現代の音楽鑑賞形態は実に多様である。CD,DVD,テレビ,ラジオに加えて,インターネットを経由してのiTune,YouTubeなどからの音楽視聴も一般的になりつつある。音楽供給のメディアは多様であるが,こうしたメディアの特性上,ローカルよりもグローバルが優先されてしまう。そこでは言葉や慣習,気候風土などの違いを無視して音楽が供給される。
それと比較するとコンサートという音楽鑑賞形態はローカルなものにならざるを得ない。むしろ,コンサートという形式が生き残っていくためにはローカルを意識するしかないようにさえ思える。
地方にはその地の公共ホールの名前を冠した演奏団体が存在する。福岡県にも「アクロス弦楽合奏団」「響ホール室内合奏団」があり,かつて「あいれふ弦楽四重奏団」もあった。それら演奏団体と当該公共ホールとの関わり方は様々であるが,そうした命名の動機にはローカルが意識されているはずである。
その響ホール室内合奏団のコンサート「響のバロック」(2月13日,北九州市立響ホール)を聴いた。この合奏団は響ホール初代館長後藤忠雄の“地元の演奏家を育てていきたい”という熱意による命名だと聞く。コンサート後のロビーでの演奏者と聴衆のあたたかい交流の様子を見ていると,たしかに地元とのつながりを感じさせる。ほぼ満員のホールもこうした聴衆の熱気に包まれ,それにあおられたかのように,合奏団の演奏も感動を深めていった。チェンバロの中野振一郎が指揮者代わりを務めた今回のコンサート,ジェミニアーニ《ラ・フォリア》やヘンデル《合奏協奏曲第11番》などでは,声部ごとの表情が明瞭で音楽構造がとらえやすく,かつ強弱のメリハリがあり,250年以上も前の音楽とは思えぬほど私には新鮮で現代的でさえあったし,バッハ《ブランデンブルク協奏曲第4番》も大坪由香と森本英希のリコーダが加わることで聴きやすさが倍加した。終始独奏で合奏を引っ張ったコンサートマスターの上野美科も好演。合奏団は北九州の「誇り」になりつつあるし,そうなってほしい。
ローカルということに関して言えば,私自身の台本作曲によるものなので気が引けるが,西日本オペラ協会「福岡発新作オペラへのアプローチ《ラーマヤナ》」(1月29日,あいれふホール)についても一言触れたい。オペラは19世紀ヨーロッパの芸術である。新作オペラを現代の日本で,特に九州福岡の地で上演するということになると,それなりの覚悟が必要になる。それでなくてもオペラ上演には膨大な費用とエネルギーがかかる。初演後即お蔵入りの事態は避けたい。演奏会形式による今回の公演は,題材やその音楽に親しんでもらうための機会であり,また送り手側としても本舞台公演に向けての完成度を高めるための機会でもある。落語家に筋書きを語らせ,画像投映でイメージを提示し,字幕によって言葉を明示するなどの工夫にも,その覚悟のほどが示されていた。