基本情報

アントン・ウェーベルン(1883-1945)は20世紀前半に作曲活動を展開したオーストリアの作曲家。12音技法の創始者アーノルド・シェーンベルク(1874-1951)に作曲を師事し、師を含め同門の作曲家アルバン・ベルク(1885-1935)とともに新ウィーン楽派と呼ばれ、20世紀の「現代音楽」を拓いた作曲家の一人である。ベルクが12音技法を用いながらも調性的なニュアンスを否定しなかったのに対して、ウェーベルンは調性音楽の歴史が築き上げてきた音楽基礎構造を全否定するような方向に進み、第2次大戦後の作曲家世代(ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンなど)に大きな影響を与えた。

ウエーベルンの《弦楽四重奏のための6つのバガテル》作品9(Sechs Bagatellen für Streichquartett Op.9)は1913年の作品。バガテルとは「つまらぬもの」というほどの意味である。そこから転じて音楽においては「ちっぽけなもの」という意味で器楽小品の名として用いられる。ベートーベンにもバガテルと題された作品がある。

ウェーベルンのこの作品の演奏時間は、6楽章の合計で、わずか約4分と非常に短い。曲の短さから言えば、文字通りの「ちっぽけさ」であるが、こうした短さに対して、シェーンベルクはこの曲の出版楽譜の序文に「一篇の長編小説をたった一つの身振り、ひとつの幸福を一息の呼吸で表現すること。これほどの集中性は、一言も愚痴をもらさないような精神にのみ、見出される」そして「これらの小曲は、音は、ただ音を通じてのみ言えることだけしか表現できない、ということを信じる者にしか理解できまい」と述べている。いわば最大級の賛辞を贈っているのである。この賛辞の裏づけは一体何か。不注意な耳が聴くと、この作品はとてもこの賛辞とは縁のないように感じられる。

論述の視点

《6つのバガテル》は弦楽四重奏という単一音色的編成にもかかわらず、様々な種類の奏法の混在によって、音色の変化が著しい。音色の変化が著しいために、音の連なりにまとまりを感じることが難しい。また、旋律線としてまとまりを以って聴こえるところも、きわめて断片化されたものとしてしかとらえられない。

音高構造に関しては、継起的にも同時的にも常に短2度・長7度の音程をとらえることができる。したがって響きは非協和的で、半音階的で、調性感を思い起こさせることはまったくない。

リズム構造に関しては、リタルダンドやアッチェレランドの多用や、連符の多用、また音型反復がほとんどないことなどによって、拍節感を感じることも出来ず、したがって構造としてのリズムをとらえることもほとんどできない。

この曲は、表面的には、音が無秩序に並んでいるようだ。しかし少し注意深くこの曲を聴くと、そこに音の配置の「妙」が見えてくる。それは決して楽譜上の「目の作業」ではなく、音が醸し出すエネルギーに気付くことができる鋭敏な耳がとらえた「妙」である。

そこで、音の配置がどのように「妙」であるのかを、この作品の第1楽章を詳細に分析することによって探ってみる。

分析その1、概観

第1楽章は;

  • 第1部 第1小節1拍目–第5小節1拍目前まで、
  • 第2部 第5小節1拍目–第8小節2拍目前まで、
  • 第3部 第8小節1拍目後半–終止線まで、

の3つの部分に大きく分けることができる(譜例1:クリックすると拡大)。

 譜例1

第1部と第2部の区切りは、第1部の終わりのリタルダンドとその後の八分休符の沈黙によって明確である。第2部と第3部の区切りには沈黙によって分けられるような明確なものはないが、音域と音色の著しい段差が区切りを感じさせる。

3つの部分は、音強、音型、速度感において差異があり、そのことで区分を感じることができる。音強においては、第1部が弱音、第2部が強音(始まりのみ弱音であるが、すぐにクレシェンドして強音に)、第3部が弱音(そのはじまりこそ強音であるが、ディミヌエンドして弱音に)という差異がある。音型においては、第1部が上行音型と下行音型の対応による山型、及び第2部が下行音型、第3部が音型として認識し得るものは山型という差異がある。速度感の点では、第1部が四分音符=60からリタルダンド、第2部が四分音符=60から96へのアッチェレランド、第3部が四分音符=60から44へのリタルダンドという差異がある。

