<総説風に>
永年の夢であったアンコール遺跡見学にカミさんと二人で行ってきた。その後にタイも訪れた。いつもながらの自由旅行である。ただし今回は留守の者に心配をかけないためホテルの予約だけは出発前にしておいた。
2000年3月のミャンマー一人旅の際に知りあったドイツ人女性(2カ月近く一人で東南アジア全域を旅行している中年のおばさん)が,東南アジアのどの遺跡とも比較にならないほどにアンコール遺跡が素晴らしいと感嘆していたが,まさにその通り。本やテレビや他人の口から仕入れた情報による想像以上に,それは素晴らしかった。ミャンマーのバガンの遺跡群にも感激したが,アンコール遺跡での感激はその比ではない。
その存在自体の圧倒的な力,とてつもない宗教的情熱,全体にも細部にも施された造形美,遺跡の状態が感じさせる時間の重み,アンコール時代と現在のカンボジアの状況とのとてつもない乖離,周辺の自然,等。とても簡単にその素晴らしさを言い表すことは出来ない。
東アジア(東北・東南アジア全体)の遺跡は見学時の感激とともに再訪の意欲をかき立てる。モンゴロイド系アジア人という共通性からくる身近さのせいであろう。アンコール遺跡はヒンドゥー教と仏教の混合遺跡であるが(バイヨン寺院などは大乗仏教寺院であると言われている),現在はどの遺跡も仏教の礼拝場所としても地元の人に用いられている。一応の仏教徒である私自身にとってはそうしたこともさらに身近に感じられ,精神的な癒しの場所としても機能する。
今回はたった3日間の滞在であり,アンコール遺跡全体の半分も見ることが出来ていない。それだけに,近い将来,ぜひとも再訪してみたいと思っている。
カンボジアは未だに内戦の後遺症を引きずっていると言われている。しかし,アンコール遺跡とその観光基地であるシェムリアップのみの滞在ではそうしたことに気づくはずもなく,単なる観光客として穏やかなカンボジア人に接しただけであった。ただ,内戦の後遺症があることは忘れてはならない。この国が様々な問題を抱えていることは事実であり,日本もけっしてそれに無関係ではない。これからそうしたこともしっかり学習したいと思っている。
アンコール遺跡見学後はタイへ行った。カミさんの要望でスコータイ遺跡を訪ねた。2年前のタイ二人旅ではアユタヤ遺跡を訪ねたので,タイのもう一つの遺跡を訪ねてみたいということであったからだ。
スコータイ遺跡は公園としてじつにきれいに整備されている。遺跡という感じがあまりしない。テーマパーク「遺跡」という感じ。しかし,それはそれで心休まる場所であった。
カンボジアからタイに入ると,タイの豊かさとその現代性に気づかされる。これは2000年9月にラオスからタイに入った時にもそう感じた。「売春」のイメージでタイは貧乏国というように日本人はとらえてしまいがちであるが,タイは世界的に見て中進国であり,東南アジアの経済的中心であることが,その周辺の国から入るとよくわかる。
スコータイの後はバンコクへ行った。一人旅の時はいつもバンコクは空港のみで通りすぎてしまう都市なのだが,今回はバンコクで2泊した。昨年暮れに開通したBTS(スカイトレイン)も利用した。BTSはじつに快適・快速。そして清潔。俗にいうバンコクらしさが全然感じられない。まるでドイツの都市交通を利用しているような感じであった。無責任な旅人としては,便利だけど,なにかさびしい感じを抱いてしまう。
私自身の個人的な環境変化(職場でのリストラ的な状況?)のおかげで1999年暮れから2000年にかけての一年間だけで4回も東南アジアを中心とする旅ができた(2001年には職場が変わるので,今後はこのようなことはたぶん無理でしょう)。こうした旅は半分は仕事(作品制作のためのビデオ撮影)との関わりのつもりではあるが,やはり本音は自分自身の癒しの旅である。
