はじめに

4月20日(金)アクロス福岡シンフォニーホールでの九州交響楽団第366回定期公演で上演されるブルックナー《交響曲第5番変ロ長調》(ノヴァーク版)の聴きどころを紹介する。指揮は九州交響楽団音楽監督の小泉和裕氏。

私は九響プレイベント「目からウロコ!?のクラシック講座」の担当者であり、この記事は3月23日の「目からウロコ!?のクラシック講座」でのレクチャーでの口述内容に加筆したものである。ただし自由に個人的な視点で加筆しているので、内容に関する一切の責任は執筆者たる私にある。(なお、譜例はクリックすると拡大表示される。)

アントン・ブルックナー(1824-1896)は交響曲の大作曲家として、クラシックファンならその名を誰もが知っている。しかし私が音楽会に通い始めた半世紀前には日本のプロの交響楽団の公演においては聴く機会はほとんどなかったし、音楽雑誌のレコード評特集などでの作曲家別記事として紹介されることもごくわずかだったような気がする。それがいつ頃からかクラシックのレパートリーとして当然のようにクラシックファンの間で語られるようになった。それまでドイツ音楽の三大Bというのは、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスだったのだが、いつ頃からか三大Bとしてブラームスの代わりにブルックナーを入れる評論家なども現れだした。

私の印象ではブルックナーほどその愛好者と非愛好者とがはっきりと二分される作曲家はいない。他の作曲家に関してもある程度はそうなのではあるが、ブルックナーの場合、非愛好者が愛好者に変わる率がきわめて低いような気がする。その理由として考えられるのは以下のようなことである。

  • ブルックナーの交響曲は、その長大さ故に、他の作曲家の名曲に比べ聴く機会が少ない
  • ブルックナーの交響曲は、その複雑ゆえに、半端な気持ちではついていけない
  • いずれのブルックナーの交響曲も互いによく似ていて個別の曲の特徴がつかみにくく、なじみの曲をつくりにくい

そこで愛好者になるコツのようなものを、私の経験に基づいて伝授(?)できればと思う。本稿の構成は以下の通りである。

  1. ブルックナー基礎知識
  2. ブルックナーの交響曲の概略
  3. ブルックナーの交響曲の特徴
  4. ブルックナー交響曲第5番に顕れた特徴

なお、論述の対象は交響曲第5番であるが、愛好者になるコツについてはブルックナーのいずれの交響曲にも適応可能なものである。

1.ブルックナー基礎知識

1.1.ブルックナー同時代の作曲家

ブルックナー(1826-1896)と同じ時代を生きた主な作曲家として以下の名前を挙げることができる。

  • ベートーヴェン(1770-1827)
  • ワーグナー (1813-1883)
  • ブルックナー(1824-1896)
  • ブラームス (1833-1897)
  • チャイコフスキー (1840-1893)
  • ドヴォルザーク(1841-1904)
  • マーラー (1860-1911)
  • R.シュトラウス (1864-1949)

ブルックナーの生まれた1824年はベートーベンが最後の交響曲第9番を作曲した年である。ベートーヴェンはブルックナーの祖父世代にあたる。ワーグナーは約一回り上、ブラームスは約一回り下である。ヨーロッパでは干支がないのでやや奇妙な視点だが、一回り(12年)違うというのは同世代ではないということを示している。だからブルックナーは前の世代の偉大な作曲家としてワーグナーを深く尊敬することができた。その点ではブラームスはブルックナーをまったくそうは見ていなかった。対等かそれ以下の意識であり、このことは当時のブルックナーへの世間一般からの評価がさほど高くないことを想像させる。

1.2.略年譜

ブルックナーは1824年にリンツ近郊の寒村アンスフェルデンに小学校長兼オルガニストの息子として生まれた。オルガンを学び、小学校教員の免許を取り、父親と同じように教員兼オルガニストとして働き始めた。

1855年(31歳)にリンツ大聖堂のオルガニストになり、生活の場をリンツに変えた。リンツはオーストリア第3の都市で、ブルックナーはリンツではじめて本格的な管弦楽曲を聴くことが出来た。作曲理論を徹底的に勉強し、そのため自由作曲はほとんど行うことがなかった。ようやく30代後半から作曲活動を本格化させた。

1868年(44歳)にウィーン音楽院(楽友協会音楽院) 教授となりウィーンに移り住み、その後1896年の(72歳)の死までウィーンで生活をした。なお、音楽院は1891年(67歳)で辞めている。

