2010年5月6日,アクロス福岡シンフォニーホールで「イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル」を聴いた。開始後2時間近く経った時点でいたたまれなくなり退席。休憩無しで,2時間半以上のリサイタルであったようだ。会場は90パーセントほどの聴衆の入り(満員の印象)。ただし,途中で退席する人がどんどん出て来た。その人たちは健全な精神の持ち主だ。
これまでの噂で変わった演奏をするピアニストであることは知っていた。しかし,少ないながらも耳にすることの出来るCDやYou Tubeの演奏からは,そこに「個性」を感じて熱狂する人がいるのも理解出来る程度の「変わった演奏」の範囲内であろうと想像していた。しかし,今回のリサイタルにおける演奏は目茶苦茶,個性なんてものではない,演奏以前である。
当日,開演前,場内アナウンスで演奏曲目の変更とリサイタルが休憩無しで行われることが告げられた。念のために急いでトイレにかけつけて戻ってくるともうポゴレリッチは舞台の上にいた。椅子を直したり,譜めくり(リサイタルなのに楽譜を見ながら弾くのか!)の人に何か命じたりしている。まともではないオーラをすでに発散しまくっていた。
私が聴いたのは,ショパン《夜想曲第18番ホ長調作品62-2》,ショパン《ピア ノ・ソナタ第3番ロ短調作品58》,リスト《メフィスト・ワルツ第1番》,ブラームス《間奏曲作品118-2》まで。ここまでで通常の1回分のリサイタルの時間がかかっている。ということから,いかにゆっくりしたテンポであったかわかるだろう。ここで我慢の限界で退席し,後のシベリウス《悲しきワルツ》とラヴェル《夜のガスパール》はパス。
演奏曲目が変わろうが,そこで鳴っている音楽はすべて同じ。ポゴレリッチの「即興演奏」。極端な強弱変化,極端なテンポ変化,異様に強調される特定の声部,無茶苦茶なフレージング,機械でたたいたかのような美しさのかけらもないフォルテッシモ,などなど。なによりも音楽が断片化してしまって,単なる音響の羅列と化している。それでもなんとか理解しようと努力したが,無理。ポピュラーな作品ばかりを並べてそれを譜面を見ながら弾くなんてのは,練習不足をさらしているようなもの。極端な解釈の演奏も,暗譜で演奏していれば,ひょっとして音楽の神が乗り移っているのでと思わせることもあるかも知れないが,そのかけらもない。
当日のプログラムに推薦文を書いている評論家や,ブログで演奏を絶賛している人は,落語「酢豆腐」に出てくる若旦那と同じではないだろうか。