東南アジアの魅力は,近い,安い,気候がよい(私は暑いのが苦にならないから),食べ物がうまい,人が穏やか,文化的な近親性(欧米や中近東,アフリカ等と比較しての近親性),ということに尽きる。しかし,観光地での子どものみやげもの売りや物乞いの様子を見たり,売春の様子を知らされたりすると,「観光公害」という言葉が浮かんでくる。本来的には豊かであるはずの東南アジアの人々が,外国からの貨幣経済の価値観の押し付けによって貧しさを感じさせられているのである。観光はそのことに大きく関係しているように思う。旅をすることは,旅をする側の論理だけでなく,旅をされる側の論理も考慮に入れてなさねばならない。このことを改めてはっきりと肝に銘じたい。
<日記風に>
12月17日(日)
この日の午前深夜1時25分関空発のタイ航空TG627便でバンコクに向けて飛ぶ。バンコクでバンコク・エアPG930に乗り換えて午前9時にシェムリアップに到着。ビザは旅行代理店の勧めで事前に取得。東京のカンボジア大使館にパスポートを直接郵送して,ビザ代2,500円で取れた(水曜日に送ったら土曜日に速達で届いた)。ビザ・オン・アライバル(到着時に取得するビザ)もあるが,事前に取っていると心理的にラク。また,シェムリアップ空港のビザ発給所が結構混むので,空港で余分な時間を節約できる。
入国審査を終えて,空港内のタクシーカウンターでシェムリアップ市内までのタクシーを予約する。空港内がタクシーやバイタクの客引きで騒然としているのかと予想していたのだが,その感じはまったくなし。いささか拍子抜け。タクシーは白のカムリ。この日のチャーター分を含めて25ドル。運転手はカンボジア人にしては長身の,物静かな比較的上品な男性。名前を確かナレッと言っていたと思う。
空港から市内までは結構きれいに整備されている。道路沿いに新築や建築中のホテルがいっぱいあって,いよいよ本格的な観光地建設の時代にシェムリアップが突入しているようだ。途中のバンコク・エアのオフィスで帰りの便をリコンファームする。職員の応対が非常に気持ちがよい。
日本で予約しておいたホテル(シヴォタ通り沿いにあるニャックポアン・ホテル)にチェックインした後,早速アンコール遺跡に連れて行ってもらう。料金所で3日有効チケット(40ドル)を購入する。顔写真を貼付けたきちんとコーティングしたチケットを作ってくれる。顔写真を持っていたのが役に立ったが,そうでなければここで写真代を払わなければならなかったのだろうか。写真が必要などとは旅行ガイドブックに書いていなかった。
アンコールワットの横を通りすぎてアンコールトムへ。南大門からバイヨン寺院を目指す。
目に飛び込んできたバイヨン寺院の異形さにまずびっくり。まさに人工の山である(須弥山を象徴している)。回廊の壁に彫られたレリーフの精緻さにも感嘆する。夜行便による疲れ,暑さによる疲れも忘れて歩き回る。このバイヨン寺院見学だけで午前中の時間を使ってしまう。デバター像は個性的で,それぞれ特定の女性のモデルがいたと言われている。おかしかったのは,ここでのデバター像だけでなく,多くの場合,デバター像のオッパイのところだけがピカピカに光っていることである。見物客の多くがそのオッパイを撫でていくからなのであろう。(写真の左上バイヨン寺院正面,右上バイヨン寺院背面,左下アプサラ及び右下デバターのレリーフ)
昼食をアンコールワットの近くのレストランで食べる。地元の人も大勢食している大衆的なレストラン。タイ料理ほど辛くなくて,カミさんはしきりに「おいしい」を連発する。
昼食後はアンコールワットへ。堀に囲まれた巨大な領域と,寺院自体の壮大さに感激する。参道を歩いていくと中央祠堂が門から見え隠れする様が印象的。建築上の非常に優れた演出効果である。(左は正面に中央祠堂を見る私,右はアンコールワット正面全景)
