2月9日(金)アクロス福岡シンフォニーホールでの九州交響楽団第365回定期公演で上演されるワーグナー/フリーヘルの『ニーベルングの指輪〜オーケストラル・アドヴェンチュア—』の聴きどころを紹介する。私は九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者だが、このブログの記事は自由に個人的な視点で書いている。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にある。(なお、譜例はクリックすると拡大表示される。)
365回定期公演の演目は他にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216があるが、今回はワーグナーの作品に集中して解説する。解説は1月19日の「目からウロコ!?のクラシック講座」でのレクチャーでの口述内容に加筆したものである。
解説は以下の項目から成る。
- オーケストラル・アドヴェンチャー(An Orchestral Adventure)
- ライトモチーフ
- 指輪をめぐる物語
- 登場人物
- 原曲『ニーベルングの指輪』の構成(あらすじ)
- 編曲版「オーケストラル・アドヴェンチャー」の構成
1.オーケストラル・アドヴェンチャー(An Orchestral Adventure)
オランダ放送管弦楽団の打楽器奏者で作・編曲家でもあるヘンク・デ・フリーヘル(Henk de Vlieger)が1992年にワークナーの楽劇『ニーベルングの指輪』(1851-1867作曲、以下「指輪」)を管弦楽作品として編曲したものだ。上演時間に14時間30分を要する「指輪」を、オーケストラ・コンサート内で上演可能な60分程度の管弦楽作品へと編曲した。
編曲の実際は、
- 選曲
- 選曲した曲内部の部分削除
- 削除の結果として必要となる接続のための楽句の手直し
- 声のパートの楽器への置換、である。
選曲は物語としての「指輪」の骨格の維持をめざしてなされている。周知のようにワーグナーの楽劇ではライトモチーフが駆使されて物語が描かれているので、ライトモチーフを知り、それを追いかけていくことで物語の概略をつかむことは不可能ではない。言わばフリーヘルは楽劇『ニーベルングの指輪』を交響詩『ニーベルングの指輪』として再創造したのである。
2.ライトモチーフ(Leitmotiv)
ワーグナーの楽劇では特定の人物、事物、状況、概念、感情などを示すために個別のモチーフ(動機=音楽として認識可能な最小単位)を設定し、その出現、複数のモチーフの組み合わせ、出現の度の変奏、などによって物語を描く。ライトモチーフを理解していると、音楽が何を描いているかも理解できるわけだ。これは今日我々が映画やTVドラマの付随音楽で日々慣れ親しんでいるものと同じである。かつての人気TVドラマ『必殺仕掛人』ではそれぞれの仕掛人(殺し屋)に特定の音楽が割り当てられていて、その音楽が聞こえてくるとどの仕掛人が現れ活躍するかが予測できるようになっていたが、それと同じである。
「指輪」には200ほどのライトモチーフが存在すると言われている。出版楽譜にはライトモチーフを最初に明示しているものもある。左の図は楽劇『ニーベルングの指輪』のライトモチーフ表で、80ばかりのライトモチーフが譜例として提示されている。
ライトモチーフには、音楽それ自体が何を意味しているか分かりやすいものと、音楽の外観やイメージとは関係なく作曲者が任意に設定しただけにすぎないものと、2種類ある。前者は物音の描写やストレートな感情の表出、人物の外形や表面的イメージなどに関係するライトモチーフである。後者は主に概念を表すもので、これは事前にそのことを知っていないと意味の理解は不可能だ。なお、音楽それ自体をたのしむだけならばライトモチーフをあらかじめ知っておく必要はない。ただしライトモチーフを追いかけながら聴くのも、それはそれでひとつのたのしみでもある。
3.指輪をめぐる物語
「指輪」は神話なので、その設定自体に現代人には理解不能なことがある。おまけにその神話とはドイツ神話や北欧神話であり、我々日本人にはきわめて縁遠い世界で、なじみがない。なによりも登場人物がやたらに多く、登場人物がそれぞれに背景をもって出現しており、ちょっと筋書きを読んだだけでは理解困難なことが多い。そこで理解するために単純化をして以下の説明を行う。
