《銀河鉄道幻想》基礎情報
トリオ・ココラヤ(太田真紀:ソプラノ、森あゆみ:クラリネット、棚田文紀:ピアノ)に委嘱によって2018年7月に作曲。8月29日(水)アクロス福岡円形ホール「トリオココラヤ コンサート」にて初演された。
《銀河鉄道幻想》は宮沢賢治の有名な小説『銀河鉄道の夜』に描かれた世界観の音楽化(おそらく独唱・合唱付きの交響曲第6番となる予定)への前段階の試みのひとつである。編成はソプラノとクラリネット、ピアノによるトリオである。演奏時間は約15分。
『銀河鉄道の夜』に描かれている銀河は「彼方」つまり死の世界の象徴であり、銀河鉄道は「彼方」と地上の現実世界「この世」とを結ぶ鉄道である。夜はこの鉄道の存在が深く意識させられる時間である。
《銀河鉄道幻想》内容
『銀河鉄道の夜』はとても豊かな内容を持っている。豊かすぎてその世界観の細部までを理解しそれを音楽として表現することは一筋縄ではいかない。そこで小説『銀河鉄道の夜』そのものではなく、その原形となる童話『双子の星』の中から二つの詩と、原題が《銀河鉄道の一月》であった《岩手軽便鉄道の一月》という詩とを、銀河すなわち「彼方」を表現するテクストとして選んだ。そしてこの銀河に対峙する「この世」として岩手の大地で繰り広げられる若人による剣舞の様子を描いた詩《原体剣舞連》をテクストに選んだ。
構成としては第1部が『双子の星』から二人の童子が歌う《お日さまの歌》、第2部も同じく『双子の星』から《星めぐりの詩》、第3部は《原体剣舞連》の前半、第4部は《原体剣舞連》の後半、そして第5部は《岩手軽便鉄道の一月》である。
すなわち第1部と第2部は「彼方/銀河」、第3部と第4部は「この世/岩手の大地」、第5部は「彼方/銀河」をそれぞれ表現する。銀河は「天の川」として見れば幻想的で美しい。しかしその内部は星雲の破裂や星の衝突などが頻繁に見られ、膨大なエネルギーが放出されている。そのエネルギー放出を象徴する音楽内容が頻繁に配置される。
第3部と第4部の「剣舞連」は岩手に伝わる一種の「霊魂の鎮め」の舞である。地域によって様々なタイプがある。賢治は複数の実例を見てから5〜6年後にこの詩を書いたようで、字句は実際の「剣舞連」とはあまり関係なく、彼の想像による描写が随所に見られる。dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dahというかけ声もモデルが明確にあるわけではなく、彼の創作に近い。音楽構成の見地からこの第3部はその前後との対比をねらってAllegro barbaroの急速のテンポをとる。第4部は賢治のオリジナル旋律でゆったりしたテンポが主導する。第5部は「彼方/銀河」を中心としながらも、じつは「この世/岩手の大地」の要素が時々顔をのぞかせる。
この作品にあってはテクストは音楽的発想を得るための刺激剤である。テクストを含めた音楽表現全体が作品の内容となる。テクストそのものを中心に音楽化して前面に出すことが目的ではない。
なお第2部の《星めぐりの詩》と第4部の《原体剣舞連》後半は賢治のオリジナルの旋律を引用している。賢治は自身でチェロも弾き、レコードのコレクションを持ち、地域の青年たちを集めてレコードコンサートを開いたりしていた。そして自らも作曲をしていた。とにかく音楽が好きだったのである。その賢治の「生の声」という位置づけで賢治オリジナルの旋律がこの作品の中に存在する。もちろん、「彼方」と「この世」を関係を強調する形で編曲を施されて存在する。
現代音楽としての《銀河鉄道幻想》
かつてホアキン・M・ベニテズはその著『現代音楽を読む エクリチュールを超えて』(朝日出版社、1981)の中で多様式の時代における現代音楽を3つに分類した。それは「前衛音楽」「実験音楽」「伝統主義」である。この分類は音楽外観の相違によるものではなく、作曲態度の違いによるものである。
「前衛音楽」は素材と構造を作曲思考の中心に置く。ブーレーズやシュトックハウゼンやその系列上の例えばセリー音楽、フランスのスペクトル楽派の音楽などは「前衛音楽」である。作曲界では現代音楽を代表するのが「前衛音楽」と思われているようだ。
「実験音楽」は結果ではなくてプロセスの提示そのものを作曲と見なす。ジョン・ケージがその代表的なもので、結果は偶然性に委ねられる。例えばケージの《Imaginary Landscape No.4》(1951)は12台のラジオ受信機のために書かれ、それぞれ2人ずつの奏者が周波数とボリュームを操作する。操作の仕方は楽譜に詳細に記されているが(つまりプロセスはきちんと提示されているが)、現実に聞こえる音響は演奏される場所や日時によってラジオの放送内容が異なるため、同一の結果になることはない。
「伝統主義」は感情や思想などの音楽外の表現を主たる内容とする音楽である。素材と構造についての作曲思考は作曲行為の主体となることはない。もちろん現代音楽である限りはそれが普通の調性音楽であることもあり得ない。
すでに「概要」に述べたことからも明らかに想像できるように《銀河鉄道幻想》は明らかに「伝統主義」に属する音楽である。ただし感情や思想などの音楽外の表現のためには素材や構造面において「伝統」を逸脱することも厭わない。伝統的な作曲技法においては「ヘタくそな表現」と思われることも敢えてやっている。
『銀河鉄道幻想』の構成
(※いずれの譜例もクリックすると拡大表示される。)
第1部
(M.1-56, pp.1-6)
夜空に見る銀河は美しいが、とてつもない宇宙のエネルギーを感じさせる世界である。エネルギーを象徴する楽句(譜例1)と、二人の童子(ボウセとチュンセ)の素朴な交流を象徴する楽句(譜例2)が交互に現れる。エネルギーの発露はけっして乱暴なものではなく、コスモス(宇宙)である瞬間も顔を出す。ソプラノパートにおける長三和音分散型による楽句はまさそうである(譜例3)。
第2部
(M.57-121, pp.6-10)
