9月22日(金)九州交響楽団第361回定期公演の聴きどころを紹介します。名曲解説全集などですぐに知ることができるようなことは書いていません。楽譜の使用も最小限に留めます(譜例はクリックすると拡大表示されます)。自由に個人的な視点で書いています。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にあります。
演奏曲目
- モーツァルト/交響曲第35番 ニ長調K.385「ハフナー」
- ストラビンスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ調
- フランク/交響曲ニ短調
指揮者は人気急上昇中のイタリア人指揮者ガエタノ・デスピノーザ、ヴァイオリン独奏は韓国出身で多くのコンクール優勝歴のある気鋭のチャン・ユジン。
演奏曲目はすべて「ニ(D)」を主音とする調による音楽です。この調は弦楽器の開放弦に調の重要な主音・属音を含んでいるためによく響きますし、重音などが弾きやすくもあり、弦楽器を独奏楽器とする協奏曲にはよく用いられます(ちなみにベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスなど、いずれのヴァイオリン協奏曲もニ(D)を主音とする調です)。
モーツァルト/交響曲第35番 ニ長調K.385「ハフナー」
ヴォルフガング=アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が1782年にセレナードとして作曲し、翌年に彼自身の予約演奏会のために交響曲に編曲した作品です。ハフナーはモーツアルト家とも親交のあったザルツブルク市長の姓です。そのハフナーの爵位授与のお祝いのイベントためにセレナードは作曲され、それが交響曲の愛称になっています。
この曲は創意に満ちた曲です。この後のモーツァルトの交響曲の傑作群の始まりを告げる作品です。
まず、ソナタ形式の第1楽章第1主題が実に個性的であり、それがこの曲の魅力のもとになっています。(譜例1)
主音ニ(D)のオクターブ(声部によっては2オクターブ)の跳躍で第1主題が開始されます。非常に印象的です。跳躍を度外視して音名だけで見ると実は同音反復を特徴とする主題になります(上記譜例1に同音反復の箇所を点線で示しています)。この同音反復はこの交響曲の他の楽章の主題を構成する原モチーフでもあり、そのことによって全体の統一が保証されることになります(譜例2a,2b,2c,2d)。
オクターブの跳躍を力強く感じさせるために、最初の2音を長く延ばします。楽式論的にはいびつな形になります。凡庸な作曲家が同様のアイデアを楽式的整合性を狙って書くと次のような間の抜けた主題になってしまうでしょう(譜例3)。
さらにこの楽章の変わったところは第2主題が明確には存在しないことです。調性構造的には第2主題部と思われるものは明らかに存在します。しかしいずれかの声部につねに第1主題が鳴っており、第2主題と思われるものは副声部の位置づけに置かれ、またそれがまとまりを作らないままに進行してしまいます。
従来、ソナタ形式では提示部を反復するのが一般的なのですが、この楽章では提示の反復記号がなく、反復されません。そもそも提示部が反復されるのは主題をしっかりと認識してもらい、展開部での展開の様子をよりよく理解してもらうためものです。しかし主題が実質的に第1主題のみであると、再現がなくても主題の認識にはそれで十分であるということなのでしょう。それはまさにその通りです。
ストラビンスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ調
ストラビンスキーは「カメレオン作曲家」と呼ばれることがあります。時代と状況によってたびたび作風を変えたことを揶揄してそう言われたのです。作風の変遷は細かく見るといろいろとあるのですが、大まかに原始主義時代(〜1920)、新古典主義時代(〜1950)、十二音技法時代(1950〜)の三つに分けることが一般的です。
ロシアバレエ団プロデューサのディアギレフの要請に応えて初期はロシア的な素材を前面に出した作品を書いています。「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」「結婚」などのバレエ曲がそれで、非ヨーロッパ的なロシアの土俗的な音楽的素材によっています。
第1次世界大戦後、ディアギレフはこれまでとはまったく傾向の異なるバレエ曲の作曲をストラヴィンスキーに命じます。イタリアバロック音楽に範をとった音楽がそれです。ここから中期の新古典主義の時代が始まります。
ストラヴィンスキーの原始主義と新古典主義それぞれの作曲原理はじつはそれほど違いがありません。素材の音感の違いだけなのです。ロシア的素材とバロック的素材の違いが音楽的雰囲気やイメージに違いを与えているのです。
ではストラヴィンスキーの原始主義と新古典主義との間で共通する作曲原理とは何なのでしょうか。
