基本情報
九州シティフィルハーモニー室内合奏団(九州シティフィル)から委嘱を受け、4月20日の第1回目の定期演奏会のために昨年末から3月半ばにかけて作曲した。4つの楽章、すなわち4つのラプソディから成り、上演時間は約17分。うち第1ラプソディだけは第1回定期演奏会に先立つ2月24日の九州シティフィルと那珂川市・ミリカローデン那珂川との提携協定記念演奏会ですでに初演されている。
楽器編成は九州シティフィルの通常の演奏会用編成のためのもので、フルート1、オーボエ1、クラリネット1、ホルン1、弦5部(5, 4, 3, 3, 2)から成る。
タイトルのラプソディは叙事的・民族的な色彩を持ち、かつ即興性に富んだ自由な形式による楽曲を意味する。本作品の場合、明治以降の国民国家形成に寄与することを目的に作られた唱歌や童謡の引用が叙事的・民族的な色彩に関係する。そしてそれらの引用が自由で即興性に富んだ形式をおのずと要求した。
作曲意図
「ヴィヴァルディ作曲《四季》の現代版のような曲を」という委嘱者からの要望に応えるために、
(1) 春・夏・秋・冬を象徴する4つの楽章から成る、
(2) 表現されている季節が明確に分かる音楽、
(3) 現代曲であっても多くの人々に親しんでもらえる音楽、
というコンセプトを設定した。
このコンセプトを実現するために、季節を明確に表す戦前の唱歌や童謡を素材として曲中に引用した。ただしひとつの楽章がひとつの季節を象徴しているだけでは表現のふくらみが制限されるので、「冬から春へ」「春から夏へ」「夏から秋へ」「秋から冬へ」というようにひとつの楽章に複数の素材を用いて季節の移り変わりを描くようにした。
戦前の唱歌や童謡を引用素材としたのは私がそれらを大好きであるからだ。そこに描かれている山や海、川、里の様子、さらにそこで暮らしている人々の様子などを想像するとなつかしさで胸が一杯になる。
ところが民間がつくった童謡はともかくも、国がつくった唱歌の方にはなつかしさの背後にかなりやばいもくろみがあったことがいろいろとわかってきた。簡単に言えば唱歌には帝国主義的思惑を抱えた富国強兵政策推進の教材として側面が強いものがいくつかあるのだ(例えば「我は海の子」「蛍の光」)。はっきり言えば戦争に協力する国民を育てようとする意図のもとにつくられてきた面が無視できない。一方童謡に関して言えば厭戦気分を暗示する歌が童謡という仮面をかぶることで世に出ることを許された側面もある(例えば「もずが枯れ木で」「里の秋」)。
つまりこの曲における唱歌や童謡の引用は、なつかしさなどの情緒面だけではなく、社会的視点も盛り込んでなされ、そうした視点を強調するためにも変奏・変容が加えられている。
この曲には引用以外にも循環主題(すべての楽章に出現する主題で)が設定されている。この主題を「宿命の動機」と名付ける。これは作品冒頭に出現する。きびしい季節としての冬を象徴しているとともに、欧米先進国の圧力にさらされた近代以降の日本の状況の暗示でもある。またそうした圧力克服のため、国民に強いられた苦難をも表している。
なお引用されている唱歌や童謡は次の通りである。「越天楽(はるの弥生のあけぼのに)」、唱歌「春が来た」、唱歌「茶摘み」、唱歌「われは海の子」、少女歌謡「宵待草」、唱歌「村祭り」、唱歌「虫のこえ」、唱歌「雪」、童謡「もずが枯れ木で」。
(以下の解説文中の譜例はクリックすると拡大表示される。)
第1ラプソディ「冬から春へ」
第1ラプソディは3部分から成る。
第1部(冒頭から練習番号4前まで)は「冬」であり、具体的な季節として冬のみならず、幕末以降の欧米の脅威にさらされた日本の緊張感に満ちたきびしい時代を象徴する。冒頭2小節目から3小節目に弦楽器によって出現するのが「宿命の動機」(譜例1)である。その後にその宿命への反応としての「忍従の動機」(譜例2)が出現する。
第2部(練習番号4から練習番号7前まで)は「春のきざし」を象徴しており、「春の弥生のあけぼのに」の歌詞で知られる「越天楽」が引用されている。当然のことながら雅楽風イメージの編曲がなされている(譜例3)。8小節の旋律が3回反復され、その都度、伴奏の弦楽器の音型が変化する。管楽器の複数声部による音楽はヘテロフォニーの手法が用いられている。
