中村滋延:
《6つの哀歌(Six Laments)》ソプラノと管弦楽のための (初演)
Shigenobu NAKAMURA : “Six Laments” for Soprano and Orchestra (world premiere)
21世紀になってからインドや東南アジアの古典芸能や民族造形の主要モチーフに
なっている叙事詩「ラーマヤナ」の世界に惹かれ,創作上の啓示を受け続けている。
オーケストラ・プロジェクト2002及び2006で発表した2つの交響曲《レリーフの回廊(第3番)》《ラーマヤナ愛と死(第4番)》もラーマヤナに想を得た作品。この《6つの哀歌》もそうであり,魔王ラーヴァナに攫われ幽閉されたシータ(ラーマの妻)の哀しみの歌である。歌詞そのものは私の創作である。
- (I)過去に思いを馳せ
- (II)自身を励まし
- (III)ラーマとの思い出を語り
- (IV)不安にかられ
- (V)悔恨のあまり絶叫し
- (VI)一転,静かに死を覚悟する
という6つの部分から成る。
オリジナルは今年の「サントリー芸術財団サマーフェスティバル2011」でも上演された2008年初演の《ラメント(哀歌)》(ソプラノとコンピュータ音響,ビデオ映像のための)である。
その管弦楽バージョンである本作は,ビデオ映像の代わりに豊かな管弦楽の音色を表面に出し,さらにそれを強調する態で管弦楽のみによる前奏曲と間奏曲,後奏曲を付け加えた。つまり連続して演奏される Prelude(Allegro) – I.(Adagio) – II.(Larghetto) – III.(Moderato) – Interlude(Allegro) – IV.(Andante) – V.(Moderato) – VI.(Larghetto) – Postlude(Allegro)の9楽章から成る。
ラーマヤナは王子ラーマの成長譚である。このラーマヤナに惹かれている理由を短い字数で説明する術を私は持たない。強いて言えば,その物語の細部のエピソードに表れた西洋世界の一神教的価値観とは明らかに異なるある種の「いい加減さ」に惹かれ,そこに「癒し」を得ているのだと思う。
実はラーマヤナに想を得て作曲するようになって以降,グローバルな“現代音楽”に耐えきれなくなってきた。今は,ローカルに徹して作曲しようと思っており,この作品もまさにそうした作品。つまり,同時代の身近な人々に聴かれたい,喜ばれたい,愛されたい,という思いが私の作曲を支配するようになった。西洋芸術音楽(クラシック)の進歩史観の中にある“現代音楽”から見れば堕落以外にないだろうけれど。
「未来へのアナログ遺産」という今回のコンサートのテーマについては,この「アナログ」を,最近のコンピュータに代表される「デジタル」との対比で捉えている。きわめて単純。コンピュータを用いたデジタルアートを一方で展開している私にとって,オーケストラはアナログであり,その両方の創作に携わっていることで精神的なバランスを保っている。