アンコールワットはその塔などはずいぶん高いはずなのだが,寺院領域が広いため,実際に目にすると建物が全体に横に広がっている。それが,石造建築物であるにもかかわらず,日本の平城京などの寺院との類似性を感じさせ,なつかしい感じすら与える。
内部は見どころがいっぱい。中央祠堂にも,その急な階段を手すりにしがみつきながら昇り,上がってみた。地元の人はその階段をいとも簡単に走って昇り降りしている。第一回廊のレリーフもすごい。それを見ながらその回廊を一周するだけであっという間に1時間以上が過ぎてしまう。結局,午後の4時間ほどをアンコールワットだけで過ごしてしまう。それでも見ていない個所も多いのであろう(左は間近で見る中央祠堂,右はデバター像)。
ところで,今回,噂に聞いていたみやげもの売りや子供の押し付けガイドの姿をアンコールワットでは見ることがまったくなかった。少し前に政府の規制が出されたのであろう。これはバイヨン寺院でも同様だった。地元の子供たちも遺跡内にはうろうろしているのだが,まったく何も言ってこない。これにも拍子抜け。
その後,プノン・バケンに行く。遺跡内の最も高い場所にあるこの場所から見る日の出・日の入りが素晴らしいからという運転手のお勧めによる(左はプノン・バケンから見た日の入り)。夕方近く,この場所へゾロゾロと観光客が集まってきて,域内はそうした観光客で一杯になってしまう。たしかに,日の入りの光景は素晴らしい。それとともに,この場所から見るアンコール遺跡全域(360度見渡せる)の眺めもよい。樹海の中に浮かぶアンコールワットを見ていると,往時の様子が何となくイメージ出来てくるから不思議である。
このプノン・バケンにはみやげもの売りや子供の押し付けガイドの姿があった。つまりこの場所は規制されていないということであろう。アンコール遺跡に来て,至る所で「ピー」というやかましい信号音が鳴っているのが気になっていたので,そうした子供の一人にそれが何の音であるか訊いてみた。何とそれは蝉の鳴声だそうだ。それで納得し,それ以降,その「ピー」が気にならなくなった。子供たちは日本語も英語もうまい。びっくりする。
夜行便による睡眠不足,冬の日本からいきなり暑いところへ,普段それほど歩き回ることのない人間が歩き回る(それも階段が多い),などが重なってプノン・バケンを見終わってホテルに帰り付くころにはもう二人ともフラフラ。外に食べに出る元気もなく,ホテルのレストランで夕食をとる。これがまたのんびりした応対ぶり。それがカミさんには好ましかったようで,カンボジアの人をすっかり気に入ったよう。
夜は二人とも爆睡。
12月18日(月)
この日はタクシーのチャーターを断って,疲れを癒すべくゆっくりとシェムリアップの町をうろつくことにするつもりだった。しかし,町が小さいため,すぐに一通りの主な場所を歩いて回れてしまう。また町の中に特に見どころはない。一人旅の場合だと,見どころがなくても,町をあてどなく歩き回るのもそれなりにたのしいのだが,複数の場合,こうした時に困る。結局昼食後,バイクサムロー(自転車の代りにバイクが引っ張るサムロー)を5ドルでチャーターして,ロリュオス遺跡群を訪れることにする。
なお昼食はカンボジアレストランにてシェムリアップ地方でよく食べられるというアモックを食す。ココナッツジュースで甘く味付けした煮魚だが,何のことはない,タイのグリーンカレーとまったく同じような味。もちろん,たいへんおいしい。
ロリュオス遺跡群はアンコールワットのある方角とは異なり,シェムリアップの東15キロほどのところにある。そこへ行くまでの道の悪いこと。凸凹だらけでまるでジェットコースターに乗っているかのよう。カミさんは普通のパックツアーで得られないようなこうした経験をたのしんでいる。途中に農家が点在しており,私たちが通り過ぎるたびに子供たちが明るく手を振ってくれる。バイクサムローは砂地の所になると馬力が効かず,運転手が必死になって地面を蹴って車を進ませる。途中,道端の小さな雑貨屋の前に停まり,ビン入りのじつにきたないジュースを買っている。ウェーと思っていたら,何とそれはガソリン。一本分バイクに注油してまた走り出した。