まず主題となる指輪とは何かを説明する。
- 指輪の材料となる黄金はライン河の底にあり、3人の乙女(妖精)によって守られている。
- この黄金からつくられた指輪の所有者は世界を支配する力を得ることができる。ただし所有者になるためには愛の断念が前提となる。
- 指輪の所有者は無限の「不安と恐怖」におびえ、世界を「支配する力」を得ても「利益を得ることはない」という呪いが与えられる。
しかし不安と恐怖(上記3.)があっても、世界を支配する力(上記2.)に惑わされ、指輪の争奪が始まる。指輪は以下のように所有者が変わる。
- アルベリヒ:ニーベルング族(小人族)の長アルベリヒはライン河の乙女たちから黄金を奪い、指輪をつくる。
- ヴォータン:神々の長ヴォータンはアルベリヒから指輪を奪う。
- ファゾルドとファーフナー:巨人族兄弟は城建設の代償として、ヴォータンから黄金と指輪を受けとる。
- ファーフナー:巨人族の弟ファーフナーが兄ファゾルドを殺して指輪を独り占めする。大蛇に化身して指輪を守る。(その後しばらくこの状態が続く。)
- ジークフリート:ジーグフリートは大蛇に化身したファーフナーを殺害し、指輪を奪う。
- ブリュンヒルデ:冒険の旅に出るジークフリートからブリュンヒルデは指輪を譲られる。
- ジークフリート:ハーゲンの策謀にはまって錯乱したジークフリートはブリュンヒルデから指輪をもぎ取る。
- ブリュンヒルデ:ブリュンヒルデが殺されたジークフリートから指輪を抜き取り、指輪とともに火の中に飛び込む。
- ラインの乙女:ライン河の洪水の最中、乙女たちが指輪を取り戻す。
神話であるので指輪の所有者は人間ばかりではない。以下が所有者の属性です。括弧内は主たる居場所を示します。
- 神(天上)
- 人間(地上)
- 小人族=ニーベルング族(地底が主たる居場所)
- 巨人族(洞窟?)
- 妖精(ライン河)
4.登場人物
上記の指輪の所有者となった人物を中心に登場人物の紹介する。まず以下の4名が「指輪」全体の主役級の登場人物である。
ヴォータン(神):神々の長、権勢欲の権化。栄光と永遠の権力の象徴としてヴァルハラ城を建設。数名の女神との間に9名の娘をもうけ、彼女たちをワルキューレ(処女戦士)として育て、ヴァルハラ城を守らせる。アルベリヒの復讐を怖れており、それに対抗するために人間界の英雄をつくろうとする。人間女性との間にできたジークムントと、その息子のジークフリートがそうである。特に後者によってアルベリヒに指輪が渡るのを阻止する。
アルベリヒ(小人族):地底に住む小人族=ニーベルング族の長、醜い容姿にコンプレックスを抱く。愛を断念することでラインの黄金を奪い、指輪や変身頭巾をつくって世界支配をもくろむ。その邪魔をしたヴォータンを恨み、復讐心に燃えている。その手段のひとつとして人間女性に黄金を与えて関係し、息子ハーゲンをもうけ、そのハーゲンに指輪を奪回させることを企てる。
ブリュンヒルデ(神):ヴォータンとエルダ(知恵の女神)との間の娘、ワルキューレ(処女戦士)の長。ヴォータンの命令に翻弄され、ジークムントを死に追いやってしまう。そのために神性を剥奪され、火の中で眠らされるが、ジークムントの息子ジークフリートに救い出され、彼と愛し合う。しかし陰謀によって互いに憎しみ合いジークフリートを死に至らしめ、最後は指輪もろとも火の中に飛び込む。
ジークフリート(人間):人間界の英雄としてヴォータンに期待された存在。神々の世界の崩壊の不安を解消するためにヴォータンが人間女性との間に設けた双子兄妹ジークムントとジークリンデの遺児(つまりヴォータンの孫)。勇者に育ち、聖剣ノートゥングを鍛え直し、大蛇に化身したファーフナーを倒し、指輪を奪回する。火の中で眠っているブリュンヒルデを目覚めさせ、彼女との永遠の合いを誓い合うようになるが、ハーゲンの策謀によって殺害される。
上記主役以外でもある程度重要な登場人物として以下の者がいる。
- ファフナー:巨人族の弟。ヴォータンから黄金と指輪をヴァルハラ建設の代償として受け取る。指輪の呪いで兄ファーゾルトを殺してしまう。大蛇に化身して黄金と指輪を洞窟の中で守る。
- ジークムントとジークリンデ(人間):ジークフリートの両親。ヴォータンが自分の意思を実現するために人間女性との間にもうけた双子兄妹。ジークムントはヴォータンの心変わりによって見捨てられる。
