オーケストラ・ライブ・シネマ「チャップリン 黄金狂時代」を聴いた(3月9日,アクロス福岡シンフォニーホール)。映画の上映に合わせて音楽をライブで演奏するというイベントである。演奏は斉藤一郎指揮の京都市交響楽団。
 映画『黄金狂時代』(1925年)はサイレント映画時代のチャップリンの名作で,スラップスティック・コメディの典型である(この映画に使われたギャグは今でも志村研がまねをしている)。しかしサイレント映画といっても,音がなかったわけではない。音楽は上映の際に演奏されたし,語り手も台詞を語ったり情景説明を行った。ただし,それは同一のものが毎回再現されるわけではなく,また映像に同期していた訳ではない。したがってサイレント時代の映画作家たちはそうした音がなくても音が感じられるように俳優に演技させ,撮影し,編集したのである。
 チャップリンのサイレント映画時代の作品はDVDなどではほとんど音楽と効果音(もの音)付きで見ることが出来るが,私などは音を消して鑑賞することが多い。特に効果音に関しては,それが鳴らされない方がおもしろいのである。なぜならば,すでに映像だけで音を感じさせるようにしているからであり,音が鳴ると音を想像しながら見るという楽しみを奪われるからである。
 『黄金狂時代』はスラップスティック・コメディであるから,音楽によって俳優の動きがより活き活きとしたものに感じられる。チャップリン作曲の音楽(実際には彼は楽譜が書けなかったのであるから,アレンジャーをはじめとしてかなり他人の補助が入っているだろうし,既存の曲からの借用部分も多い)は1942年に作られたもので,まさに映画を活き活きとしたものに再生させるように作られている。斉藤と京都市交響楽団は,1時間半の間,見事に映像に同期させて,途中にだるみをつくることなく演奏し,このイベントを文句なしに楽しめるものに変えていた。
 イベント自体は値打ちのあるものであったが,プログラム冊子はもう少し何とかならぬものか。演奏前に若干の解説があったものの,今回のイベント対するもう少し詳しい情報がほしい。例えば,チャップリンの映画の中で『黄金狂時代』がどのような位置づけにあるのか,チャップリンの音楽が実際はどのような手続きで作曲されたのか,その初演はどのようになされ,どのような評価を得たのか,サイレント映画において音・音楽はどのように表現されていたのか,現代においてサイレント映画を音楽付きで上映するのはどのような意義があるのか,など。私自身はそうしたことを知っているが,こうしたことが単に「おもしろかった」という一過性の次元で捉えられるのではなく,映画や音楽についての創造的興味を聴衆に喚起させることの重要性を問題にしているのである。実は,そのような手間が,着実に演奏会の聴衆を増やしていくことにつながっていると思うのである。