第3部(練習番号8から最終小節まで)は「春の訪れの喜び」を表すために唱歌「春が来た」を素材にしたミニマル・ミュージック風音楽が展開される(譜例4)。
途中で「春が来た」の主要モチーフを素材にするもののまったく異なるニュアンスを感じさせる音楽に変わる(練習番号12から練習番号16前まで)。春は新学期などに象徴されるように生活の新たな始まりの時期であり、個人的な環境変化による心理不安が起こる時節でもある。
その後にふたたびミニマルミュージック風の音楽が戻ってくる(練習番号16から最終小節まで)。そして最後のMolto meno mossoになって「春が来た」の旋律がはじめてはっきりと顔を出す。
第2ラプソディ「春から夏へ」
第1部(冒頭から練習番号4前まで)は唱歌「茶摘み」が引用されている。素朴な旋律が半音階変化音による和声付けを施されて出現する(譜例5)。この歌が本来持っている叙情性をより強調するためである。
第2部(練習番号4)は「宿命の動機」による部分。
第3部(練習番号5から練習番号11前まで)は唱歌「われは海の子」の一部を引用してテーマとするフーガ(譜例6)。
第4部(練習番号11から練習番号15前まで)は「忍従の動機」から派生した旋律断片(譜例7)の反復による一種のミニマル・ミュージック風音楽(譜例8)。ただし見た目は正確な反復になってはいない。元来6声部のミニマル・ミュージックとして構想したものを3声部に圧縮したためである。
第5部(練習番号15)は第4部においてはミニマル・ミュージック風に展開された「忍従の動機」がヴァイオリン独奏によってカデンツァ風に展開される(譜例9)。
第6部(練習番号16から最終小節まで)は第3部の再現である。しかしフーガの形態ではなく、主題とその対旋律の組み合わせで簡潔に出現する。その後に「われは海の子」がホルンによって原形で出現しはじめるが、すぐに弦楽器のトレモロの中に消えていくように終わる。
■第3ラプソディ「夏から秋へ」
弦楽合奏曲。「できれば弦楽器のみで演奏する楽章もつくってほしい」という委嘱者からのつぶやきに応えたのがこの第3ラプソディ。
三部形式の第1部(冒頭から練習番号4まで)と第3部(練習番号13から最終小節まで)の引用素材はともに少女歌謡「宵待草」。しかし両部分では素材は同じでもその扱いはまったく異なる。
第1部は主旋律を第1ヴァイオリンがしっとりと奏でる(譜例10a)。他の楽器は主旋律の背景、つまり伴奏声部である。ただし練習番号2からは伴奏声部が旋律線を形成し、多声音楽的な様相を示す(譜例10b)。
第3部は低音弦を除く5声部による主旋律の反復によってミニマル・ミュージック風に展開される。
中間部の第2部(練習番号4から12前まで)の引用素材は唱歌「村祭」である(譜例11)。それ自体が転調し、主要モチーフの反復が多用され、まるでソナタ形式における展開部のような様相を示す。その後(練習番号12)には「宿命の動機」がわずかに顔を出す。
第4ラプソディ「秋から冬へ」
全曲中唯一の古典的形式による楽曲。これまでの楽章は形式的に自由であり、まさにラプソディとしての構造的特徴を前面に押し出すものであった。それに対してこのラプソディは序奏つきのソナタ形式による楽曲であり、形式的統一感を前面に出して、つまり最後だけは楽曲としての秩序を感じさせて終わろうとした。
序奏Adagio(冒頭小節から練習番号3前まで)では唱歌「虫の声」が出現する(譜例12)。冒頭からの高音域での弦楽器のピッチカートは虫の音を象徴している。
主部の提示部第一主題(練習番号3から練習番号6前まで)は唱歌「雪」の旋律を引用して作成している(譜例13)。第2主題(練習番号6)は童謡「もずが枯れ木で」を引用している(譜例14)。
展開部(練習番号8から練習番号17前まで)ではまず第1主題が展開の素材になる。その盛り上がりの頂点に「宿命の動機」が出現する(練習番号11の2小節目から練習番号13前まで)。次に管楽器によって第2主題が自由に変奏される(練習番号13から練習番号15前まで)。その副旋律としてホルンが活躍する。その後にホルンは主旋律となって発展し、再現部を導く(練習番号15)。
再現部は提示部とほとんど同様にはじまる(練習番号17から最終小節まで)。第2主題は展開部の後半に出てきたために、ここでは省略されている。最後は全奏で盛り上がって終始する。