バコン,プリア・コー,ローレイを順に訪ねる。ロリュオス遺跡群はアンコール地域にクメールの王都が築かれる前に王都が置かれていたところの跡である。バコンはその意味でアンコールワットの先駆的建築物らしい。結構規模が大きく,見ごたえがある。(左上はバコン,右上はプリア・コー,左下はローレイ)
ロリュオス遺跡群はどこも観光客が少なくて遺跡を独占状態のはずが,ここは子供のみやげ物売りがしつこかった。プリア・コーでは10歳くらいの女の子にずっとつきまとわれた。カミさんにはつかずに,男の私の方につくのが不思議。ガイドブックに載っているセリフをそのまま言っているのがおかしい。必要もないのにみやげ物を買って,それでその子供たちがどうこうなるわけではないので,「おにいさん(子供が私をこう呼ぶので),今,遺跡を見たいから,放っておいて」と日本語でていねいに断りながら見学・撮影に集中する。
ロリュオス遺跡群の後,シェムリアップの町に戻って,マッサージの店に連れていってもらう。ガイドブックで事前に調べておいた。きちんと訓練を受けた盲人のマッサージ師たちによる「アンコール・マッサージ」という店。ここはひとつの部屋に8つほどのベットが並べてある。お客は私たち以外,欧米人達ばかり。カミさんと並んで,1時間たっぷり揉んでもらう。じつに気持ちがよい。日本の指圧マッサージに似ている。料金は一人分わずか3ドル。
夕食前,シェムリアップのインターネットカフェでメールをチェックする。ただし,通信状態は悪いし機械もよくない。時間がやたらかかるし,通信中に頻繁にエラーを起す。日本語は可能なはずなのに,結局ローマ字で書くはめに。
なお,今回の旅行では,前回のラオス一人旅の時に較べて,インターネットのあたりが悪く,どういう訳かバンコクにおいてさえもまともに使えなかった(空港でのインターネットカフェで,前回と同じところに入ったにもかかわらず)。また,複数での旅になると,インターネットカフェに入る機会が少なくなるようだ。一人旅だと,目に付いたらパッと飛び込める。それにインターネットカフェは一人旅の際の有効な時間つぶしや休憩になってくれているように思う。
12月19日(火)
この日は朝8時にチャーターしたタクシーに迎えに来てもらう。そのままホテルをチェックアウトし,16:20のバンコク行きの飛行便(PG937)の時間までアンコール遺跡を巡ることにする。
主に初日に訪れることができなかった遺跡を巡る。バプーオン,ピミヤナカス,象のテラス,癩王のテラス,タ・ケウ,タ・プロム,バンティアィ・クディである。
バプーオンは修復中。ここは意外と広くて,高さもある。修復中ゆえ,中に入れず,昇れないのが残念。ここで,子供のガイドにつかまる。14歳だという歳の割には小柄。これがじつに英語がうまい。日本語やドイツ語まで,カタコトではあるが話す。ガイドも適確。生きていくためとは言え,その能力に驚く。寝釈迦を一生懸命に指し示してくれるが,残念ながら私は気付かず。
ピミヤナカスは比較的小型の寺院(宮殿?)。その分,小さな石積みよって精緻な感じを与えている。
象のテラス,癩王のテラスともその壁面のレリーフがすごい。特に癩王のテラスの狭い通路の両わきにびっしりと彫られたレリーフは圧巻(左は癩王のテラスのレリーフ)。これらテラスの上で王が閲兵したと言うが,当時のクメール帝国の支配者の力がしのばれる。
