6月22日(金)アクロス福岡シンフォニーホールでの、九州交響楽団第368回定期公演の聴きどころを紹介します。私は九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者ですが、このブログの記事は自由に個人的な視点で書いています。したがって内容に関する一切の責任は執筆者にあります。(譜例はクリックすると拡大表示されます)

368回定期公演の演目は、バーンスタインのバレエ音楽《ファンシー・フリー》、ガーシュイン《ラプソディ・イン・ブルー》、ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》、同じくドビュッシーの《交響詩「海」》。指揮は垣内悠希、《ファンシー・フリー》《ラプソディ・イン・ブルー》の両曲でピアノを担当するのは外山啓介。

この定期公演は「偉大なる2人の100年記念」と銘打たれています。つまり、バーンスタインの生誕100年、ドビュッシーの没後100年を記念しています。

なお、今回の「目からウロコ!?のクラシック講座」(6月1日、アクロス福岡円形ホール)では、初めての試みとして、口頭での解説だけでなくコンサート形式のピアノ連弾によって《牧神の午後への前奏曲》を演奏しました。したがってこのブログの記事も《牧神の午後への前奏曲》についてスペースをもっともひろく割いています。

レナード・バーンスタイン(1918-1990):

◎バレエ音楽《ファンシー・フリー》

作曲:1944年(ニューヨークのバレエ・シアターからの委嘱)。初演:1944年4月18日、メトロポリタン歌劇場にて作曲者の指揮

ユダヤ系アメリカ人音楽家バーンスタインは20世紀後半を代表する最高レベルのスター指揮者であり、優れた作曲家であり、ピアニストでもあった。さらにはクラシックの啓蒙活動や後進の指導にも熱心であった。まさに音楽界のスーパーマン。初のアメリカ生まれの世界的名声を獲得した音楽家として特筆すべき存在でもある。それまでにもアメリカ人としての著名音楽家はいたが、いずれもがヨーロッパ生まれであったからだ。

作曲家としての活動の頂点はミュージカル「ウェストサイドストーリー」(1957)。その頃までには複数の交響曲、第1番「エレミア」(1942)、第2番「不安の時代」(1947-1949)を作曲するなど、シリアスなクラシックの作曲にも熱中したが、指揮者としての名声による多忙さは彼の作曲時間を奪ってしまった。

「ファンシー・フリー」は「自由気ままな」という元来の意味に「恋を知らない、無邪気な」若者を揶揄するニュアンスを込めてタイトルにしたアメリカン・バレエである。バーンスタインはこのバレエで振付・演出家のジェローム・ロビンスとはじめて組んだ。後にこの組み合わせて「ウェストサイドストーリー」での大成功を勝ちとる。

バレエでは短い休暇を利用してガールハントのために酒場にやって来た3人の若い水兵が引き起こす軽いいざこざが描かれる。「3人の水兵の登場」「酒場での情景」「ふたりの娘の登場」「パ・ド・ドゥ(=男女二人による踊り)」「争いの場面」「ヴァリエイション」「終曲」の7曲から成る。ヴァリエイションでは3人の水兵が娘たちにアピールするためにそれぞれに得意のダンス「ギャロップ」「ワルツ」「ダンソン」を順に披露する。九響第368回定期では「ふたりの娘の登場」と「争いの場面」がカットされる。

音楽はクラシック編成の管弦楽を基調としているものの、ピアノと打楽器が活躍し、リズムや和声の面でジャズやアメリカン・ポップスからの影響が顕著であり、終始モダンで快活でわくわく感にあふれたままに推移する。

ジョージ・ガーシュイン(1898-1937):

◎ラプソディ・イン・ブルー

作曲:1924年(バンド用及び管弦楽用編曲はファーディ・グローフェ)。初演:1924年2月12日、ニューヨークのエオリアン・ホール、作曲者のピアノ独奏、ポール・ホワイトマン楽団

ヒットソングの売れっ子作曲家だったユダヤ系アメリカ人ジョージ・ガーシュインは、1924年初頭、自身がジャズ風協奏曲を作曲中との新聞記事を目にして驚く。まったく身に覚えのない記事内容だった。記事のネタ元はジャズバンドを率いて演奏のみならず演奏会企画でも辣腕をふるっていたポール・ホワイトマン。アメリカ音楽の創成を目論んでいたホワイトマンはガーシュインがそのための企画への参加を拒絶できないように仕組んだのだ。ガーシュインは結局3週間で作品を仕上げるはめになる。

この曲の特徴は魅力ある旋律のオンパレード。8種類ほどの旋律主題(譜例1〜8)が絶妙の順序とタイミングでいずれも複数回登場する。

譜例1:冒頭グリッサンドを伴ってクラリネットによって出現する第一主要主題。

 