彼の作品は、教会のための音楽と、わずかな室内楽を除いてはすべて交響曲である。

1.3.不器用で矛盾に満ちた人生

ブルックナーの生涯を見ていて気付くいくつかの特徴として以下のようなことがあげられる。

  • 長すぎる修業期間:自由作曲を禁じ、ひたすら伝統的な作曲理論を複数の教師の下で勉強をした。ようやく40歳頃から本格的に自由作曲を開始した。
  • 生涯独身:けっして女性嫌いであったわけではなく、年齢差のある若い女性への独りよがりの求婚を何度かおこなっていたようだ。
  • 自信の欠如:自由作曲以前の作曲理論の長期にわたる勉強は、単なる謙虚さの顕れだけとは言えないだろう。本格的な作曲活動が始まってからも他者の評価に非常に敏感で、それに影響されて何度も改作しており、それがブルックナーの作品楽譜の複数の版による混乱のもとになっている。また作曲理論の勉強において課程ごとの修了免状を大切にしていたり、教授になってからもたびたび博士号(分野的に名誉博士でしかない)を申請するなど、肩書きへの執着は自信の欠如とも関係していたようだ。
  • 頻繁な改作:大雑把に言えば、原典版、作曲者自身による改訂、弟子・友人による版訂、原典版を肯定したハース版、ハース版の不備を訂正したノヴァーク版と、複数の版が存在する。いずれも頻繁な改作の結果である。今日ではノヴァーク版を用いるのが一般的なようだ。

なお、ブルックナーはワーグナーへの敬愛を表明したために、ワーグナーとは芸術観で対立していたウイーン在住の大物音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックとの間に確執があった。ハンスリックはなかなかブルックナーの作品を認めず、結果として生前のブルックナーはウィーンでのその交響曲の上演機会にそれほど恵まれたわけではなかった。 

2.ブルックナーの交響曲の概略

2.1.ブルックナーの交響曲

ブルックナーは最後の未完の作品を含めて11曲の交響曲を作曲している。以下の表では彼の交響曲作曲のペースを知るために作曲年は初稿完成年を記している。

初稿完成年 初演年 演奏時間
ヘ短調 1863(39歳) 1925 45分
第1番ハ短調 1866(42歳) 1868 50分
第0番ニ短調 1869(45歳) 1925 45分
第2番ハ短調 1972(48歳) 1873 60分
第3番ニ短調 1873(49歳) 1877 55分
第4番変ホ長調 1874(50歳) 1881 65分
第5番変ロ長調 1876(52歳) 1894 75分
第6番イ長調 1881(59歳) 1899 55分
第7番ホ長調 1883(59歳) 1884 65分
第8番ハ短調 1887(63歳) 1892 80分
第9番ニ短調 1896(72歳)未完 1903 57分

第5番から第6番の間の作曲年が離れているが、他は大体2〜3年間隔のペースで交響曲を作曲している。初演は作品完成後にいずれも数年を要している。これはブルックナーが管弦楽団や鑑賞団体、政府行政機関からの依頼で作曲したのではなく、あくまでも個人としての表現欲求にしたがったためである。ブルックナーは給与生活者であったためそのことが可能だったのだ。しかし完成後にすぐに初演されないという状況は作曲者にとっては相当つらいものであったことは想像に難くない。

2.2.ブルックナーはなぜ難しいか?

愛好者にとっては「ブルックナーはなぜ難しいか?」という問いは不要だろう。かつて難しいと感じていた私にとってはこの問いは話題に足るものだ。

難しいと感じていた原因は以下のようなものだ。

  • 長大すぎる:オペラや標題音楽であれば物語にそって音楽を理解することも出来るが、ある一定以上の演奏時間を要する絶対音楽においてはその構成などを理解しながら聴くのは難しい。
  • 形式の把握が困難:古典的形式に基づいてはいるが規模が大きく、古典派や前期ロマン派、新古典主義の作曲家の作品と同じようには形式を把握できない。特に第一楽章のソナタ形式においては通常2つの主題が、ブルックナーには3つある。
  • 表面的な首尾一貫性が希薄:以下のような現象が音楽の中に起こると、ぼんやり聞いていると音楽の進行がいきなり停止したり、大きく飛躍したように感じ、音楽の流れが断絶したように感じる。
  • 唐突な全休止:曲中に1小節全体が無音になる
  • 表情の大きな落差:音強、音域、楽器編成などが急に変化する。
  • ユニゾンの唐突な挿入:多声部がいきなり単声部に変わる。あるいはその逆
  • ゼクエンツの意味づけが困難:反復進行の素材や反復進行の挿入位置の唐突さ
  • 転調の複雑さ:ソルミゼーションが困難で、旋律が把握しずらい。