タ・ケウは大型でピラミッド型の寺院。アンコールワットの試金石となった寺院と言われている。高く,石積みがごつく,じつに重厚な感じがする。整備があまりされておらず,建物の周りに石が散らばっており,それを踏み分けてあるくと,歴史のイメージが身体全体を包んでくる。「遺跡にいるのだ」という実感を強烈にもたらしてくれる。(左はピラミッド型のタ・ケウ)
タ・プロムは榕樹ガジュマルに侵食された寺院として有名である。ここは駐車場からかなりの距離を歩かなくてはその寺域に到達することが出来ず,寺院に入る以前にすでに怪しい雰囲気を醸し出している。実際に榕樹ガジュマルに侵食され破壊された建物を目の当りにすると,自然のものすごさに身震いする。また,根が石に絡み付いた姿は人知を超えた造形美を見せつける。(写真の左は榕樹ガジュマルに絡みつかれたタ・プロムの一部,右はバンティアィ・クディの連子窓風装飾とデバター像)
スラ・スリン(沐浴の池)の向い側にあるバンティアィ・クディもかなり破壊が進んでいる。平面展開の寺院で,正面のテラスが存在が印象的。こころ休まるたたずまいを見せている。
残念ながら,ここでタイムアップ。アンコール遺跡の半分程度しか見ていない。再訪を期して,シエムリアップを後にする。
この日,バンコクを経由して,スコータイ観光のためにピサヌロークへ飛ぶ(タイ国際航空TG164)。ホテルは町の中心に近いパイリン・ピサヌローク・ホテル。
12月20日(水)
ピサヌロークからスコータイ遺跡公園まで普通バスで行く。バスは,バス停の50メートルほど手前の我々の姿を発見して,待ってくれる。中はタイ演歌(?)が大音量で鳴っている。
スコータイ新市街で,客待ちなのか時間調整なのか,バスが同じところを往ったり来たりしていて,遺跡公園に着くまでに2時間近くかかってしまう。カミさんはこういう普通バスは初めてなので,「きたない」を連発してるが,ラオスやミャンマーのバスを知っている私には,きれいなバスの部類。
バスを降りてすぐに自転車を借りる。一人一日レンタルわずか20バーツ(55円ほど)。よく整備されていて,小柄なカミさんにも乗りやすい大きさ。これで遺跡公園の中を走り回る。(下の写真はともにスコータイ遺跡,左はワットマハタート正面)
アンコール遺跡を見た目にはスコータイ遺跡はいかにも規模が小さく映り,機構そのものも淡泊で,あまり興味を引きつけるものはない。ただ,こちらは完全な仏教遺跡なので,様々な仏様の顔をじっくりと拝むことができるのがうれしい。また遺跡全体が公園としてきれいに整備されているので,自転車で走り回るのじつに気持ちがよい。暑い中をアンコール遺跡の中を歩き回った身にはちょうどよい休息になった。疲れがたまらないように,城壁内を回るだけにして,ピサヌロークに戻ることにする。
レンタサイクル屋の青年が親切で,ピサヌローク方面行のバスが来るまで店で休ませてくれ,また,バスの到着を見張っててくれる。そして彼が提示してくれた時間を大幅に遅れてバスが到着したことを,彼のせいでもないのにしきりに謝っていた。
ピサヌローク到着後,デパートで買い物をする。タイのデパートの多くはその中央に最上階までの吹き抜けがある。私は開放的なこの造りが非常に好きで,タイでは用事がない場合でもよくデパートに入る。
夜はピサヌロークのナン川沿いのナイトバザールを歩き,そこの屋台風レストランで食べる。有名な「空飛ぶ野菜炒め」のところだが,残念ながらその曲芸は見れず。
12月21日(木)
朝にワット・プラシー・ラタナー・マハタートに行く。ここにはタイで一番美しい仏像と言われるチナラータ仏が安置されている寺院。たしかに美しい。仏様のお顔は東南アジアの仏像というよりも日本の仏像のようだ。ここは観光場所というよりも地元の人の信仰の場で,大勢の人がお参りに訪れている。(チナラータ仏とワット・プラシー・ラタナー・マハタート内の参拝風景)
