◉題名:《ポンニャカイ,セダーに化ける》9人の弦楽奏者のための音詩
 Ponhakay in the shape of Seda: Tone Poem for 9 String Players
◉演奏時間:9分
◉作曲:2006年7月
◉初演:2006年10月福岡市あいれふホール,第27回九州現代音楽際, アンサンブル・デ・ナ・モデルン
◉出版:マザーアースN1006FR
◉楽器編成:ヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1(計9奏者、弦楽合奏ヴァージョンとしても演奏可能) 

題 名

インド起源の叙事詩「ラーマヤナ」は東南アジア諸国においてもたいへん親しまれ、芸能や造形芸術の題材になっている。「ラーマヤナ」は国・地域や芸能の種類によってその細部は微妙に違っていて、それがまたおもしろい。

私のこの作品はカンボジア版ラーマヤナ物語である『リアムケー』の中の有名なエピソード「ポンニャカイ、セダーに化ける」をモチーフにした音詩である。音詩とは物語の内容を音楽で描写する標題音楽とは異なり、物語の内容に触発されて得た音楽的着想を自由に展開させたものを意味する。

物 語

主人公リアム(=ラーマ)の妻セダー(=シータ)は魔王リアップ(=ラーヴァナ)に拉致され、ランカ島のリアップの居城に幽閉された。セダーを救うためリアムはランカ島に攻め入りリアップの軍勢と対峙する。

リアップはリアムの戦意を喪失させるため、一計を案じてセダーの偽の死骸をリアムに見せようとする。セダーの死骸にはポンニャカイ(=ラーヴァナの姪、幽閉されたセダーの世話係)が化けている(図1)。川の上流から流れてきたセダーらしき死骸を見てリアムは衝撃を受ける。はじめは衝撃のあまり戦意を喪失していたリアムだが、猿のハヌマーン(リアムの家来)の指摘によってセダーの死骸が実はポンニャカイが化けたものであることに気付く。ポンニャカイはリアップの命令に抗しきれず、意に染まぬままにセダーに化けたのだと涙ながらに告白する。リアムはポンニャカイを許し、リアップのところに送り返す。それに付き添うように命じられたハヌマーンは、その道中、ポンニャカイと恋におちいってしまう。

図1:セダーの死骸として川に浮かぶポンニャカイ

私はこの物語を、カンボジアの伝統大型影絵劇スバエクトムによる上演で鑑賞した(写真2)。

上演中のスバエク・トム

そしてその影絵劇の進行を生き生きと支える民族楽器(青銅製の打楽器を中心としてアンサンブル)の響きにも感激した。その音楽はヘテロフォニーで出来ている。へテロフォニーとはごく単純化して言えば「ずれて演奏される単旋律による音楽」。単旋律のずれによってポリフォニー化した音響テクスチュアがそこに立ち上がってくる。

私のこの音楽もスバエクトムの音楽に影響を受けたヘテロフォニー的な音響テクスチュアによっている。しかし外観はスバエクトムの音楽とはまったく別物である。

物語と音楽との関係

音楽の内容は話しの内容と必ずしも直結しない。話しを追うことよりも、女性であるがゆえに運命に翻弄されるポンニャカイの内面に私なりに想いを寄せ、音でそれを表現しようとしたからである。以下の音楽の内容と話しの内容に関する作曲時の「内的意図」である。

第1部(冒頭及び練習番号A/1 – 20小節):美しくこころやさしい乙女ポンニャカイ

第2部(練習番号B、C、D/21 – 51小節):過酷な運命への予感

第3部(練習番号E、F/52 – 71小節):魔王リアップから命令を受けるポンニャカイの不安

第4部(練習番号G,H,I/72 – 99小節):ポンニャカイの決意。セダーの死骸に化けて川面を流れる

第5部(練習番号J、K、L/100 – 129小節):ポンニャカイが化けた死骸を見てうろたえるリアム王子

第6部(練習番号M、N、O/130 – 162小節):セダーが死んだと思い悲しむリアム王子、それを見て良心が痛むポンニャカイ

第7部(練習番号P/163 – 173小節):ハヌマーンが、死骸の嘘を見抜く

第8部(練習番号Q、R、S、Tの2小節まで/174 – 200小節):ポンニャカイの意地と不安の激しい交錯

第9部(練習番号Tの3小節から、U/201 – 221小節):命令を果たせなかったポンニャカイ、悲しみと精神的混乱

第10部(練習番号V/221 – 229小節):ポンニャカイはリアップのところへ返される途中、伴をしてきたハヌマーンと恋におちる。

構成・構造

第1部(Andante)―第2部(Allegro Moderato)―第3部(Andante)はひとつの楽章としてまとめることが出来る。テンポの指示からも明白なようにそれ自体で3部形式を示すからだ。中心となるのはホ音を主音とするフリギア旋法による主題音列(譜例1)であり、それがヘテロフォニックに進行してテクスチュアを形成する(譜例2、3、4)