吉田秀和はこのことを次のように書いている。後半では聴くことの難しさが魅力に転換する可能性について暗示されている。

  • 「単に量的に長大だというだけでなく、非常に展望の利きにくい、そうして意外な進行の頻発するものにしたのだが、これは言いかえれば、ベートーヴェンのように論旨が首尾一貫して透徹し、ダイナミックのうえでも全体をがっちりした遠近法の配置を予定したうえで進めてゆくのと違って、思わぬところでわき道したり、意外なところで聴く者の魂を奪わずにおかぬ澄みきった恍惚の響きを聴かせたり、あるいは聴衆の肺腑をえぐるような壮大な爆発を引き起こしたりしたということだ」(『吉田秀和作曲家論集1』音楽之友社、2001、p013) 

2.3.ブルックナー交響曲の実態

ブルックナーの交響曲を分析的にとらえていくと次のような実態が浮かび上がってくる。

  • モチーフ操作を駆使した大規模楽曲:ベートーヴェンの器楽作品からの影響が顕著で、その大規模化した第9交響曲《合唱》の影響下にある。
  • 幅広い表現力を可能にする管弦楽法と半音階和声:ワーグナーからの影響が顕著。
  • 執拗な反復(ゼクエンツ)の効果:ゼクエンツは静的な反復ではなく、反復の度に音高が移動していき漸次増大あるいは漸次縮小の効果をもたらす。漸次増大の到達点としての全奏は聴く者を忘我の状態に導くことさえある。
  • 激越な音量の変化:音栓の組み合わせで音量(+音色)を変えるオルガンに奏者として馴染んできた経験が影響している。
  • オルゲルプンクトの多用:ペダルによって持続音を鳴らすことに馴染んだオルガン奏者としての経験が影響している。ただし持続音はオルガンのように低音域に重点が置かれているものばかりではない。
  • フーガ技法の多用:学習時代のバッハ体験(バッハの作品が教材)に基づいている。そして教会付きオルガン奏者として礼拝時にフーガの即興演奏を行ってきた経験が影響している。
  • 礼拝としての音楽:30歳以前のブルックナーにとっては音楽体験の場はもっぱら教会であった。ホールと教会の機構的類似性も影響して、音楽演奏鑑賞の場と教会での礼拝の場とは心情的に近しいものであったのではないか。
3.ブルックナー交響曲の特徴

ここでこれまでに述べたことも勘案してブルックナーの交響曲全体の特徴をここでまとめておく。これは筆者の独自の見解というよりも、ごく普通に語られていること(例えば『作曲家別名曲解説ライブラリー5、ブルックナー』音楽之友社、1993、pp.13-17)であり、それに多少付け加えたものである。

  • ブルックナー開始:弦楽器の弱音のトレモロの持続音の上に、主題が弱音の管楽器によって霧の中から浮かび上がるかのように姿を現す。
  • ブルックナー休止:音楽の流れの中に全終止が挟み込まれ、あたかも音楽の流れが断ち切られた感じを与える。多くの場合、この休止がはさまれる前後に大きな表情の落差がある。
  • 大きな表情の差:ブルックナー休止をはさむことなく、それが存在するのと同様の大きな表情の落差をもたらす。
  • ブルックナー・ユニゾン:多くの場合全楽器によってフォルティッシモで奏され、旋律線を強調する。
  • ブルックナー・ゼクエンツ(反復進行):多くの場合、繰り返しの度にモチーフの音高が2度ずつ上がり、盛り上がりをつくる。
  • 持続する全奏(tutti):ゼクエンツの頂点として全楽器がフォルティッシモで持続音やモチーフ反復などをある程度の時間奏する。
  • 激しい性格のスケルツォ:優美さとは縁のない農民舞曲や狩人、兵士の舞曲が第3楽章がスケルツォ楽章として設定されることが多い。ただし第8、第9交響曲は第2楽章に設定されている。
  • 壮麗なフィナーレ:最終楽章として第4楽章が盛り上がりの頂点を形成する。
  • 盛り上がりの頂点での終止:最終楽章が曲全体のクライマックスとして盛り上がり、一番の頂点を形成して曲が終わることが多い。
4.交響曲第5番変ロ長調