この差異のありようを考えると、3つの部分をA-B-A’の三部分形式的原理に適合したものととらえることが可能である。つまりこの楽章には古典的形式感との親近性を感じることができる。(表1)

表1

第1部 第2部 第3部
小節 1|1 –5|1前まで 5|1 –8|2前まで 8|1|後 – 終止線まで
音強 弱音 強音 弱音
音型 山型 下行型 山型
主となる速度 60 96 60
形式部分

なお、第1部はさらに3小節3拍目で2つに区分される。多声で展開されてきた音楽がここで急に単声になることで区切りができるからである。また第3部も第9小節2拍目後半でさらに2つに区分される。短い沈黙によって区切りができ、速度が変化し、連続する2音間の音強に段差があることも区切りを目立たせる。

分析その2、素材

この楽章の場合、音型は、同一声部内での、同一音色による、休符を伴わない複数の音の連なりから成り、休符で以ってその前後の音からは分断されることによって、認識される。複数の音の連なりは複数の音高であることが多く、旋律線として認識される。通常の弓の奏法によることが多く、ほとんど旋律線はスラーが付されていて、旋律線であることを強調している。

弓の奏法によるもので旋律線を構成しない音として、孤立した持続音がある。この持続音には、通常の弓の奏法、弦のハーモニックス奏法、弓を駒の近くで擦る奏法の3種類がある。なお、ここでの持続音は、スタッカート奏法やピッチカート奏法などによる音を短く途切れさせることを意図していない音を便宜的に指している。決して「長い音」だけを意味しているわけではない。なお、複数の声部間で持続音が継起的に連続した場合、ゆるやかな結合による旋律線として聴こえるようなことがある。

旋律線を構成しないスタッカート奏法やピッチカート奏法による音は、孤立した短音である。

孤立した持続音の変種として、トレモロ、2音によるトレモロ、音型化した2音の連続反復を認めることができる。これにも通常の弓の奏法、弦のハーモニックス奏法、弓を駒の近くで擦る奏法の3種類がある。

この楽章には重音(一つの楽器が2つ以上の音高を同時に鳴らす)が登場する。特に2つの楽器が同時に重音を鳴らして4重音を作るところが3ヶ所もある。重音では個々の音高は全体の中に埋没し目立たなくなり、音型との対比をなし、背景としての役割を担う。重音には孤立した持続音と、2種の重音がスラーで旋律線のように連続するものとがある。重音が連続する場合にも、旋律線としてよりも、音色の異なる持続音が連続したような意味付けで聴こえてくる。

重音には通常の弓の奏法以外にピッチカート奏法によるものもあり、ピッチカート奏法によるものは孤立した短音である。

素材を整理すれば以下(表2)のようになる:

表2

奏 法 ・ 素 材 通常奏法 ハーモニックス 駒の近く ピッチカート
旋律線(音型) × ×
持続音(複数声部間で旋律線) ×
持続音の変種(トレモロ、2音トレモロ、音型連続反復) ×
短音 × × ×
重音 × ×

5種類の素材(旋律線、持続音、持続音の変種、短音、重音)と、それが音になる際の奏法(通常の弓の奏法、弦のハーモニックス奏法、弓を駒の近くで擦る奏法、ピッチカート奏法)との関係が明示されている。

分析その3、細部

第1楽章の第1部第1区分は第1小節1拍目から第3小節3拍目前までである。この区分自体はさらに2つの下位区分から成る。

最初の下位区分は上行型の「ゆるやかな結合による旋律線」である。旋律線とみなすことで、単声構造である。

第2小節1拍目からの第2下位区分は、前の第1下位区分を反復するかのように第2ヴァイオリンの上行音型ではじまる。この上行音型を第1ヴァイオリンの下行音型が受ける。二つ合わせて山型の旋律線を形成する。上行による緊張感を下行が解消するという関係で、山形の旋律線はそれ自体でまとまりを形づくる。第2下位区分は多声構造である。ヴィオラは音型化した2音の連続反復を担当する。これは持続音の変種であり、他の声部の旋律線の対比として、旋律線を浮き上がらせる。チェロの下行音型は第1ヴァイオリンの下行音型を念押しして、この下位区分のまとまりを支える。

