上がりを見せて終わる。
演奏例44
2.7.語法
この交響曲第一番における四楽章制交響曲という形式はブラームスの交響曲からの影響が顕著である。標題性はないものの、モットーや主題の外面的な扱われ方はベルリーズの「固定楽想」の影響を垣間見ることができる。しかし同時代ということで、後期ロマン派音楽の典型であるリヒャルト・シュトラウスの語法の影響がもっとも顕著である。特に半音的和声法と動機操作法においてそのことを強く感じる。年齢ではエルガーの方が7歳年上なのであるが、その活動時期で言えば50歳(1908年)になってようやく交響曲第1番を作曲したエルガーに対して、R.シュトラウスは有名な全7曲の交響詩を1898年にはすべて作曲し終えていたのである。
ただしR.シュトラウスの交響詩が標題内容を巧みに描ききることを優先させたためか、技巧に走りすぎ、その巧みさが鼻につくところがなきしにしもあらずで、音楽聴取の熱中が醒めてしまうことがある。そのようなことはエルガーの交響曲はないはずで、聴き始めの多少混乱を乗り越えれば音楽聴取への内的熱狂が途切れることはない。