九州交響楽団(以下、九響)は今年創立65年を迎える。5年前の創立60年の際には「九響ビジョン」を制定し、音楽監督として小泉和裕氏を招聘した。その結果として2015年からは定期演奏会をそれまでの年8回から9回に増やし、新たに年4回からなる「名曲・午後のオーケストラ」シリーズも開始した。また九響ビジョンを反映して定期演奏会にアジア出身の指揮者や独奏者を積極的に起用し、アジア人作曲家の作品や九州ゆかりの作曲家の作品を取り上げるようになった。

主催公演数が増えたことで九響の全体としての聴衆増は図られつつある。反面、聴衆が新しいシリーズに流れたせいか、定期演奏会の空席が目立つ。定期演奏会は楽団の看板公演であり、本来ならもっとも盛り上がるべき演奏会であるはずが、なぜそうならないのか。その原因を間違ってもアジア重視の方針に求めてはならない。

交響楽団はその本来の活動だけでは経営が成り立ちにくい因果な組織である。九響の場合も然りで、事業支出の半分を補っているのが公的補助金(福岡県と福岡市が同額でその比率はかなり高い)と寄付金である。そこで考えなくてはならないのは、公的補助金は人口比でごく少数のクラシックファンの愉悦のためだけのものではないという点だ。

九響の活動が将来をも見据えた地域全体の拡がりある文化創造となり、それがファン以外の人々にも精神的豊かさと誇り(シビック・プライド)をもたらしてくれると信じるがゆえに、公的補助金は認められている。その点で九響のアジア重視の方針はまさに地勢的・歴史的文脈において適切なもので、独自性において世界的視野での名声を得る可能性にも満ちている。それに向けて必死の努力をしてほしい。

その努力に関して問題と思われるのは九響全体の広報の姿勢だ。広報なんて言うと型にはまった事務仕事を想起させるが、要は「話題づくり」である。その件に関してあるエピソードに触れたい。

    • 今から5年ほど前、九大の椎木講堂で、音楽監督指揮の九響を招いて椎木講堂柿落としの記念演奏会があった。会場はもちろん満席。名前由来の椎木氏も病をおして臨席。椎木氏は九響の財政難を救った人。演奏に際して音楽監督から椎木氏に一言あるかと思ったが何もなし。九大に対しても祝意の言葉もない。
    • 椎木講堂のある九大学研都市には2万人の学生が学ぶ。柿落にはそれ相応の地位にある人たちも出席していた。そこにクラシックファンがどれほどの数がいるのか不明だが、いずれにせよ九響の聴衆になり得る人たちの割合の高い集団だ。少しでも親しみを感じてもらうために音楽監督の口から聴衆に対して一言なにかほしいと思った。
    • 音楽監督がそういうことが苦手だったとしても、九響事務局がなにもせずに手をこまねいていてよい訳はない。無理にでも音楽監督に語らせるか(熊本大震災の時に音楽監督はステージ上から募金を呼びかけていたが、かえってその訥弁に多くの人が好感を持ったようだ)、その代わりの何かを事務局がすべきだった。

広報は地下街にでかいポスターを貼るだけではない。ちょっとした時に自分たち九響への関心を喚起するように振る舞うこともじつに大切な広報なのだ。

なお、このネット時代、ファンのみならず多くの人々と交流をはかり九響の存在を知ってもらうためにそれを積極活用しない手はない。この件に関して驚くのは半年以上も九響の公的メールマガジンが理由も示されずに休止していたことであり、文化庁「文化芸術による子供の育成事業」に選ばれて興味深いワークショップを展開しているにもかかわらずその話題が九響公式ホームページに見当たらないことだ。

「話題づくり」にはネットだけではなく、新聞・テレビ・ラジオなどの既存メディアもこれまで同様きわめて重要であることは当然のこと。

北海道旭川市に有名な旭山動物園がある。人口30万の地方都市の動物園の入場者数は東京上野動物園に次ぐ全国第2位であった(数年前に名古屋の東山動物園に抜かれて第3位になったが、それにしてもすごい)。「パンダやコアラ、ラッコがいない動物園は動物園にあらず」と言われた時代に、予算がなくてそれらの動物を購入できない旭山動物園は、「動物園が見せるのは命」というコンセプトを前面に押し出した「行動展示」で話題になったのだ。この「話題づくり」に関しては旭山動物園の場合、園長自らが頻繁に地域の新聞社と放送局を訪ねて回り、その時々の園の話題を説明したという。多くの場合は無視されたらしいが、メディアには時々ネタ枯れの時があり、そういう時に埋め草代わりに動物園のことが取り上げられるようになった。そのことで徐々に動物園のことが地方の話題になり、さらに全国的な話題になったのだ。

九響も福岡地域のニュースやワイドショーなどに九響関係者、特に音楽監督やコンサートマスター、などをもっとテレビやラジオに露出できるように仕掛けたらどうか。

我々は大阪府と大阪市の直属公営の交響楽団と吹奏楽団の運営が首長の交代によって打ち切られた事例を知っている。ショックだったのはそれに対して府民市民からの反対の声が十分に挙がらなかったことだ。まさかとは思うが、九響への補助金を打ち切るなどということが起こらないという保証は何もない。そうした時に県民や市民が反対の声を挙げてくれるように九響関係者には日頃から振るまってほしい。繰り返すが、クラシックファンは人口比でごく少数なのだから。

(本稿は、西日本新聞6月10日掲載の記事に字数の関係で書けなかった論点を加え、再執筆したものである。)