第1部第2区分は第3小節3拍目から第5小節1拍目前までである。単声と伴奏という構造である。チェロの上行音型があり、それを反復するかのようにヴィオラが跳躍上行をする。ヴィオラはその後に下行し、山型の旋律線を形づくる。しかし下行の音程は小さく、この区分は、上行のまま開かれた状態で終わる。この状態が第2部の下行音型の連続を誘発する。なお、第4小節3拍目の第2ヴァイオリンとチェロの重音は句読点のように作用し、リタルダンドの効果とあいまって、第1部のまとまりを演出する。

第2部は第5小節1拍目から第8小節2拍目までである。音(持続音や持続音の変種)を順次増やしていってクレッシェンド的効果を狙い、第6小節1拍目のヴィオラのスフォルツァンドの出現を促す。このヴィオラの下行音型に触発されて第1ヴァイオリンのフォルテの3音から成る下行音型が導かれる。チェロの上行音型を除いて、この部分は下行音型が支配的であり、この前後の部分との大きな違いを見せる。下行音型の連続はストレット効果を生み、激しく(heftig)と指示された表情を演出し、この曲のクライマックスを形づくる。このクライマックスは、第1ヴァイオリンの音程幅の狭い、ほとんど音程のユレに近い、山型音型によって治められる。

第3部第1区分は第8小節1拍目後半から第9小節2拍目前半までである。第2部の終わりと重なってはじまる。第2部での激しい表情の余韻を引きずるかのように、ヴィオラのトレモロ奏法による持続音の変種がアクセントを伴って成りはじめる。それを受けてチェロのハーモニックス音が出現する。この音は反復され、同音反復による停滞感をつくる。この停滞感で第2部の激しさを消して、終結に導く。なお、ヴィオラからチェロへの、さらに第2ヴァイオリンの高音の持続音の連なりを、「ゆるやかな結合による旋律線」とみなすことができる。この場合、谷型の旋律線を形づくる。

こうみなすことによって、第3部第2区分,第9小節2拍目後半からの第2ヴァイリンによる山型の旋律線が谷型との対比ということでとらえられ、その出現の必然性を確認することができる。この後、その山型の旋律線との対比で、第9小節3拍目からヴィオラ→チェロ→ヴィオラの連続で「ゆるやかな結合による旋律線」を確認することもできる。いずれにせよ、リタルダンドされて到達した遅い速度とディミヌエンドで到達した最弱音とがもたらすフェイド・アウト感が、この楽章を違和感なく閉じさせる。

分析結果の考察とまとめ

不注意な耳が聴くととりとめなく聞こえる音の集合に対して,ウェーベルンが意図したであろう音楽の形を浮かび上がらせることを目指して分析を試みた。分析の用語として,旋律線や音型,持続声部,反復などといった古典的な音楽構造を読み解く際に用いるものがほとんど無意識的に使われている。集中して聴くと,まさに古典的な音楽形式に還元して聴くことができるのである。

しかし“還元”しているのであって,そのものではない。このところにこの作品の新しさがある。逆にとりとめなさに焦点を当てて聴くことも可能であり,古典的な音楽形式とは縁のない音楽構造を浮かび上がらせることも出来る。

ウェーベルンが,彼の死の直後,第2次世界大戦が終了してヨーロッパにブーレーズやシュトックハウゼンなどの若い前衛作曲家によって「新しい音楽」の出発点として高く評価されたのは,とりとめなく聞こえる音の集合と,そこに古典的な音楽形式とは縁のない音楽構造が潜んでいたからである。ウェーベルンはこの《バガテル》の後,十二音技法を用いるようになって,古典的な音楽形式とは縁のない音楽構造をもつ音楽の創造に邁進していくのである。

(2010年4月、九州大学芸術工学部音響設計学科「音楽理論表現演習」テキスト)