それはある楽節(まとまった音楽として捉えることができる単位)とその次の楽節への連結に調的関連がないことです。つまり楽節の連結に必然性がないのです。たとえば調性音楽ではある楽節から次の楽節へはドミナントからトニカ(安定)へというように和声進行に基づいて行われます。そこではドミナントの緊張感は解決するために次にトニカに向かうのです。この種のものがストラヴィンスキーの作品にあっては弱く、ある楽節は次の楽節にいきなり出会うことになるのです。
こうしたことをドイツの哲学者・音楽評論家T.アドルノは「絶えざる継ぎ足しの技法」、著名指揮者のE.アンセルメは「エピソードの間には内的な〈きずな〉が存在しない」などと批判しておりました。
内的なきずながあるということは、予定調和的な進行に耳を安易に委ねてしまうということです。ですから、予定調和的な進行を否定するところに生まれる音楽のダイナミズムにこそ、ストラヴィンスキーの音楽の魅力があるのです。
かつてチャイコフスキーのパトロンであったメック夫人は若いドビュッシーを家付きのピアノストに雇っていました。そのドビュッシーにメック夫人はチャイコフスキーの音楽をどう思うか尋ねました。「次の音への進行がすぐに分かってしまうので面白くない、退屈だ」とドビュッシーは答えました。ドビュッシーは来たるべき新時代の音楽、簡単に次への進行を予想させない音楽を模索していたのです。ドビュッシーはそれを控えめに実践しますが、ストラヴィンスキーはより大胆にそうした音楽を実践したのです。
ヴァイオリン協奏曲は1931年の作品で、まさに新古典主義時代に作曲されたものです。4楽章から成ります。各楽章の主題や主要旋律はバロック的とも言える素材を用いています。しかしバロック音楽ではけっしてありません。そのことに違和感を持つ人もおれば、そのことを新鮮に感じる人もいます。いずれにせよ、ストラヴィンスキーは、腕のある職人として、音楽をじつに緻密に仕上げていますので、飽きることはまずありません。
フランク/交響曲二短調
セザール・フランク(1822-1890)はベルギー生まれのフランスの作曲家です。父母ともにドイツ系の出身。名前もそれをうかがせます。しかしドイツ人はフランクのことをドイツ人などとは思わないし、フランス人もフランクのことをドイツ人扱いなどまったくしません。アメリカ国籍なのに日本生まれの方がノーベル賞を獲れば、まるで日本がそれを獲ったみたいにさわぐ日本のマスコミはおかしいし、祖父母の代から日本に住み日本生まれで日本国籍を取得した朝鮮半島出身者を「反日」呼ばわりしてヘイトスピーチの対象にしている日本人の一部もきわめておかしい。
フランクは教会のオルガニストとして地道に活動していました。50歳でパリ音楽院の教授になり、そこで学生たちに信頼され慕われ、ヴァンサン・ダンディ、エルネスト・ショーソンら後にフランキストと呼ばれる作曲家を育てます。そしてフランク自身はなんと60歳を過ぎてから本格的な作曲活動に入り、フランクの作品としてよく知られよく演奏されている作品群、たとえばヴァイオリンソナタイ長調(1886年)や交響的変奏曲(1885年)、交響曲 ニ短調(1888年)、弦楽四重奏曲ニ長調(1890年)などはいずれも60歳を超えて死の前の数年の間に作曲されたものです。
フランクはオルガニストとして長く活動していました。教会のオルガニストは既製の曲を弾くだけでなく、教会の礼拝の進行に合わせて即興演奏を行います。即興はモチーフの展開を中心になされます。その際、即興演奏の質を決定する重要要素が転調の技術です。
フランクの音楽は転調の頻繁さと転調の巧みさに特長が認められます。もうひとつは循環形式と言われる楽章間にまたがる特定のモチーフの展開を伴う出現です。交響曲ニ短調はそうしたフランクの音楽の特長がみごとに具現化された作品です。
循環形式はベルリーズの固定楽想に起源をもつ形式です。固定楽想は人物を表すモチーフを設定し、その出現とその際の変奏によって物語を語ります。フランクの循環形式は標題音楽ではありませんので、循環は曲の統一性と多様性のバランスを保証するものです。ですから循環形式であることを理解することは作品の理解の大きな助けになりますが、循環の様子を理解しなければフランクの音楽を理解したことにはならない、なんてことはありません。循環主題を一応提示しますが、あまりとらわれる必要はないかも知れません。(譜例4)
なお、筆者が音楽の勉強を始めた頃の名曲解説全集やスコア楽曲解説を読むと、フランクの音楽については判を押してように「たぎるような情熱の極点を排斥した」とか「深い宗教姓を気高く表しているに過ぎない」という語句が並んでいましたが、実際にこの曲を聴くと、きわめて激しく、劇的で、闘争心も旺盛な音楽であることに深い感動を覚えます。「情熱を排した」「宗教姓を気高く」などの決まり文句は60歳を超えた老人が書いたという先入観ゆえの浅はかな見方のように思えてなりません。むしろ60歳を超えても作曲したいというのは、熱い闘争心のようなものがなければ起こりえない心情なのです。
管弦楽は非常に巧みで、じつによく響きます。ドイツの管弦楽曲がどちらかというと音楽の構造を際立たせるために工夫を凝らしているのに対し、フランスの管弦楽曲は響きの効果を際立たせるための工夫を凝らしています。ベルリオーズの管弦楽曲にそのことが顕著ですが、フランクはこの点におけるベルリオーズの後継者でもあります。