芸工パフォーミングアーツ・プロジェクト『神立(かんだち) 〜神になった男MICHIZANE〜』の公演が2015年2月7日(土)18:00〜、2月8日(日)15:00〜の2回公演で、九州大学大橋キャンパス多次元デザイン実験棟ホールにて催される。
私はこのプロジェクトのワークショップ・ディレクターをつとめ、公演作品の構成・演出を担当している。それらの立場から、この公演とそれに関わるワークショップについて解説したい。
「神 立」
作品タイトルの「神立(かんだち)」とは雷、雷鳴のことであり、菅原道真(845~903年)を指す。その道真は「天神」様と呼ばれている。地神に対する天神であり、天神は雷神を意味している。
道真の死後、京の都では清涼殿(朝廷の中心となる建物)に雷が落ちて多くの人が亡くなった。大宰府に左遷され失意のうちに亡くなった道真の祟(たた)りだと当時の人々は信じた。この祟りを鎮めるために道真を雷神すなわち天神として祀ったのが全国各地にある天神社(やしろ)である。太宰府天満宮も、福岡の地名「天神」の由来となった水鏡天満宮も天神社である。
次代が下るにつれて、道真への鎮魂の意味が薄れ、天神は学問の神様として崇拝され、親しまれるようになった。
主 題
道真をめぐる物語の核心をなすのは祟りである。昔の人々は祟りを恐れた。祟りへの恐れが人々の行動を律していた。そしてその恐れが鎮魂の行為をもたらした。そこには人間の力をはるかに超えたものへの畏敬の念が通底する。こうした一連の関係をこの作品の主題とした。
ブリコラージュによるパフォーミングアーツ
パフォーミングアーツとは舞台芸術全般を示す総称である。しかし芸工パフォーミングアーツ・プロジェクト(以下、芸工PAP)では、従来のダンスや演劇、音楽などのジャンルを超越した新たな舞台芸術、換言すれば複数ジャンルの融合による新たな舞台芸術という意味でパフォーミングアーツをとらえている。私自身は、ブリコラージュ(Bricolage)による舞台芸術をパフォーミングアーツと呼ぶようにしている。
ブリコラージュとは、理論や設計図に基づいてものを作るやり方とは対照的なもので、その場で手に入るものだけを寄せ集め、それらを素材として何が作れるかを試行錯誤しながら、最終的に新しいものを作ることである。そこには創造性の他に機智が必要とされる。
ワークショップを通しての作品づくり
本公演は、一部のスタッフを除いて芸工PAPのワークショップ参加者によって制作上演される。したがって作品づくりは意図せずしてブリコラージュ的になる。なにしろ募集に応じたワークショップ参加者は活動領域も専門も、その技能も、また参加目的も様々である。それに芸工PAP自体も人材養成が本来の目的であり、公演はワークショップの成果のひとつであって、毎回のワークショップは公演のための練習の機会という位置づけではなかった。
そのワークショップでは、物語をつくることから、身体で表現すること、身体表現を彩るために音を使うこと、音自体をつくること、照明で舞台空間を構成すること、舞台空間に意味を語らせるためにオブジェを使うことまでの、様々な実践体験を行った。
物語の構成
作品全体は3部に分けられ、9つの景と1つのエピローグから成る。
第1部「道真の怨霊」(物語の中の現在)
〈第1景〉道真は左遷された大宰府で京の都を偲びつつ寂しく暮らしている。やがて失意のうちに亡くなる。
〈第2景〉その直後から都では天変地異がつづき、清涼殿に落雷があり、多くの要人が亡くなる。時の天皇をはじめ朝廷の者たちはそれを道真の祟りだと思うようになる。
第2部「道真の栄光と挫折」(物語の中の過去)
〈第3景〉大宰府に左遷される前、道真は右大臣まで上りつめ得意の絶頂にいた。
〈第4景〉左大臣の藤原時平とその一党は学者に過ぎなかった道真が政治家として権力を伸ばしていることに不安を感じ、道真追い落としを画策して天皇に讒訴(ざんそ)した。天皇は無実の道真の官位を剥奪し、左遷する。
〈第5景〉道真は大宰府に向かう。その出立の日、彼は梅の花に語りかけた。「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春をわするな」
〈第6景〉道真は悄然として大宰府での日々を送り、便りの途絶えがちな京の都をなつかしんだ。「つくしにも紫生ふる野辺はあれど、なき名悲しむ人ぞ聞こえぬ」
第3部「道真、神になる」(再び物語の中の現在から、現実世界の今へ)
〈第7景〉大宰府では道真を慕う人々が道真の遺骸を牛に載せて運ぶ。
〈第8景〉京の都では天皇や朝廷の者たちが道真の霊を鎮めるための祈祷を必死になって行っている。
〈第9景〉道真の遺骸を運んでいた牛はある場所で動かなくなる。道真を慕う人々はそこに寺を建立する。それが現在の太宰府天満宮である。
〈エピローグ〉現代では道真は天神様として多くの人々の崇拝の対象である。太宰府天満宮では、今年の元旦の3日間、大雪にもかかわらず70万人以上の参拝があったそうな。
みどころ・ききどころ
作品は2名の独舞(ひとりまい)(AとB)と群舞によるダンス・パフォーマンスを中心に進んで行く。独舞Aは梅の花の精であり、道真の世界を象徴的に演じる。独舞Bは道真と敵対する世界(当天皇や藤原時平、朝廷の者たち)を象徴的に演じる。群舞はギリシャ悲劇のコロスに相当し、状況説明を言葉ではなく身体動作で表現する。ダンサーの衣装も注目である。
ダンス・パフォーマンスは舞台上の動きのみでなく、インタラクティブ・システムで処理された映像としても表現される。
音はダンスのためにあらかじめ作曲・録音された音楽の再生を基調とする。そこにライブによる音楽演奏に物音や効果音が加わる。物音や効果音は進行に合わせて手動で鳴らされるだけでなく、インタラクティブ・システムを通してダンサーの動きに反応して自動的に鳴るような仕掛けが施されている。それらによって音には身体動作の補助や状況説明以上の働きが与えられる。
なお、第9景において大宰府での道真自身の最後の思いや道真を慕う人々の想いが無伴奏で次のように歌われる。
風よ吹くな 花散る前に
風よ吹くな 夜明けの前に
散ったならば 思い起こせ
我が庭に咲く 梅の花
遠く京を 離れし君は
遠く京を 偲びて泣きぬ
肘を枕に 一人眠り
過ぎにし日々を 思いだし
風吹け 花咲け 匂い起こせよ
風吹け 花咲け 我を忘れるな
喚(よ)べよ我を 光の方へ
祀(まつ)れ我を 光の中で
清らかな 人なる君は
神に なりたもう
(中村滋延 詩)
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