九響第367回定期演奏会ではイーゴリ・ストラヴィンスキーの管弦楽曲《葬送の歌》がカーチュン・ウォンの指揮で演奏される。5月1日(火)午後2時からの九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」では定期演奏会に向けてこの作品を取り上げるので、そのために調べたことを基にした楽曲解説を以下に行う。(譜例はクリックすると拡大表記される。)

基本情報

ストラヴィンスキー(1882-1971)が師のリムスキー=コルサコフ(1844-1908年6月21日)の死を悼み、死の直後に作曲を始め、7月28日に完成させた作品。きわめて短期間で作曲された。翌年1909年1月17日に初演された。

初演後、この楽譜はサンクトペテルブルク市内のどこかに保管されたまま、行方不明になった。スイスに活動拠点を移していたストラヴィンスキーは第1次世界大戦やロシア革命勃発のために長くロシアに帰ることが出来ず、その存在を確かめる術がなかったからだ。

ところが、行方不明になったと思われていた楽譜が2014年からのサンクトペテルブルク音楽院の改築工事の過程で、2015年に書庫の奥から発見された。これは最近の音楽界でのビッグニュースとなった。

2016年12月2日、サンクトペテルブルクでヴァレリー・ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団によって107年ぶりで演奏された。その後は世界各地で演奏されている。2017年5月18日には東京オペラシティコンサートホールにおいてエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団によって日本初演されている。

内 容

一楽章制の作品。編成は3管編成。演奏時間は10分強。本稿ではリッカルド・シャイー指揮のルツェルン祝祭管弦楽団の演奏https://www.youtube.com/watch?v=r3aVM-If1HYに基づいて分析している。

この曲についてのストラヴィンスキー自身は以下のように述べている。

  • 「これはオーケストラのすべてのソロ楽器の葬送の行列のようなものだった。かわるがわるやってきて師の墓の上に花環のかわりにそれぞれのメロディを置く。そしてそのあいだずっと、コーラスのバスの声の振動のようなトレモロのつぶやきが低く流れているのだった。」『ストラヴィンスキー』(永遠の作曲家)白水社,ロベール・ショアン(遠山一行訳),1969(原本1958),p.32

作曲後約50年以上経過した後の言葉であるが、作曲者は曲の内容をじつに的確に憶えていた。たしかにその言葉通り、低音弦の弱音のトレモロによって開始され、冒頭の1小節は核モチーフを成し、そのモチーフは絶え間なくわずかな変奏を伴いつつ反復される。それを背景に主題旋律が楽器を変え表情を変えて現れる。それはまさに墓前に花環を添えるために様々な人が代わる代わる登場するかのようである。

なお、核モチーフの旋律線が半音階的であり、和声においては七の和音や非和声音の付加の多用によって、この曲は意外にもワーグナーの音楽と雰囲気が似ている。ドビュッシーの影響は旋律に民族的色彩を持ち込んだ《火の鳥》(1910)以降に顕著になるということなのか。つまり最初期ではワーグナーの影響下にストラヴィンスキーがいたのだ。

第1部分Largo assai(1-17小節)

半音階的な核モチーフ(譜例1a)がコントラバスの弱音のトレモロによって提示され、低音木管と低音弦が核モチーフをリズム面で変奏反復する(譜例1b)。その後は核モチーフが音価を縮小して現れて、変化をつくり出す。

譜例1a

譜例1b

第2部分(18-28小節)

ホルンによって主要旋律が提示される。きわめて全音階的な旋律で核モチーフとは著しい対比を示す。ただし伴奏音型は核モチーフの影響下で半音階的。(譜例2)

譜例2

主要旋律の最初の提示以降、弦と管のユニゾンで主要旋律が展開され、伴奏として低音域での和音が間隔を開けて刻まれる。この和音に核モチーフが装飾音のように絡んでくる。(譜例3)

譜例3

第3部分(29-36小節)

主要旋律は以下のように発展する(24-28小節は前の第2部分)。旋律間をつなぐ半音階の音階上行音型(31、33、34小節)は極めてワーグナー的である。(譜例4)

譜例4

第4部分(37-40小節)

この部分もワーグナー的である。それは主要旋律が低音金管楽器群によって朗々と歌われる点と、和音が半音階的に変化していく点とに感じられる。なおこの部分の管弦楽としての迫力が圧倒的で、この点においてもワーグナー的でもある。(譜例5)

譜例5

第5部分(41-62小節)

前の部分から一転した穏やかな表情で、主要旋律が楽器を様々に変えて、カノンを形成して現れる。伴奏は和音が音型化されて反復され、控えめに鳴る。

第6部分(63-77小節)

前の部分と共通するが、主要旋律は主に金管楽器に現れる。また伴奏はより細分化された楽器群の組み合わせによって音色豊かな繊細で優しい表情を見せる。この部分の最後の方では盛り上がりを見せる。なお最初の4小節は接続句であり、基礎モチーフがリズム的に変奏されて出現する。(譜例6)

(譜例6)

第7部分(78-93小節)

最初は核モチーフだけが現れるが、概ね表情を穏やかにしている(譜例7)。後半になって主要旋律がゆったりとした表情で現れる。

(譜例7)

第8部分(94-98小節)

核モチーフの反復による盛り上がりでフォルテの和音に到達し、その後ピアニッシモに転じる。そしてこのフォルテとピアニッシモの組み合わせが反復される。この一連の様子はワーグナーの楽劇『神々の黄昏』の第3幕第2場の「ジークフリートの葬送行進曲」にイメージが似ている。

第9部分:コーダ(99-106小節)

ゆっくりと歩くようなリズムで核モチーフが現れ、最後、イ短調の主和音の再弱音で終止する。

形 式

この曲は、途中で一部accelerandoとその結果としてのpiù mossoによる組み合わせ箇所があるが、概ねLargo assaiのテンポで一貫している。核モチーフを中心とする序奏(第1部分)とコーダ(第9部分)をAとすると、その間の部分がBであり、三部形式である。しかしBが時間的にほとんどの部分を占め、聴感上、三部形式とは認め難い。Bは主要旋律による自由な変奏曲とみなすべきであろう。変奏は旋律そのものへの介入は少なく、もっぱら伴奏声部に対してなされる。

評 価

リムスキー・コルサコフへの葬送の曲ということで、前作の交響的幻想曲《花火》のような色彩感にあふれた外面的効果に満ちた曲と云うわけではなく、やはり地味な曲であり、一般的人気を期待できる作品ではない。しかし地味な全体的雰囲気の中でも管弦楽法には細心の工夫が施され、音色に対する魅力には満ちている。

核モチーフに見られたように旋律形成の面でも、全体的に和声に関しても、半音階的なものが重視されている。この曲は初期のストラヴィンスキーがワーグナーの影響を受けていたことの証拠である。