譜例2:早足で歩くような単純なリズムだが、その単純さが様々な装飾変奏を許容する。第二主要主題。

 

譜例3:ピアノ独奏を活かした楽想で、ピアノによって出現することが多い。早口で語るような趣がある。

 

譜例4:いかにもジャズピアノ風のリズムと和音による楽句。

 

譜例5:二つの声部でカノン風に追いかけ合うようにして出現する。

 

譜例6:トランペットの弾むような感じが耳につく。

 

譜例7:低音域で力強いイメージで出現することが多い。

 

譜例8:楽曲自体の後半の中心楽想。第三主要主題。この旋律はこの曲の委嘱者であるホワイトマン楽団のテーマ音楽として一世を風靡した。

バーンスタインはこの曲を「メリケン粉と水を合わせた薄い糊でばらばらの文節を繋げたものにすぎない。作曲というのはつまり旋律を書くということとは違うのだ」と評した。しかしバーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮しつつピアノ独奏を担当したこの曲の入魂の演奏 https://www.youtube.com/watch?v=cH2PH0auTUU などを聴くと、作曲技法上のマイナス面をはるかに凌駕する別次元の音楽的価値がこの曲が持つことを、バーンスタイン自身が誰よりもよく理解していたことに驚かされる。

クロード・ドビュッシー(1862-1918):

《牧神の午後への前奏曲》

作曲:1892年。初演:1894年12月22日、パリでの国民音楽協会の演奏会、ギュスターヴ・ドレの指揮

ドビュッシーは一般にフランス印象派音楽の作曲家と言われている。印象派とは19世紀後半におこったフランス絵画のジャンル名である。印象派絵画の代表例であり、かつ「印象派」の語源にもなったのがクロード・モネの《印象・日の出》である(図1)。光、波、風などの自然の現象を絶えず変化する外界の刺激と捉え、その刺激に対する芸術家側の瞬間的な、生気に満ちた感応を漠とした印象として表現した作品である。方向性の明確な機能和声を否定したドビュッシーの音楽が漠とした印象を与えるところから、印象派絵画のアナロジーとして印象派音楽と認識された。その代表例が《牧神の午後への前奏曲》である。

図1:クロード・モネ《印象・日の出》

《牧神の午後への前奏曲》はフランスの象徴派詩人ステファン・マラルメの詩「牧神の午後」に寄せた音楽で、当初の計画では「間奏曲」「終曲」と続ける予定であった。しかし前奏曲自体がこの詩の印象を表現しきっており、続けて作曲する意義をドビュッシーはもはや見いだせなかった。

詩は、夏の午後の暑さの中でまどろむ半人半獣の牧神と水浴びするニンフ(水の精)との愛の愉悦に関する朦朧とした幻想を描いている。音楽はこの詩を逐語的に表現したものではなくて、詩の持つ夢幻的な詩情を生かしたものである。なお牧神とは上半身が人間で下半身が山羊であり、頭には角があり、足には蹄を持つ想像上の動物である(図2)。パンの笛を持ち、山野と牧畜を司る。

図2:ブグロー《牧神とニンフ》

既に述べたように朦朧とした幻想や漠とした印象を表現するために、この曲では和音の機能を曖昧にしている。和音の機能を曖昧にすると聴き手は音楽が次に進むべき方向性を予測できない。そうすると聴き手の関心は音楽の方向性ではなく音響そのものが鳴る瞬間に向かう。そのことがこれまでの古典的な構成を超越した音楽構成を可能にする。その顕著な例が冒頭フルートによって演奏される主要主題の提示後の変容(≒変奏)のありように見ることができる。

主要主題は冒頭に無伴奏でフルートによって提示される。ホ長調で記譜されたこの旋律は、変化音を多く含み、主要主題前半(譜例9)の最高音と最低音が増4度の音程(悪魔の音程と呼ばれる)を成し、調性が曖昧で、浮遊感=朦朧とした幻想を感じさせる。旋律線は下行して上行するという谷型を示す。

譜例9:無伴奏で出現

 

 

主要主題は変奏されて3回続けて出現する。変奏は主要主題前半の和声づけがすべて異なっていることに(譜例10、11、12)よってなされている。

譜例10:ニ長調の主要和音が旋律と合わせてⅠ度の七の和音を構成

 

 

 

譜例11:ホ長調のⅠ度の六の和音がハープのアルペジオで鳴る。

 

 

 

譜例12:イ長調のⅤの九の和音がハープのアルペジオを中心に鳴る。

 

 

 

