佐々木健一『タイトルの魔力』(中公新書,2001)はずっと以前に読んでいた。今回読み直してみたのは次のような事情による。
12月13日に福岡で『Re:freq』というコンサートがあった。コンピュータ技術を駆使したライブ・パフォーマンスによる音楽作品が5つ上演された。ところがその中で明確に作品タイトルを名乗っていたのが1つだけであった。他の作品については,私が作者にタイトル名を尋ねても「考えていません」「決まっていません」という答えが返ってきた。タイトル不在にちょっと驚いたのである。「ライブ・パフォーマンスで即興性が強く,1回切りのもので残りませんからタイトルは必要ありません。何月何日にが誰それがどこそこでパフォーマンスを行ったということで十分です」というのが彼らの意見を総合したもののようだ。作者の名前自体がパフォーマンスの内容を表しており,彼らのコミュニティの中では作者名が作品名のようになっているのだろう。このことについての是非を考えるために佐々木健一『タイトルの魔力』を読み直したのである。
この本の副題は「作品・人名・商品のなまえ学」となっており,タイトルをめぐる様々な考察が,歴史的な視点も含めて展開されている。ただし単純に結論を述べるのではなく,タイトルについての思考を刺激するようになっている。そしてそれは結局,芸術表現そのものについての思考を促すようになっている。「個々の作品のタイトルは,藝術において何が見どころであり,何に注目すべきかを教える特殊理論」(p.260)というのが私自身のタイトル観(私が自作にタイトルをつける際の方針)に近い。
なお,この本の論考の対象が絵画中心であり,個人的には音楽についての論考をもう少し読みたかった。最後の方に「注目すべき事実がある。絵画が脱タイトル化の傾向を示す反面において,現代音楽が好んで多彩な詩的タイトルをつけていることである。<中略>そこにタイトルの新次元があるかもしれない。しかし,それを論ずるのは稿を改めることとし,<後略>」(p.270)と書かれていたが,ぜひともそれについて読んでみたい。そうすれば『Re:freq』というコンサートでのタイトル不在の是非についても考えがより深くまとまりそうな気がしている。