第19回アジアフォーカス福岡国際映画祭で,香港映画「崖っぷちの女たち」(監督ハーマン・ヤウ)を見た。

香港に生きる香港生まれの売春婦チュンチュンと,金持ちの香港人と結婚するために中国本土からやってきた女リンファとが主人公である。チュンチュンはクスリでボロボロになった歯をきれいにすることを目標にお金を稼いでいる。ある人(生みの母)に会うためにである。突然の事故で夫に死なれたリンファはこどもを抱え,今また臨月のお腹を抱えながらも香港での居住権を手に入れることを目標に生きている。その二人に,保険セールスマンのフーイーとカメラマンのチーとが様々に絡んでいく。フーイーとチーの存在と行動が,本人たちの意志やその行動とは関係なく,チュンチュンとリンファが生きる香港社会の底辺の悲惨さを暴き出していく。

以上のような悲劇の素材を,監督のヤウは喜劇的タッチで描いていく。そのことで人間のおろかさとたくましさの相反する二つの要素を,ペーソスに溢れつつもどこか楽天的なまなざしで表現する。例えば,金儲けのことしか考えないフーイーがいつの間にか金儲けを度外視してリンファを助ける行動に出ていたり,社会派カメラマンのチーがは自分自身の業績にしか関心がなかったり,カトリックの修道女が堂々と売春を肯定してあっけらかんと売春婦たちを励ましたり,など。人を描くのに単純な割り切り方を一切していないことが,人間個々の生き方に観客が深い共感を寄せることを可能にしている。

なお,喜劇的タッチとは例えば次のようなことである。フーイーの金儲けに関する心の中の思いはすべて画面に字幕として暴露される。フーイーはリンファの出産の手伝いを忘れて思わず保険の勧誘の名刺を配ってしまうなど,彼のお金儲けのための行動パターンがオーバーに描かれる。お金をだまし取られた男の騒ぐ声やそれをなじる女の声が,だまし取っても平然としているチュンチュンの顔のアップにダブって聞こえる。売春婦たちのスラングだらけの飾り気のまったくないおしゃべりがアレグロ(軽快)にいたるところに聞こえる,等々。

なお,画面における人物はけっこう至近距離から撮られていて,ちょっとした動きがスピード感豊かに観客に迫ってくる。このスピード感が映画全体を緊張感のあるものにしていて,私はまったく飽きなかった。また,至近距離を感じさせるということは,観客が客観的視野というより主観的視野に近い感覚で画面を見ることになり,いつの間にか映画の現実の中に同化させられてしまう。これには,音楽を控えめにして,モノ音を多用したサウンドトラックのあり方も大きく貢献している。

正直言って,久しぶりに素晴らしい映画を見た。内容と方法の両方に感激した。

ハーマン・ヤウは今後の要注意映画監督である。