6月22日あいれふホールでの「永野哲と仲間達vol.1―日本人の歌心とアメリカンなティンパニ作品」を聴いた。
永野は2009年に定年退団を迎えるまで九響(九州交響楽団)のティンパニ奏者を30年以上務めた。彼の在籍当時の九響のコンサートでは、永野のティンパニが鳴り始めた途端、管弦楽全体の演奏がピシッと締まって聞こえはじめたことを何度か経験している。
今回のコンサートは、退団後指揮者として活動しはじめた永野がティンパニ奏者としての存在感を久しぶりにアピールしたものとなった。曲目は、杉浦正嘉《in》、武満徹《Songs》、伊福部昭《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》、ジョン・ベック《Three Movements for Five Timpani》、サム・ラッフリング《Timpani Concert》。共演はメゾソプラノが小野山幸夏、ピアノが山田珠貴。うち、杉浦とラッフリングの作品がティンパニ独奏曲。武満作品はショット版ピアノ伴奏楽譜をもとにティンパニパートを付加したもの。ラッフリング作品はティンパニとピアノ編曲伴奏による二重奏。
いずれも楽曲内容を十分に把握し、鍛えられた技にもとづくすばらしい演奏。楽曲内容の十分な把握は、音量変化のつけ方、間のとり方、余韻の鳴らし方に具現されていた。鍛えられた技は、バチの万全の運動性にあることはもちろん、ペダルの扱いの的確さに特に具現されていた。
演奏曲目の中で白眉と言えるものは伊福部昭《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》である。声とティンパニの二重奏がこれほど表現力に満ちたものであったのかということに、正直、驚いた。メゾソプラノの小野山は声量十分、声に艶があり、表情付けが巧みで音楽の細部までもらさず聴き手に届けてくれる。それに対する永野のティンパニは、この楽器の音色の多様性を存分に引き出し、また表現の幅を大きく取って声のパートを対位法的に支える。冒頭から最後まで、聴き手(である私)はその集中を切らすことなく、聴き入ってしまった。また伊福部の作品自体も実によく出来ている音楽――まとまりがあるが多様性に富み、表情の変化が聴き手を飽きさせない音楽――であり、前衛に凝り固まっていた30年以上前の私は、伊福部の音楽を否定しまくっていたけれど、勘違いも甚だしかったと思う。
サム・ラッフリング《Timpani Concert》も山田珠貴のピアノ伴奏も含め感動的な演奏。次はぜひとも管弦楽伴奏のオリジナル版で聴いてみたい。九響は永野の永年の功績に応えるためも含めて、こうした協奏曲を九響の演奏会で取り上げてほしい。
ティンパニの表現力に驚嘆
(中村滋延)