はじめに
締め切りに追われた仕事をずっと抱えていた関係でこの2ヶ月ほど映画をまったく見に行かなかった。それが1週間ほど前に気分転換のために映画を見に行った途端、また立て続けに見に行くようになった。ここで取り上げるのは『嘘を愛する女』と『嘘八百』。これら二つの映画にはタイトルに「嘘」が入っているだけで、両者は無関係。ただ後者は安倍総理が見に行ったらしく、「よい映画でした」とのコメントを述べたらしい。私はまったくそうは思わなかった。
『嘘を愛する女』(監督・脚本:中江和仁、配給:東宝)
長澤まさみ演じる主人公のキャリアウーマンは同棲相手(高橋一生)が突然倒れ意識不明になったことで、彼の嘘を知る。私立探偵(吉田剛太郎)を雇い、真実を確かめるために瀬戸内を旅する。恋愛映画であり、サスペンス映画であり、ロードムービーであり、ある種の成長譚でもある。
5年間も同棲相手の嘘にだまされて続けてきたなんて一般的にはおよそリアリティのない設定なのだが、リアリティを感じさせたのが嘘をつかざるを得なかった事情の設定にある。その事情は最後になってようやく明かされるのだが、言わば「自分の存在を否定して生きる」という選択をした同棲相手の事情が、現実にはあり得ると感じさせるからだ。その事情を最後に知ることで主人公は同棲相手への愛をより募らせる。事情の解明に至る過程がサスペンス映画としても十分な見応えある。
事情を知る手がかりのひとつが同棲相手が残した未完の小説。それを私立探偵とともに読み解き、そこに書き記された風景に手がかりを求めて主人公は私立探偵を同道させて瀬戸内の島々をめぐる(ロードムービー的展開)。それらの場面での私立探偵役の吉田剛太郎の演技に圧倒的な存在感がある。上手い俳優というのはつくりごとを演じても、視ている者につくりごとであることを忘れさせ、現実感を現実以上に感じさせることができる者のことだ。また、その吉田にからむ長澤まさみの演技も秀逸、こんなにうまくて存在感のある女優だとは思わなかった。表現の幅があるのだ。
瀬戸内での旅の間に主人公はキャリアウーマンとして実績をライバルに奪われてしまう。しかし同棲相手の嘘の事情を知ったことで彼女は別の生き方に目覚める。最後は予定調和的結末っぽいが、恋愛映画ならこれくらいのサービスは必要だろう。
『嘘八百』(監督:武正晴、配給:ギャガ)
中井貴一演じる古美術商と佐々木蔵之介演じる陶芸家がタッグを組んで、かつて彼らをだました大手古美術商(芦屋小雁)と著名鑑定家(近藤正臣)への復讐を遂げる物語である。そして復讐を遂げて手に入れた大金を、最後には失ってしまう。
この映画ははっきり言ってつまらなかった。途中で展開がすべて読めてしまう。復讐の設定になんの意外性もない。芸達者とされる俳優二人をダブル主演にしているのだが、その二人の絡みにふくらみがまったくなくて、モノローグを交互に語っているよう。敵役の古美術商と著名鑑定家の描き方もまったく定石通り。関西のお笑い芸人も出演していたが、彼らは舞台での観客の反応に対してのリアクションに長所があるので、リアクションのない映画では特長がまったく生きてこない。コメディと銘打っていたが、客席からの笑い声はほとんどなかった。
「嘘八百」というタイトルの割には嘘が描き切れていない。そもそも「嘘八百」というタイトル自体にも奥行きを感じさせない表面的でふくらみのない平凡なもの。
嘘ばかりついている安倍総理はこの映画のどこに「よい映画」と思ったのか。この映画のひとつよいところは「嘘をつくと、ついた方が最後はだまされる」ということを筋書きにしていることで、安倍総理は「そうだ」と思ったのか、それともそうではなく「オレは最後まで嘘を突き通せる」と思ったのか。