ここからチャータウィー民族博物館へ行く。私的コレクションが公開されている小さな博物館なのだが,タイのこの地方の農機具や生活用具などがコレクションされていて,意外に見ごたえがある。その近くの仏像製作修理工房も訪ねる。
午後,ピサヌロークからバンコクへ飛ぶ(タイ航空TG151便)。ドンムアン空港からホテル(インドラ・リージェント・ホテル)までエアポートバスで。二人だとタクシーで行ってもそう大した値段の違いはないようなのだが,タクシーの狭い車内に押し込められたり,ぼられるのではないかと気を使うより,公共交通機関を使うほうがゆったりでき,私は好きなのである。
バンコクはさすが大都会。車の騒音と排気ガスに,疲れのせいもあり,正直うんざりしてくる。ホテルの近くのショッピングセンターやマーケットをうろつき,タイスキを食べて早めに寝る。
12月22日(金)
当初の予定では,かなり以前にパックツァーで連れていかれた王宮やワットプラケオ,暁の寺などを自分たちの足で回ってみようということになっていた。しかし,旅の疲れがここでピークに達していることと(歳です!),シェムリアップやスコータイから来た目にはバンコクの町があまりに猥雑すぎてうろつく気にならないことで,予定を変更。ホテルの近くから歩いていけるところと,そのままBTSに乗って行けるところにする。
スアンパッカード宮殿,ジム・トンプソンの家,カンティエン夫人の家などを訪ねる。
BTSはたしかに便利な乗り物。車内放送も押さえ目の音量で簡潔で,日本の車内放送の暴力的な音量とは異なり,まるでドイツなどのヨーロッパの都会の市内交通に乗っているかのよう。(左はBTS,右はジム・トンプソンの家の前でのカミさんと私)
バンコクはガイドブックや旅行関係の書物で様々に紹介されているように,深く入ればおそらくたいへんおもしろい都会なのであろう。しかし,今回の旅に関して言えば,バンコク滞在は余分であった。その分,シェムリアップで時間をとればよかった,と二人で確認しあう。バンコクとの付き合いは,これまで同様,これからも単なる乗り継ぎや,飛行機乗り換えのための宿泊に限ると個人的には思う。
この日も夜はタイスキを食べる。最後にご飯を入れてもらって雑炊を作ってもらったのが,たいへんおいしい。
12月23日(土)
午前中いっぱいホテルの部屋で寝て疲れを取り,明日からの日本での生活に備える。
空港についてチェックインをしたら(タイ国際航空TG626便),何と飛行機材の関係で1時間半遅れの出発だと言う。その時間では関西空港到着後,自宅にはその日のうちに帰れないと抗議する。関西空港でタイ国際航空の職員が責任をもって対応するからということで,納得させられる。荷物だけはロイヤルクラス扱いで一番先に出すという処置を取り付け,空港内の無料軽食サービス券をもらう。抗議しないとこうはしてくれない。結果的には,最終電車に間にあって,無事にその日のうちに帰宅できた。
このチェックインカウンターでの交渉の時も感じたが,タイ人(それにカンボジア人も)の英語の発音は日本人にとっては本当に聴き取りにくい。タイ語の発音との関係があるのか,語尾がすべて消えてしまうのである。ウェイターが言う「フィニ?」は「フィニッシュ?」だし,道を尋ねて教えられる「ブリッ」は「ブリッジ(橋)」のことである。
さて,6泊7日の二人旅は無事に終わった。結局最初の3日間のアンコール遺跡見学が圧倒的に印象に残っており,その3日間が旅のすべてであったようだ。アンコール遺跡はぜひとも再訪したい。次回は自分でバイクでも運転できるようになって(ガイドブックでは外国人の遺跡内での運転は禁止されているようであるが,バイク運転の外国人をよく見かけた),じっくり見て回りたいと考えている。
(2000年12月30日 中村滋延)
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