6月13日、FFGホール、天神でクラシック、下野竜也指揮
下野竜也の楽曲解説が抜群に面白かった。語り口だけではなく、内容の点でも。当たり前の話しだけれど、よく勉強している点に感心した。対象楽曲はドヴォルザークの《新世界より》で、その良さを説明するのに別バージョンで演奏してみるとかの工夫があり、音楽学者や評論家などがマネのできない、まさに現場にいる者だけが持ち得る勘が冴えわたっていたレクチャーだった。こういうのはもっと聞きたい。

6月19日アクロス福岡シンフォニーホール、九響333回定期、小林研一郎指揮九響交響楽団「コバケンともう一人のクライバーンコンクールの覇者
九響定期、久しぶりに心からたのしみ、感激しました。久しぶりにブラボー叫びました。コバケン指揮のドヴォルザークの交響曲第8番。何なんでしょうね。音が鳴り出したら一気に引き込まれてしまいました。ウマイヘタとかを超越して(もちろんヘタなわけはないが)、音の鳴り始めから非常に耳が集中したのです。一音も聴き漏らすまい、という気に自ずとなったのです。
最後に(アンコール前に)コバケンはごく短いトークをしましたが、これがまたよかった。音楽を愛する気持ち、聴衆に音楽を提供することの出来る幸せ感がコバケンからにじみ出ていました。
「聴衆に音楽を提供することの出来る幸せ」、これかな、コバケンが聴き手を惹きつけたのは。

6月20日、新国立劇場、オペラ《鹿鳴館》(三島由紀夫原作、池辺晋一郎作曲)
東京の新国立劇場でオペラ《鹿鳴館》(三島由紀夫原作、池辺晋一郎作曲)を視た、聴いた。
まず、音楽について。作曲家の立場から言うと、とにかくうまい、さすが池辺。日本語の抑揚を活かした声のパート、色彩感豊かで表情力満点の管弦楽パート、また音楽としての最終盤の盛り上がりも聴き応え十分。
ただ、オペラとしては疑問符がいくつか。三島由起夫が書いた戯曲をほぼそのままテキストとして用いているため、言葉のやりとりばかりで劇が進行していき、劇としても音楽としても盛り上がりが乏しい。これが演劇そのものであれば、言葉の口調や俳優の表情で観客を惹きつけること必至。そもそもオペラではこうしたテキストの細かい表現は無理。オペラはテキストで全てを語らせることはできない。音楽と一緒に語るのだ。演劇のための台詞をオペラにそのまま使うのは間違っている(《夕鶴》は例外中の例外)。
演奏は飯森範親指揮の東京フィルハーモニー。指揮は適確。オケの演奏も悪くない。歌い手も十分に聴かせた。舞台美術も斬新。
ホント、オペラっていいね。作曲途中の我がオペラ、完成させるべく、意欲が湧いてきた。

6月27日、アクロス福岡シンフォニーホール、シャンバダール指揮ベルリン交響楽団
アクロス福岡のでシャンバダール指揮のベルリン交響楽団を聴いた。曲目はベートーヴェンのエグモント序曲、皇帝、第7番。ピアノ独奏はヴァレンティーナ・リシッツァ。
高い入場料払っているので、演奏アラさがし馬鹿らしく、批評家目線は封印して、その分、たのしむことに集中しました。一応、たのしむことは出来ました。
ただ、全プログラムがベートーヴェンというのはきつい。ベートーヴェンは“濃い”音楽の代表。特別の意図があるならともかく、普通はこういうことあまりしない。
指揮者もオケも現代音楽なども得意にしているということなので、それも含めてもう少し演奏曲目に幅をもたしてほしいね。日本人なんてベートーヴェン聴かせておけばよい、などとは思っていないと思うけど。海外からのオケが、いわゆるよく知られた曲目ばかりするのが、正直、私は不満です。