作品解説:中村滋延作曲 カンタータ『流転の華、白蓮』

編成:ソプラノ、語り手、女声1、女声2、フルート(ピッコロ持ち替え)、ファゴット、チューバ、マリンバ、ヴァイオリン、ピアノ、打楽器

演奏時間:約25分

初演予定:2020年1月10日(金)、黒崎ひびしんホール中ホール、

演奏者:森野由み、岩崎佳子、小谷美佳、森園あや、田室信哉、浦野さやか、森山陽介、島田亜希子、二村裕美、宮崎由紀子、村岡慈子、松宮圭太(指揮)

解説1:概 要

この作品は歌人柳原白蓮(1885-1967)の人生を、白蓮自身が詠んだ短歌の音楽化によって表現したものである。 

白蓮の名は2014年のNHK連続テレビ小説『花子とアン』によって現代においてもすっかり有名になった。

大正時代、彼女は夫のある身でいながら年下の東大生宮崎竜介と相思相愛の仲になって駆け落ちし、そのことを自ら公表して世の注目を集め、それを現在のワイドショーさながらに複数の新聞社が不倫事件として競って報じた。有夫の女性の不倫は姦通罪で逮捕されることもあり得た時代である。

世の注目を集めたのは白蓮が華族の生まれでかつ大正天皇のいとこであったこと、そしてたいへんな美人であったこと、夫が九州の炭鉱王と呼ばれた大金持ちの25歳ほど年上の伊藤伝右衛門であったこと、その伊藤伝右衛門が妻妾同居を実践していたこと、妻妾同居は白蓮自身が仕向けたかも知れないこと、白蓮の不倫相手の宮崎竜介が東京大学法科の学生でかつ著名な社会活動家宮崎滔天の息子であったこと、など。

そうしたことを踏まえても白蓮の生き様が今の我々を魅了するのはなによりも彼女が詠んだ短歌の美しさと力強さによる。

この作品は「第1部:不幸な結婚」「第2部:妻妾同居」「第3部:真実の恋」「第4部:子を失いて」の大きく4つの部分から成り、各部にはタイトルを象徴する白蓮による短歌がピアノ伴奏付きの歌曲として複数配置される。冒頭には「導入部:白蓮素描」が置かれ、白蓮が新聞に発表した伊藤伝右衛門への別れの手紙が朗読される。各部の前には器楽のみの前奏曲や間奏曲が、最後には後奏曲が置かれる。また後半には2ヶ所において夫宮崎竜介の白蓮への追想文が朗読される。朗読はいずれも器楽と女声重唱を伴ってなされる。歌は時系列にそって配置され、物語を形成する。

なお、私が白蓮のことを最初に知ったのは1985年のことである。この年、私はNHK総合テレビの大阪局制作の『ドラマ人間模様 恋の華・白蓮』(原作は永畑道子「恋の華・白蓮事件」)のタイトルバックと劇中音楽のすべてを作曲した。白蓮は樋口可南子が主演した。この仕事を通して私は白蓮に魅了された。その時から白蓮をテーマにした音楽を作ることを願っていた。その願いの一部が今回ようやく実現したわけである。

解説2:歌 詞

<導入部:白蓮素描>

M01:朗読1
「私は今あなたの妻として最後の手紙を差し上げます(後略)」
‥‥「大阪朝日新聞」大正10年10月23日に掲載された白蓮の手記より

<第1部:不幸な結婚>

M02:前奏曲(器楽)

M03:短歌1
ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身
‥‥歌集『蹈繪』1915年より

M04:短歌2
殊更に黒き花などかざしたるわが十六の涙の日記 
‥‥歌集『蹈繪』1915年より                                                                                    

M05:間奏曲1(器楽)                                                                       

2妻妾同居

M06:短歌3
寂しさのありのすさびにただ一人狂乱を舞う冷たき部屋に
‥‥歌集『蹈繪』1915年より

M07:短歌4(ソプラノ、ピアノ)
知らずして植ゑしは世にも恐ろしき血ににじみたる紅の花
‥‥歌集『幻の華』1919年より                           

M08:間奏曲2(器楽)                                                                       

<第3部:真実の恋>

M09:短歌5
君ゆけばゆきし淋しさ君あればある淋しさに追わるるこころ
‥‥歌集『幻の華』1919年より

M10:短歌6
ナムキエブツマカセマツリシヒトスジノココロトシレバスクワセタマエ
‥‥歌集『幻の華』1919年より

M11:朗読2
「さすがに私は考えこみました。これは深刻な問題です(後略)」  
‥‥宮崎龍介「柳原白蓮との半世紀」より                                                 

M12:間奏曲3(器楽)

<第4部:子を失いて>

M13:短歌7
わが肩に子がおきし手の重さをばふと思ひいづる夏の日の雨
‥‥歌集『地平線』1951より                                                                              

M14:短歌8
もろともに泣かむとぞ思ふたたかひに子を失ひし母をたづねて
‥‥歌集『地平線』1951より                                                                               

M15:朗読3
「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか(後略)」       
‥‥宮崎龍介「柳原白蓮との半世紀」から

M16:短歌9
「白蓮辞世の歌」
そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがうちに見つ 
‥‥『短歌研究』1966年11月より

M17:後奏曲(器楽)             

参考文献:
永畑道子「恋の華・白蓮事件」新評論1982
井上洋子「柳原白蓮」西日本人物誌[20]、西日本新聞社2011
NHK出版編「流転の歌人柳原白蓮 紡がれた短歌とその生涯」NHK出版2014
宮崎蕗苳監修「柳原白蓮の生涯 愛に生きた歌人」河出書房新社2015

