◉《善と悪の果てしなき闘い,第一章》室内管弦楽のための音詩
The Eternal Battle between Good and Evil, Chapter I: Tone Poem for Chamber Orchestra
演奏時間:12分
作曲:2015年12月
初演:2020年2月8日 いずみホール、飯森範親指揮「いずみシンフォニエッタ大阪第43回定期公演」
楽器編成:フルート、オーボエ、クラリネット(B管)、バスーン、ホルン(F管)、トランペット(B管)、トロンボーン、打楽器(奏者1名:木琴、ボンゴ、小太鼓)、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ダブルベース

タイトル

「善と悪の果てしなき闘い」というタイトルはインドネシア・バリ島の芸能「バロン・ダンス」におけるバロン(聖獣)とランダ(魔女)の闘いから得ている。

バリ島では世の中に善と悪の相反するものがともに存在し、その両者のバランスが良好であれば豊穣をもたらすとされている。バロン・ダンスはそのバランスを祈るための儀式である。ここで興味深いのはバリの人々にとって大切なことが善と悪のバランスであって、悪の抹殺ではないことである。現代社会では善と悪を峻別し悪を滅ぼすことがよいようにされているが、そのように思い込んでいることが、むしろ、現代社会の混迷を深めているような気がしてならない。

私はこの作品において善と悪とのバランスへの願いを表現しようとした。ただし善なるものと悪なるものを音楽によって具体的に表現するのは不可能。私がやろうとしたことは「相反する性格の楽想を時間軸上に隣接させ、そこに生じる音楽的な均衡・不均衡を善と悪との闘いのイメージに置き換えて音楽を構想すること」であった。

なお音楽自体はバリのバロン・ダンスの音楽とはまったく無関係である。しかし作曲に行き詰まった際、自分が現地で撮影したバロン・ダンスの映像を見ると、不思議に筆が進むことがあった。

タイトルに第一章とあるのは「善と悪の果てしなき闘い」のいうタイトルの下に編成の異なる連作を計画していたからだ。ほぼ同じ時期にフルートとマリンバの編成によって第二章を完成させたが、第三章以降は中断されたままになっている。

構成・構造

全体は13部分から成る。その13部分を5つのグループに括ることができるが、演奏者や聴き手はそのことにこだわる必要はない。

第1部:冒頭〜練習番号2 Adagio con espressione
第2部:練習番号3〜7 Allegro con moto —Meno mosso
第3部:練習番号8〜12 Lento Drammatico (ここまでが第1グループ)

第4部:練習番号13〜17 Moderato con anima  
第5部:練習番号18〜26 Scherzando
第6部:練習番号27〜32 Moderato con moto (ここまでが第2グループ)

第7部:練習番号33〜36 Risoluto
第8部:練習番号37〜40 Giocoso (ここまでが第3グループ)

第9部:練習番号41〜43 Lento espressivo
第10部:練習番号44〜47 Allegro molto con anima
第11部:練習番号48〜53 Capriccioso (ここまでが第4グループ)

第12部:練習番号54〜59 Appasionato
第13部:練習番号60 Adagio con espressivo  (ここまでが第5グループ)

この曲には音高や音長、音強などの選択・配置・配分などの構造に関するシステムは存在しない。全体は自由な無調音楽であり、和音などは機能としてではなく音色の領域でとらえている箇所が多い。したがって半音のぶつかり合った不協和音の直後に長三和音が後続することもある。

全体の13部分は特定の形式をつくらずに、いわば“羅列”されている。

モットー

曲の冒頭部分の音高構造は曲の途中の数カ所でほぼそのままで出現する。この作品の中心的な音高構造を感覚的に暗示するもので、これをモットーと名付け、作曲の際の構成上の指標として扱っている。

モットーは2種類ある。

モットーα(アルファ)は短調の旋律線に近親短調の音を変化音として付加し、副旋律を含めて全体を半音階的にしたもの(譜例1及び譜例2の1小節目まで)。
モットーβ(ベータ)はイ短調の主和音に非和声音を加えた音型反復を含む持続音群(譜例2の練習番号2)。

(以下の譜例をクリックすると新しいタブで拡大表示される。)

(譜例1)

(譜例2)

2つのモットーは次の箇所に出現する。
モットーαは冒頭〜練習番号1、練習番号41〜43、練習番号60の1〜2小節目の3箇所
モットーβは練習番号2、練習番号12の5〜6小節目(後半部分のみが長2度下に移調)、練習番号17、練習番号53、練習番号60の3小節目(後半部分のみが出現)の計5箇所。

