6月24日に世田谷区北沢タウンホールにて「子どもへの体罰・暴力を考えるシンポジウム」が催された。このシンポジウムは、2017年8月20日、世田谷区教育委員会が主催する「ドリームバンド・ジャズフェスティバル(以下、ドリバン)」本番中におけるトランペット奏者日野皓正氏による出演中学生への公衆の面前での暴行事件と、それへの世田谷区長保坂展人氏の対応について検証することを目的とする。私はシンポジストの一人としてとして参加した。以下はそこで得た私の見解である。
シンポジウムでは冒頭に事件を報じたテレビ映像が示された。映像は事件が大人による子どもへの暴行以外の何ものでもないことを明白に示した。しかしドリバン指導者の日野氏も保坂区長も事件後一貫して「体罰の一歩手前」として暴行を否定している。しかしその否定の根拠となる明確な証拠は何も示されていない。それどころか保坂区長は、事件後に中学生が反省を口にし、日野氏に直接謝罪したことで、日野氏の暴行を結果として免罪しようとしている。
この事件は暴行被害という当該中学生の心身の傷に、「謝罪させられた」という心の傷を加えた人権侵害事件である。例えば虐待を受けた子どもは自己否定に陥ると言われる。当該中学生の謝罪が暴行被害を反映した自己否定ではないかと保坂区長は考えなかったのか。
当該中学生の人権を守るためにまずなすべきことは加害関係者が暴行を認めて被害者に謝罪することである。
日野氏による暴行を保坂区長がひたすら過小評価しようとするのは、ドリバン継続の意思による。保坂区長はドリバンの教育成果を強調して日野氏の暴行をできるだけ軽微に扱おうとする。しかしこれは間違っている。事件は暴行傷害にあたる犯罪だ。法と人権は多様な個体を持つ人が共に生きていくための最低限のルールであり、法と人権を相対化するということは誰かの権利が侵害されるということに他ならない。ドリバン継続意思によって暴行をなかったことにし、結果として暴行被害者の人権が侵害されてはならない。ドリバンの継続は事件の正当な決着を得た後に議論すればよいこと。同じように日野氏に対しても、彼が暴行の事実をきちんと認め謝罪した後に、指導者としてふさわしいか否かの是非が問われるべきだ。
残念ながらすべてを曖昧にしたままで2018年度のドリバンが進められている。その募集要項には2017年度における暴行事件は一切触れられていない。
社会的にはようやく教育における暴力禁止が常識になりつつある。しかしドリバン暴行事件における保坂区長の対応は暴力容認への「蟻の一穴」になり得る。そのことを深く危惧する。特に彼が教育ジャーナリスト、リベラル系の人権派代議士としてかつてよく知られていただけに。
なお本文中の保坂氏の発言はHUFFPOST2017年9月11日のブログ、同10月9日のインタビュー記事に基づく。
以上。
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以上はある雑誌への投稿用として書いた原稿である。採用されないことが明らかになったことで当ブログに掲載する。日々様々な事件が政治的話題が続出する中ではもう忘れられた事件なのだろうか。
そうした中、今年6月初旬に5歳女児の両親による虐待死事件が報道された。その事件で特に衝撃的だったのはその5歳女児が書いた両親宛のお詫びの文章である。日々体罰による虐待を受けているにもかかわらずひたすら許しを請うている内容である。体罰の被害者はこの例のように容易に自己否定に至ることを保坂区長が知らないはずはない。だから被害中学生の謝罪を暴行の実行者日野皓正の免罪に使うなどはあってはならない。保坂展人は許しがたい。保坂展人はかつて児童擁護の論陣の先頭に立ってきたジャーナリスト・代議士ではなかったのか。