解説3:音楽構成(譜例付き)

M01 朗読1(語り手、女声二重唱、ピアノ、打楽器)
冒頭にゴングの一撃。中国の京劇など幕開けにおいて劇の始まりを示すためにしばしば鳴らされる銅羅のイメージである。その後にピッコロが能管を模した非拍節的音楽(能楽の開始のイメージ)を奏し始め、その後に朗読が始まる(譜例1)。白蓮が新聞に発表した伝右衛門への別れの手紙である。この手紙で白蓮の当時の境遇が分かる。女声二重唱が低音域で白蓮の押し込められた悲しみを表現する。

譜例1

譜例はクリックすると別のタグで拡大表示される。以下も同じ。

M02 前奏曲1(器楽)
幼少期以来耐えてきた過酷な運命を暗示するとともに、今やその運命に戦いを挑もうとする白蓮の力強い決意を描く(譜例2)。しかしその戦いは容易ではなく、決意の持続は簡単ではない。

譜例2

M03 短歌1「ゆくにあらず」(ソプラノとピアノ)
重苦しく揺れる気持ちを、やや諦観を交えて静かに歌う(譜例3a)。一瞬、その諦観を振り切ったかのような叫び口をついで現れ、その後動揺が続く(譜例3b)。

譜例3a
譜例3b

M04 短歌2「ことさらに」(ソプラノとピアノ)
他人ごとのように冷静に我が身を振り返っている様がむしろ哀しみを強調する(譜例4a)。その後に冷静さを失った瞬間は直接的に自分を歌う箇所である。その瞬間「我が十六の」といった途端に抑えていた感情は爆発する(譜例4b)。その後にすぐに感情を抑えるが、抑えきれないものが最後にピアノによる和音の強打として現れる。

譜例4a
譜例4b

M05 間奏曲I(器楽)
想定外の不幸に彩られた伊藤伝右衛門との結婚生活のはじめの頃、まだ白蓮は苦しみながらも望みを捨ててはいなかった。しかし日々苦しみが増してくる。時には華族というプライドが邪魔しているのだろうかと悩む日々。時には普通の女性としてまるで演歌の世界のような恋に身をやつしたいとも思う(譜例5)。

譜例5

M06 短歌3「さびしさの」(ソプラノとピアノ)
気の晴れない日々。深まる孤独感(譜例6a)。その中で狂っている自分の幻影を見る(譜例6b)。しかしそれも一瞬のこと。部屋はいつもと何も変わらない。一見静かだが絶えず不安定感が漂っている。

譜例6a
譜例6b

M07 短歌4「しらずして」(ソプラノとピアノ)
不安定感克服のために焦燥感が強まり、それが静まり、また強まってきて絶望的になる。アレグロの周期的リズムでの和音連打の音強変化がそのことを表す(譜例7)。

譜例7

M08 間奏曲II(器楽)
白蓮と宮崎竜介との出逢い、白蓮の心に明かりが灯る(譜例8a)。しかし直ちに大きな不安がよぎって明かりが消える(譜例8b)。その組み合わせの状態が何度か反復される。

譜例8a
譜例8b

M09 短歌5「きみゆけば」(ソプラノとピアノ)
竜介への愛を意識する(譜例9a)。まだ完全な恋愛関係に至る前の不安な心情(譜例9b)。

譜例9a
譜例9b

M10 短歌6「なむきえぶつ」(ソプラノとピアノ)
白蓮が竜介宛に電報で書いて送った短歌。「南無帰依佛」と必死で唱え続ける白蓮。南無帰依佛を象徴する音型がピアノパートに頻繁に出現する(譜例10)。

譜例10

M11 朗読2(語り手、女声二重唱、ピアノ、打楽器)
伝右衛門のもとを去って自分のところに来る白蓮を思う竜介の心情。期待と不安がないまぜになっている様子を描く音楽を背景に、その心情が語られる(譜例11)。

譜例11

M12 間奏曲III(器楽)
当時の常識では考えられないような行動に踏み切った白蓮と竜介(譜例12a)。ついには恋を成就させ、二人の子どもにも恵まれた。しかし世は大戦の最中、息子香織は終戦直前に戦死する(譜例12b)。

譜例12a
譜例12b

M13 短歌7「わがかたに」(ソプラノとピアノ)
亡くなった息子をしのぶ張り裂けそうな悲痛をうたう(譜例13)。

譜例13

M14 短歌8「もろともに」(ソプラノとピアノ)
白蓮と同様に戦争で息子を失った母親たちと悲しみを分かち合うために「悲母の会」を結成し、行動する。その決意を歌う(譜例14)

譜例14

M15 朗読3(語り手、女声二重唱、ピアノ、打楽器)
白蓮没後にその思い出をかたる竜介。きわめてゆっくりしたテンポで女声が下降音階を淡々と歌うことで透明な悲しみを演出する(譜例15)。

譜例15

M16 短歌9「そこひなき」(ソプラノとピアノ)
晩年、白蓮は視力をうしなった。ピアノ伴奏は抑制され、歌のパートも拍節感を曖昧にし、「われの命をわがうちに見つ」と自らに言い聞かせるように歌う(譜例16)。

譜例16

M17 後奏曲(器楽)
まとまりつかぬ悲しみの世界。その悲しみを見つめ始める白蓮。音楽的にはフレーズの反復がそのことを表す。反復はわずかずつの変奏を伴いつつなされる(譜例17)。

譜例17