- ローゲ(半神半人):火の神。奸智に長けていることでヴォータンが重用するが、必ずしもヴォータンの意に沿うようには働かない。
- ミーメ(小人族):アルベリヒの弟。鍛冶職人。アルベリヒに反発するが、指輪の奪還を密かに目論んでジークフリートを育てる。
- ハーゲン(人間):アルベリヒの息子。アルベリヒの志を密かに継いで指輪の奪還を企て、ジークフリートを殺害する。
- グンター(人間):ライン河沿いの王国の主。ハーゲンの異父兄。ハーゲンに操られてジークフリートとブリュンヒルデの仲を裂き、ジークフリートを死に至らしめる。
5.原曲『ニーベルングの指輪』の構成(あらすじ)
序夜「ラインの黄金」(上演時間:2時間30分)
- ラインの黄金と指輪の所有をめぐる経緯が語られる。ヴォータン(天上)とアルベリヒ(地底)との対立。神々の世界の維持に関するヴォータンの不安を打ち消す象徴としてのヴァルハラ城の存在。ヴォータンの行動の要がアルベリヒからの指輪の奪還。
第一夜「ワルキューレ」(上演時間:3時間20分)
- ヴォータンが人間女性との間に生ませた双子の兄妹(ジークムントとジークリンデ)の数奇な運命と、それに加担したブリュンヒルデへの罰をめぐる経緯が語られる。不義の子ジークフリートを身ごもったジークリンデを、ブリュンヒルデはヴォータンの命令に逆らって救出。怒ったヴォータンはブリュンヒルデを炎に閉じ込める。彼女をそこから救い出す人間の英雄の出現を期待し、その英雄こそが指輪を奪還できるとさらに期待。
第二夜「ジーグフリート」(上演時間:3時間50分)
- ジークフリートが指輪を奪還し、ブリュンヒルデを炎から救出する経緯が語られる。アルベリヒの弟ミーメは孤児ジークフリートを養育。大蛇に化身した巨人族ファーフナーから指輪を取り戻すためにジークフリートの力を利用する。ジークフリートは大蛇を倒すための剣を再生し、大蛇を倒し、指輪を手に入れ、様々な力(小鳥の声を言葉として聴く力等)を身につける。指輪を奪おうとしたミーメを殺害したジークフリートは、炎に閉じ込められたブリュンヒルデを救出し、結ばれる。
第三夜「神々の黄昏」(上演時間:4時間20分)
- 英雄として冒険の旅に出たジークフリートがブリュンヒルデを裏切り、自らも殺され、最後に指輪がブリュンヒルデとともに火の中に投じられ、そのことでラインの乙女たちが指輪を取り戻す経緯が語られる。冒険の途次、ジークフリートはライン河沿いのギービヒ家に寄宿。そこの主グンターの異父弟ハーゲン(父はアルベリヒ)は指輪を取り戻すために策謀し、グンターの婚姻を利用してジークフリートとブリュンヒルデの仲を裂き、ジークフリートを殺害。絶望したブリュンヒルデは指輪をライン河に返すことを宣言し、自らは火に飛び込む。地上世界では洪水が起き、天上世界ではヴァルハラ城が炎につつまれる。
6.編曲版「オーケストラル・アドヴェンチャー」の構成
1992年にオランダの打楽器奏者・作曲家ヘンク・デ・フリーヘル(Henck de Vlieger)が編曲。エド・デ・ワールド指揮のオランダ放送管弦楽が初演。
休みを置かずに連続して演奏される14曲から成り、管弦楽編曲上演時間は約65分。14曲と原曲との関係は以下のようになっている。
- 前奏曲(4:40) ‥‥‥「ラインの黄金」前奏
- ラインの黄金(2:00) ‥‥‥「ラインの黄金」第1場
- ニーベルハイム(2:20) ‥‥‥「ラインの黄金」第2場〜第3場
- ヴァルハラ(3:35) ‥‥‥「ラインの黄金」第4場
- ワルキューレたち (3:55) ‥‥‥「ワルキューレ」第3幕前奏曲〜第1場
- 魔の炎の音楽(3:35) ‥‥‥「ワルキューレ」第4幕第3場
- 森のささやき(2:15)‥‥‥「ジークフリート」第2幕第2場
- ジークフリートの英雄的行為(6:40)‥‥‥「ジークフリート」第2幕第2場
- ブリュンヒルデの目覚め(6:15)‥‥‥「ジークフリート」第3幕第2場〜第3場
- ジークフリートとブリュンヒルデ(4:20)‥‥‥「神々の黄昏」序幕
- ジークフリートのラインへの旅(5:40)‥‥‥「神々の黄昏」序幕
- ジークフリートの死(5:45)‥‥‥「神々の黄昏」第2幕第4場
- 葬送行進曲(6:10)‥‥‥「神々の黄昏」第3幕第2場
- ブリュンヒルデの自己犠牲(8:50)‥‥‥「神々の黄昏」第3幕第3場
第1曲:前奏曲
