1969年に文藝春秋から出た本である。複数の人物評伝から成っているが、題名にある吉野秀雄についての小説がメインである。その小説自体は前年の1968年に書かれている。山口瞳は戦後まもなく鎌倉アカデミアで吉野の教えを受けている。
吉野秀雄(1902-1967)
吉野秀雄は有名な歌人である。しかしそのことを私はほとんど知らなかった。吉野のことを知ったのは中村登が監督した松竹映画『わが歌わが恋』(1969年制作)を見たことがきっかけである。この映画は山口瞳の『小説・吉野秀雄先生』を原作の柱としている。これを1974年に留学中のミュンヘンで見た。ミュンヘン市立博物館がこの年にたまたま「日本映画年間」というのを催していて、そこで見たのである。吉野秀雄を第17代中村勘三郎が、山口瞳を緒形拳が、吉野夫人とみ子を岩下志麻が演じていた。感激して『小説・吉野秀雄先生』をすぐに日本から送ってもらった。
とみ子は詩人の八木重吉の未亡人である。夫重吉を若くして病で亡くし、さらに二人の子どもまでを亡くした彼女は女中をしながら一人でつつましく暮らしていた。そして昭和19年に鎌倉の吉野秀雄の家に住み込みの女中としてやってくる。その時、ふたりは初対面。吉野自身も多くの病気を抱え、また夫人を亡くし、三人の子どもを抱え、不幸のどん底にいた。時は戦争末期である。
とみ子は最初の日に大きなボストンバックを抱えて吉野秀雄の家にやってきた。やがてそのボストンバックの中身がとみ子の亡夫八木重吉の詩の遺稿であることを吉野は知る。詩を読んで感激した吉野はこれを世に出すために奔走する。今日、八木重吉の詩が多くの人に愛され高く評価されるようになったのはこの時の吉野の働きによる。山口瞳は書く「これから結婚しようとする女性の前の夫に、こんなに傾倒したり夢中になったりする男が他にいるのだろうか。わたしはそこに吉野先生の、まっすぐな心を見るような気がする。」
右から八木重吉(1898 – 1927) 、長女桃子、とみ子
さて今回、私は、40年ぶりにこの『小説・吉野秀雄先生』を読んだ。
じつはここのところ合唱曲作曲のために様々な詩を読んでいて、たまたま八木重吉の詩集を手に取った。それを読んでいて映画『わが歌わが恋』と『小説・吉野秀雄先生』を思い出したのである。映画は見る術がないので小説を再読したのである。小説には八木重吉は登場しないのだが、吉野ととみ子を通して八木重吉の世界が浮かび上がってくる。キリストへの信仰に生きた重吉の詩は信仰を同じくするとみ子への信仰告白である。遺稿を肌身離さず持っていたとみ子はその告白と対話しながら、重吉に守られ支えられて生きてきた。
八木重吉は残された写真を見ても分かるように純粋で繊細な、それゆえに悲しみを湛えた人物であることがすぐに分かる。写真に見るとみ子もじつに可憐で清澄な感じの美人。彼女の存在こそが八木の詩の創作の源泉であると思う。しかしそれはプライベートな閉じられたものではなく、信仰という神への問いかけの崇高な世界に道を開くものである。吉野秀雄はとみ子を愛しているが故に、その道を理解し、重吉の世界を高く評価したのである。そしてそれが今日に残っているのである。
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