各部の性格

第1部:Adagio con espressione
2つのモットーの提示。
モットーαの主旋律1〜2小節はフルート、3〜4小節はオーボエ、5小節はクラリネット、5小節4拍目から6小節はバスーンによって奏される(前出の譜例1及び譜例2の1小節目まで)。ここであえて主旋律と表現しているのは他の声部から浮かび上がって聴き手に伝わることを望んでいるからである。
モットーβは全奏による和音の「引き延ばし」が主たる音楽内容である。

第2部:Allegro con moto —Meno mosso
弦楽器による和音が周期的リズムの上で展開され、それが単声の持続音を残して中断される。木管楽器は、弦楽器の周期的リズムに反発するかのように、細かい音型が相互にまるで無関係に飛び交う(前出の譜例2の練習番号3以降、及び譜例3)。この組み合わせが縮小されつつ6回出現し、7回目に音の密度を最も高めた後に溶解してチェロの低音域の変イ音に到達する。

(譜例3)

第3部:Lento Drammatico
前の部分の低音域の変イ音を引き継いで、その音を中心とした細かい揺れのような音楽に発展していく(譜例4)。その揺れがさらに発展して半音階的な上行音型による小爆発を導く(譜例5)。半音階的な上行音型と小爆発の組み合わせはグループ化されて6回現れ、7回目以降は全楽器による16分音符単位の周期的リズム音型が大爆発として現れる。

(譜例4)
(譜例5)

第4部:Moderato con anima
軽く動き回るような木管四重奏を中心とする音楽だが(譜例6)、前の部分を静めるかのように、比較的穏やかに音楽は推移する。

(譜例6)

第5部:Scherzando
徹頭徹尾3拍子の舞曲的な楽想の音楽(譜例7、練習番号18以降)。後半には同一和音の反復によって舞曲的リズムが強調される。

(譜例7)

第6部:Moderato con moto
構造的には第4部に相似。木管楽器のアンサンブルを弦楽器の持続音が支える静的な音楽。アンサンブルでは木管楽器個々はそれぞれに与えられた数個の音列を反復する。ただしフレージングが一定ではないので、反復を露骨に感じることはない(譜例8の練習番号27以降、及び譜例9)。

第7部:Risoluto
前半は12音音列からなる旋律をユニゾンで全楽器が奏する(譜例10の練習番号33以降)。旋律の後半は音列の逆行型を用いて構成されている。

(譜例10)

後半は構造的にはコラールだが、楽器群ごとに和音を形成し、木管楽器群の入りを半拍ずらし、全ての楽器の音長を出現の度に変え、音強変化(crescdim)を伴うことで、一般的なコラールとしては聞こえない(譜例11の練習番号35以降)。

(譜例11)

第8部:Giocoso
第7部後半と同じく構造的にはコラール。ただし、時間軸上で隣接する和音の音域が大きく変化し、また木管楽器群が装飾音群を伴うことでコラールのようには聞こえない(譜例12練習番号37以降)。

(譜例12)

第9部:Lento espressivo
第1部前半モットーαの変奏である。音列はほぼ同一だが、リズムが変化している。ここで曲冒頭を再現することの「思い出の効用」によって音楽の統一性を図っている。

第10部:Allegro molto con anima
第9部における線的音楽の放縦を止め、限られた素材の反復による規則性に満ちた音楽(譜例13)を対照的に置くことで曲全体の多様性をもたらしている。

(譜例13)

第11部:Capriccioso
木管楽器や弦楽器の独奏や二重奏による音楽が中心になる。個々の楽器の表現幅は広い。独奏担当楽器の変更時にフォルティシモの激烈なスタッカー和音を伴う(譜例14の練習番号48以降、及び譜例15)。モットーβが最後に登場してこの部分を閉じる。

(譜例14)
(譜例15)

第12部:Appasionato
ここまでの音楽と趣きが異なる。いわばコーダ的な音楽。音高構造は半音階を多用した調性の趣を示す。8小節の導入の後、5小節単位の楽節(譜例16 、及び譜例17)が3回繰り返され、その繰り返しの度に楽器を増やしていきクライマックスを導く。そのクライマックスが溶解してひとまず曲全体を閉じる。

(譜例16)
(譜例17)

第13部:Adagio con espressivo
曲を閉じた後の「思い出」として、曲の最初の2種類のモットーがかなり省略された形で顔を出す。