(譜例はクリックすると新たなタブで拡大表示される。以下のすべての譜例も同じ。)

(譜例1、主題音列)
(譜例2、冒頭から)
(譜例3、練習番号Bから)
(譜例4、練習番号Dの10小節目から)

第4部第5部はともにAllegro decisoと表示されていて、その括りでひとつの楽章として捉えることが出来る。第4部は第3部から一転して活発な楽想になる。主題音列の反行型が内声に現れ(譜例5)、しばらくしてそれが外声に出て、音価を縮小して運動性を高める(譜例6)。さらに第5部では低音声部に主題音列の反行型がヘテロフォニックに現れる(譜例7)。

(譜例5、練習番号Gの7小節目から)
(譜例6、練習番号Iから)
(譜例7、練習番号Jから)

第6部(Adagio cantabile)では主題音列とは異なる旋律が、一定の伴奏音型の繰り返しの上に現れる。その旋律を第3・第4ヴァイオリンによる副旋律が音高関係のバランスを壊すように現れる(譜例8)。

(譜例8、練習番号Nから)

第7部(Andante, Quasi una “Cadenza”)は主題音列に基づく第一ヴァイオリンによるカデンツァ。

第8部(Allegro deciso)は第4部の再現である。

第9部は、その寸前までのヘ短調の音楽がいきなり半音上がって嬰ヘ短調で展開する。その直後から調性外の音が混じりだす。調性外の音は徐々に増え、調性は崩壊する。その過程においても主題音列の反行型は様々な音高で常に現れ続ける。無調性の混沌とした音楽は徐々に静まっていく。

第10部は主題音列とその反行系音列が組み合わされて明確な旋律線をなし、それが3回出現する。そのたびに旋律の背景となる和音が不協和音から徐々に音高を変えてホ短調主和音に変わっていく。

演奏に関する注

(1)第4小節、第8小節、第11小節、第14小節ぞれぞれの3拍4拍の第2チェロとコントラバスの音はdiminuendoでありながらも確実に長さいっぱい響いて残っている必要がある。

(2)第29小節目及び第38小節目は、前からのcrescendoがあるものの、いきなり挿入されたような感じの表情を与えることが望ましい

(3)48小節のffと49小節のpの対比を明確にする。50小節のffと51小節のpも同じ関係。

(4)練習番号E、Fの4本のヴァイオリンによるflageoletの連続が1本のメロディに聞こえるように

(5)練習番号E、Fのヴィオラのグリッサンドは軽くあっさりやる。表情をつけすぎて過剰に目立つことのないように。

(6)練習番号Gへの移行は、ritもaccelもなく唐突に行ってください。

(7)練習番号G、H、Iでのヴィオラ、チェロによる和音反復は、明確に入りをそろえて、ffで、あたかも打楽器によるリズムのように表現してください。

(8)練習場号G、H、I,での4つのヴァイオリンは役割上の重要度は同等です。例えば第1ヴァイオリンだけが目立つ等というようなことは避けてください。

(9)練習番号J、Kでの2つヴィオラ、2つのチェロ、コントラバスの役割上の重要度は同等です。例えば第1ヴィオラだけが目立つ等というようなことは避けてください。また、それらのパートの各フレーズ最後の8分音符2つから成るffは非常に目立つように弾いてください。

(10)練習番号Mに入る際、その前の小節のritは不要です。

(11)練習番号M、N、Oのヴィオラ、チェロ、コントラバスはまったくの伴奏的背景になりますので、淡々と表現してください。第3ヴァイオリンと第4ヴァイオリンはsul ponticelloで他から浮き上がって聞こえる必要があります。場合によっては強弱記号を1ランク上げていただく必要が出てくるかも知れません。

(12)練習番号Pは第1ヴァイオリン独奏で、協奏曲のカデンツに相当するところです。tempo rubatoをたっぷりしてくださってもかまいません。

(13)練習番号Q,S、Tの2小節までは、練習番号G、H、Iと同様です。

(14)練習番号Tの3小節からUでは、すべての楽器が同等の役割です。嬰ヘ短調の音階からなる楽句を反復していきます(楽器ごとに反復周期は異なる)。反復の間に無調の楽句が挟まれていき、それが増えていき、カオス状態になっていきます。嬰ヘ短調の楽句はffが、無調の楽句はfpが、それぞれつけられております。そのことで両者の違いをはっきりと表現してください。