宮沢賢治作曲の中ではもっともよく知られた「星めぐりの歌」がそのままソプラノパートに現れる。星を歌った素朴な歌詞とメロディは夜空へのあこがれをかき立て、そこに人智を超えた星の世界の拡がりや、未知への不気味さや、この世とはとは異なる星の世界の重力を、クラリネットとピアノが表現する(譜例4)。
第3部
(M.122-309, pp.10-23)
剣舞を描いた激しい音楽が中心となる。標語もAllgero barbaro(はやく、荒々しく)となっており、剣舞の様子を描く。剣舞とは文字通り刀を持って若者たちが激しく舞う民俗芸能である。太鼓の音を模したリズム中心の部分(譜例5)と、きわめて速いテンポで歌う単調なリズムの上の旋律部分(譜例6)が交互に繰り返される。中間部のAllegro scherzando(はやく、諧謔的に)では12音技法的が使われており、不定形な感じの音楽が展開される(譜例7)。
第4部
(M.310-359、pp.23-25)
宮沢賢治のオリジナルの「原体剣舞連」の音楽がほぼそのままの形で挿入されている(譜例8)。賢治は現実の剣舞の世界から孤独な幻想世界の剣舞を体験する。
第5部
(M.361-422、pp.26-33)
大きく3つからなる。最初の第5部A(M.360-383)は岩手軽便鉄道の沿線の様子の描写である。この鉄道をめぐる幻想が銀河鉄道の発想の源になっている。その後半は河の流れを模している(譜例9)。第5部B(M.384-407)では沿線の植物にその学名で次々と呼びかける(譜例10)。呼びかけることで空想の中で植物を戯れる。第5部C(M.408-422)では列車が沿線の桑の木と接触寸前ですれ違ったことで空想から現実に戻る。そして河の流れに再び気付く(譜例11)。
『銀河鉄道幻想』の歌詞
第1部
お日さまの、
お通りみちを はき浄め、
ひかりをちらせ あまの白雲。
お日さまの、
お通りみちの 石かけを
深くうずめよ、あまの青雲
(童話『双子の星』より、新編『銀河鉄道の夜』、新潮文庫pp.8-9)
第2部
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あおいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊にひたいの うえは
そらのめぐりの めあて。
(童話『双子の星』より《星めぐりのうた》、新編『銀河鉄道の夜』、新潮文庫pp.20-21)
第3部
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手(おどりこ)たちよ
鴾いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生せいしののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮(まだかわ)と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる顥気(こおき)をふかみ
楢と椈(ぶな)とのうれひをあつめ
蛇紋山地(じゃもんさんち)に篝(かがり)をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah
肌膚(きふ)を腐植と土にけづらせ
筋骨はつめたい炭酸に粗あらび
月月つきづきに日光と風とを焦慮し
敬虔に年を累かさねた師父たちよ
こんや銀河と森とのまつり
准平原の天末線に
さらにも強く鼓を鳴らし
うす月の雲をどよませ
Ho! Ho! Ho!
むかし達谷(たつた)の悪路王
まつくらくらの二里の洞
わたるは夢と黒夜神(こくやじん)
首は刻まれ漬けられ
アンドロメダもかゞりにゆすれ
青い仮面(めん)このこけおどし
太刀を浴びてはいつぷかぷ
夜風の底の蜘蛛くもをどり
胃袋はいてぎつたぎた
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
さらにただしく刃やいばを合はせ
霹靂へきれきの青火をくだし
四方の夜の鬼神をまねき
樹液もふるふこの夜よさひとよ
赤ひたたれを地にひるがへし
雹雲ひよううんと風とをまつれ
dah-dah-dah-dahh
(《原体剣舞連》前半、詩集『春と修羅』より、新編『宮沢賢治詩集』、新潮文庫pp.72-75)
第4部
夜風とどろきひのきはみだれ
月は射いそそぐ銀の矢並
打つも果てるも火花のいのち
太刀の軋きしりの消えぬひま
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
太刀は稲妻萱穂いなづまかやぼのさやぎ
獅子の星座に散る火の雨の
消えてあとない天のがはら
打つも果てるもひとつのいのち
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
(《原体剣舞連》後半、詩集『春と修羅』より、新編『宮沢賢治詩集』、新潮文庫p.75)
第5部
ぴかぴかぴかぴか田圃の雪がひかってくる
河岸の樹がみなまっ白にに凍っている
うしろは河がうららかな火や氷を載せて
ぼんやり南へすべっている
よう くるみの木 ジュグランダー(Juglanda) 鏡を吊るし
よう かわやなぎ サリックスランダー(Salixlanda) 鏡を吊るし
はんのみ アルヌスランダー(Alnuslanda) 鏡鏡鏡鏡を吊るし
からまつ ラリックスランダー(Larixkanda) 鏡を吊るし
グランド電柱 フサランダー(Fusalanda) 鏡を吊るし
さわぐるみ ジュクランダー(Juglanda) 鏡を吊るし
桑の木 モルスランダー(Moruslanda) 鏡を‥‥
ははは 汽車こっちがとうとうななめに列をよこぎったので
桑の氷菓はふさふさ風にひかって落ちる
(《岩手軽便鉄道の一月(銀河鉄道の一月)》、詩集『春と修羅 第二集』より、新編『宮沢賢治詩集』新潮文庫pp.232-233)