2009第4回「大地の芸術祭」妻有トリエンナーレ2009を見た。第1回(2000),第3回(2006)に続く訪問である。訪問日程は9月10・11・12日の3日間で,閉幕間際のギリギリであった。すでに秋の気配濃厚で,妻有トリエンナーレと言えば越後の猛暑というこれまでの経験とは異なるものであった。秋の気配の涼しさと閉幕間際という寂寥感が,またピークを過ぎた訪問者の数とも相俟って,私自身の個人的な気持の盛り上がりを妨げた。

そういった気持的な理由からだけではないだろうが,廃校でのアート展示にこれまでとは異なる感慨を持った。廃校を利用してアートを展示することは,廃校の再生として評価していたのだけれど,こどもが戻って学校として機能することこそが本当の意味での再生である。廃校にせざるを得なかった社会情勢やそのようにしてしまった政治のあり方を問うことなく,アートの展示で再生がなったと言っているのは間違っているのではないか。「大地の芸術祭」妻有トリエンナーレのような催しが成功するというのは,逆に,地方の過疎化の問題を肯定して固定化することにつながりやしないか。などといろいろ考え込みながら3日間,様々な展示を見て回った。民家を利用したアートに関しても同様の感慨を持った。

淡路島の広さとほぼ同様の地域に訳300近くの作品が点在しているため,車を利用しなくては多くを見て回ることが出来ない。これも,「反エコで,環境問題解決に逆行している」などと思っては見たが,地方は都会以上に車依存の生活であることが実情で,こうした思いは外部から来た人間の勝手な思い込みのようだ。

さて,以上の感慨や思いはとりあえず別の機会にあらたに考えることにして,ここからは印象に残った作品について述べていく。

旧名ケ山小学校で行われた「福武ハウス2009」を見た。これは芸術祭の総合プロデューサーの福武総一諸が日本や海外の著名ギャラリーに参加を呼びかけて,小学校の教室を各ギャラリー推薦の作家の個展会場にしたものである。教室が単なるギャラリー空間としてしか機能していない展示が多く,正直言ってかなりがっかりした。中で興味を惹いたのが,唯一,ギャラリー小柳が制作したヘレン・ファン・ミーネ《Pool of Tears》であった。これは音楽室を展示場として,そこに設置された複数の譜面台に少女たちのポートレート(写真)が立てかけられているだけのインスタレーションである。もちろん,無音である。音楽室に譜面台という装置が,逆に無音を強調し,その静けさが少女たちの表情から音を聴き取ろうとする想像を刺激した。

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名ケ山集落には倉谷拓朴《名ケ山写真館 遺影~彼岸に還る》が空き家全体を写真展示ギャラリーにして,その集落の人々の様々な写真を展示している。暗い古い日本家屋に古い写真が所狭しと並べられている様は,通常のギャラリーや個人のアルバムで見る写真とはまったく異なる味わいを与えてくれる。写真からそこに映っている人のささやきが聞こえるようであった。

旧真田小学校で行われた《鉢&田島征三・絵本と木の実の美術館》は,各教室を回る道順にそってある物語を流木による造形を中心に描いていく。小学校という構造を表現の中に取り込んだ力作であることには間違いない。ただ,絵本作家としての「田島征三」ワールドが強い個性を放っていて,それに対する好悪の情がかなり作品評価を左右するだろう。

十日町市街での杉浦久子+杉浦友哉+昭和女子大学杉浦ゼミによる《雪ノウチ》は,白い紙で雪の結晶のようなオブジェを折り,それを空き地いっぱいに吊り下げたインスタレーションである。オブジェひとつひとつの手の込んだつくりと,吊り下げられたその数の膨大さに圧倒され,それだけでその空間の空気がまさに変わってしまっている。

犬伏集落での中村敬《伊沢和紙を育てる》は創作和紙を用いて,空き家の空間全体をインスタレーションにした作品。日本の家屋がいかに紙に依存し,紙を巧みに使用して作られているかを教えてくれる作品。また和紙そのものの素材としての美しさに気付かしてくれる作品でもあった。

蓬平集落の「いけばなの家」は空き家の空間全体を生け花のギャラリーにして,複数の作家がそこに生け花アートを展示している。日本の家屋と生け花の古くからの結びつきよって,生け花アートは空き家の空間全体を取り込んだ良質のインスタレーションになっている。

願入集落の「うぶすなの家」も同様に空き家の空間全体を陶芸「妻有焼き」のギャラリーにして,複数の作家がそこに陶芸を展示している。その陶芸はもちろん,クラフトというよりもアートに比重を置いたモノである。

空き家の空間全体を,日本の家屋の特長を活かしてインスタレーション作品に仕上げた作品や,日本の家屋の特長を活かして特定のアート領域のために構成されたギャラリー空間は,「大地の芸術祭」妻有トリエンナーレの一大特徴であろう。それはここでしか見れないものであり,見応えがあり,充実した時間を過ごすことを保証するものであった。

今回は4回目ということで,新作以外にも過去の作品が恒常展示されているものも数多く見ることが出来るようになっている。アートを鑑賞を軸とする観光旅行ということでとらえると,越後妻有の田園風景と温泉とをともに味わえる,お値打ち感の高いものである。

最後に,実際に触れた数々の作品から得た全体的な感想を述べる。現代アートは表面的な美しさや,技法上の巧みさよりも,提示されたものによって鑑賞者の「見方や考え方を変える」という点に価値が置かれている。残念ながら,そのことばかりに作者の関心があるようなが作品が数多く散見された。「見方や考え方を変える」という点から言えば,我々はアートからだけではなく,自然や,雑多な人間の行動の痕跡からそうすることがある。むしろその方が多い。美しさや,技(わざ)への感動を通して「見方や考え方を変える」ことにこそ,アート本来の値打ちがあるのであって,私が深く感銘を受けた作品は,やはり,美しいと感じさせてくれるものであり,高度な技に感心したものであった。