静かな穏やかな動きのテンポ。変ホ長調の主和音の持続によってラインの黄金が眠るライン河の自然や波や流れの様子を描写する。4分以上の間、和音が変化せず変ホ長調の主和音の持続のみで音楽が形成されるめずらしい例。
第2曲:ラインの黄金
前の部分と同じようなテンポのまま、よどみない表情が強調される。黄金の存在は示され、ラインの黄金を守る3人の乙女が黄金の美しさを讃え、アルベリヒに対してからかいつつ黄金の存在を誇示する。
第3曲:ニーベルハイム
早いテンポで地底の国ニーベルンゲンの様子が描かれ、ニーベルング族がそこで金床の音を響かせて金細工をしている。指輪の動機が時々挿入される。ニーベルングの動機そのものは8分の9拍子によるリズムが特徴的で、ここから派生するリズム動機による音楽がきわめて動的な様相を見せる。
第4曲:ヴァルハラ
ヴォータンは巨人族に黄金と指輪を与えることでつかの間の平安を得、神々とともにヴァルハラ城へ入る。天上世界の荘厳さが、中庸のテンポによって静かに表現される。
第5曲:ワルキューレたち
勇敢な戦士たちの遺体をヴァルハラ城に持ち帰り、その遺体を神々のために蘇られることがワルキューレたちの仕事である。ブリュンヒルデはヴォータンの命令に逆らい、ジークフリートを身ごもったジークリンデを連れてヴァルハラ城に戻る。いくさ乙女であるワルキューレが馬でヴァルハラ城にかけつける様子を活発な速いテンポで表現する(多くの映画音楽に用いられる有名な音楽)。第4曲から一転して動的な表情を見せるのが効果的。
第6曲:魔の炎の音楽
ヴォータンはブリュンヒルデを眠らせ、目覚めたら人間の妻になるように定める。ただし彼女の周りを炎で覆い、それを乗り越えた勇者のみが夫となるように仕組む。中庸のテンポによって、魔法の火がつけられ、ブリュンヒルデが火に包まれていく様子を表現する。ただし火の神の動機と焰を動機とによる音楽は燃えさかる様子を描写したものではなく、これらの火の性質(神がもたらした火であり、焼き殺すのではなく眠らせる火であり、英雄による消火を期待する火でもある)を描いたもので、平静な外観と、その背後に魔法が潜んでいるような雰囲気を感じさせる。
第7曲:森のささやき
ジークフリートは大蛇に化身したファーファルトから指輪を奪うために森奥の洞窟に向かう。そこで自然の中で小鳥たちの鳴き声を聴く。小鳥のライトモチーフは小鳥の鳴き声を模していて、その音楽はきわめて情景描写的である。
第8曲:ジークフリートの英雄的行為
勇敢なジークフリートを象徴する角笛が鳴る。これは舞台上におけるジークフリートの演技と合わせて演奏される。やがて音楽は洞窟の中での大蛇退治を描写する音楽になり劇的な様相を示す。
第9曲:ブリュンヒルデの目覚め
ジークフリートが炎の壁を破りブリュンヒルデを目覚めさせ、愛し合う。ここでは焰の動機による音楽がはじめのうち展開される。さらに非常にゆっくりしたテンポで音楽が展開され、次の第10曲の英雄(ジークフリート)の動機、 ブリュンヒルデの動機の出現を導く。
第10曲: ジークフリートとブリュンヒルデ
冒険の旅に出るジークフリートへのしばしの別れの際の愛の歌。非常に静かだが、「引き摺りすぎない」とのテンポの指示があり、勇敢さを表すジュークフリートの英雄の動機と、細やかな愛情を示すビュルンヒルデの動機とが対照の妙を示す。ブリュンヒルデの動機における声部の絡み合いが技巧的でじつに美しい。
第11曲: ジークフリートのラインへの旅
勇敢なジークフリートが旅に出るのを見送るブリュンヒルデ。単純なリズムだが、活気のある旋律線の音楽が展開する。
第12曲. ジークフリートの死
ブリュンヒルデはハーゲンの策謀によってジークフリートに裏切られたと思い込み、ジークフリートを死へと導く。半音階的和声によって深刻な感じの音楽が展開される。
第13曲:葬送行進曲
ハーゲンに背中を刺されたジークフリートは死ぬ。そこから葬送の音楽が、強烈な印象を与える死の動機によって開始される。
第14曲: ブリュンヒルデの自己犠牲
ハーゲンの策謀に気付いたブリュンヒルデは炎を中に身を投げる。その際、すべての災いの元になった指輪をライン河に返す。これまで出現してきた様々な動機がこの曲において展開されるが、最も印象的なのがこの曲の開始として用いられる契約の動機(下記譜例の2小節目2拍目からの音階下行音型)であり、悲劇的表情を強調する。しばらくは劇的に展開していくが、最後は救済の動機が現れて静かに曲を閉じる。