さらに主要主題の後半(上に提示された2小節目以降)は相互にまったく異なっている。このような変奏は古典的な音楽を聴き慣れた耳には形式的理解の面で戸惑いをあたえることだろう。しかしこの戸惑いこそが聞き手にうわべの形式的理解を超えたその瞬間の魅力を気づかせる力になる。

都合4回の主要主題の出現の後に、主題をもとにした展開が行われる。ここでは主要主題の旋律の構成素材を著しく変えている(譜例13)。ここで言う展開とは変奏という枠を逸脱していることを指す。

譜例13:主要主題の谷型の旋律線をたどりながらそれは半音音階のみで構成され、その後の続きの楽句は全音音階で構成されている。こうした音階の違いは一定の音楽持続から聴き手の感性を自由にさせ、その瞬間に耳を集中させる。

さらのそのすぐ後には五音音階まで登場させる(譜例14)。この旋律は主要主題の変奏・展開ではなく、対比的な意味があり、これを副主題とする。

譜例14:非古典的な楽節構造ではなく、読み替えると動機反復による古典的な楽節構造を示していることが理解できる。

 

 

この曲に関しては古典的形式理解は困難である。また解説書を読んでも形式理解は様々である。私は以下のような見立てを採用する。

  1. 主題提示:主要主題の提示と3つの変奏(譜例9〜12)
  2. 主題展開(1):主要主題の展開(譜例13)と副主題(譜例14)
  3. 中間部:歌謡主題の出現(譜例15)
  4. 主題展開(2):主要主題の移調形の出現、及びその半音階的展開(譜例16)
  5. 主題再現:副主題の要素が主要主題にはめ込まれている。

譜例15:中間部の歌謡主題。

 

譜例16:主要主題の谷型の旋律線をたどりながらそれは半音音階のみで構成されているが、なだらかな感じを否定して、リズミカルな運動性を強調している。

以上はあくまでも一つの見立てでしかない。形式的理解を無理にするより、「エピソードの羅列」としてこの曲を理解する方がよい。分析によって関係性はたしかに浮き彫りになるが、意外な出会いの魅力、瞬間の魅力をたのしんだ方がこの曲に本質に迫れそうな気がする。

瞬間の魅力を引き出すためにこの曲は音色がじつに多彩でそれぞれが魅力的だ。それを実行する管弦楽の特徴として以下を指摘することができる。

  • ハープの多用
  • 音色としての弦楽のトレモロ
  • 弦楽の細かい分奏(divisi)
  • 木管楽器個々の音色の強調

クロード・ドビュッシー(1862-1918):

交響詩「海

作曲:1903年〜05年。初演:1905年10月15日、パリ、カミュ・シュヴィヤール指揮のラムルー管弦楽団

この曲には「3つの交響的描写」という副題がついており、さらに第1楽章「海上の夜明けから正午まで」、第2楽章「波の戯れ」、第3楽章「風と海の対話」という楽章ごとの標題も添えられている。自身も凝った曲名をつけることで知られる作曲家エリック・サティは第1楽章について「自分はこの楽章全体が気に入ってはいるが、とくに11時15分前の場面が好きだ」と皮肉った。

この曲は海から、特に海を題材にした絵画 — そこには葛飾北斎や安藤広重の海の風景画(図3)も含まれる — から霊感を得ているが、海を音楽で描写することを目的とした音楽ではない。音楽自体の自立性を意図した作品である。楽曲の規模や表現幅の大きさ、楽章間の主題の関連性などを考慮すると、「交響曲」といってよいほどである。

葛飾北斎《神奈川沖浪裏》

第1楽章は夜明けを思い起こさせる5音階の上行音型がゆったりしたテンポで現れる。やがて弦楽器と木管楽器の細かい音型によるさざ波を思わせるような音楽が現れる。それが一段落すると弦楽合奏によってうねる波を象徴するかのような音楽に変わる。そこでは波の強弱が音楽の表情の変化となり、最後は波そのものの動きにフォーカスするかのように盛り上がって終わる。

第2楽章はスケルツォ的性格を持つ。海面に映る光がすばやく移り変わって戯れるさまを、絶えず細かく変化してやまない音楽が暗示する。そのために全体的に断片的、瞬間的、色彩的である。その点においてこの楽章が曲全体の中ではもっとも「印象派」的である。

第3楽章の音楽素材は第1楽章から取られたものが多く、そのため作品全体として循環形式のイメージを聴く者に与える。この楽章の多くの部分では伴奏音型の執拗な反復によってひとつの楽想が持続し、盛り上がり、「フィナーレ」として聴く者を興奮させる。まさに「交響曲」を思わせる。