4.1.作曲初演

  • 作曲:1875.2.14~1876.5.16 改正:1877.5.16~1878.1.14
  • 初演:1894.4.9、グラーツ

4.2.楽章構成

  • 第1楽章:アダージョ ー アレグロ 21分
  • 第2楽章:アダージョ 17分
  • 第3楽章:スケルツォ 13分
  • 第4楽章:アダージョ ー アレグロモデラート 24分
  • 伝統的な4楽章制交響曲の楽章構成

4.3.第1楽章

ブルックナーの交響曲としてはめずらしく序奏があり(譜例1)、ブルックナー開始ではない。ただしppによる開始はブルックナー開始と同様の趣がある。その後に分散和音によるffによる楽句(分散和音主題:譜例2)が現れる。その直後の金管合奏によるffによるコラール風楽句が現れる。はじめて聴くとffの分散和音主題のいきなりの出現の意外さに戸惑う。主題の位置づけが理解できないからである。→(コツの1)表面的な連続性をその瞬間に無理に理解しようとせずともよい。

 譜例1:序奏主題

 譜例2:分散和音主題

 

主部は大規模ソナタ形式で、提示部 ー 展開部 ー 再現部から成る。ただし大規模すぎてソナタ形式として把握は困難である。ブルックナーの交響曲によくみられるように、提示部には3つの主題があり、それが順次出現するが、主題を含む部分が大規模で主題提示というよりそれ自体が独立した曲のように聞こえる。→(コツの2)形式を把握しようとするより、連続して演奏される複数の曲とみなして聴く。

第1主題(譜例3)はブルックナー開始によって現れる。分かりやすい主題で、その後もffで強調され、耳に刻みこまれる。

 譜例3:第1主題

 

第2主題(譜例4)は雰囲気がまったく変わり、弦楽器のピッチカートによるコラールである。やがてこのコラールを伴奏に半音階変化に富んだ旋律が出現する。

 譜例4:第2主題

 

第3主題(譜例5)は流れるような歌謡風主題である。シューベルトとの近縁性を感じる。オーストリアの風土や民族性に関連しているように思う。→(コツの3)シューベルトの歌曲にどこか似ている歌謡主題をそのまま積極的に受け入れる。その存在の違和感を幅広い表現としてたのしむ。

 譜例5:第3主題

 

この主題が自由に発展していき、主題の伴奏低声部から派生した音型をモチーフにしたゼクエンツを形成し、その頂点でブルックナー・ユニゾンが現れる(譜例6)。→(コツの4)ゼクエンツがはじまるとその後に来る頂点(ブルックナー・ユニゾンであることが多い)を期待する。

 譜例6:ゼクエンツからブルックナーユニゾンへ

 

展開部においては第1主題(既出譜例3)がモチーフ操作の主対象となることが多い。284小節からは第1主題がその反転型(譜例7)と分散和音主題(既出譜例2)の反転型と絡んで展開される(譜例8)。(コツの5)→主題を覚え、その出現のタイミングとその出現の際の変奏(展開)の様子に耳をそばだてる。

 譜例7

 譜例8

 

展開部から再現部に移行の際、ゼクエンツから盛り上がり、その頂点で第1主題が出現する(譜例9)。ゼクエンツのモチーフは第1主題から得ている。(コツの6)→ゼクエンツを構成するモチーフの出所を想像する。

 譜例9

 

4.5.第2楽章

A-B-A’-B’-A”という形式。

A主題は弦のピッチカートによる4小節の旋律が現れる(譜例10、下声部)。この旋律は二分音符を3つに分割する連符。この4小節がそのまま繰り返されるときに二分音符を2つに分割したリズムにもとづく旋律がオーボエによって現れる(譜例10、上声部)。この二種類の旋律の絡みが拍子感をきわめて曖昧にする。

 譜例10

 

B主題は弦楽器による四声体のコラールの最上声部(譜例11)。それ自体、きわめて味わい深い音楽であるが、A主題との対比を意識するとさらに味わい深くなっている。まるで良質の映画音楽のようである。(コツの7)→ブルックナーの曲は大規模であるので、時々そうした中にきわめて情緒纏綿たる楽想が出現する。情景をイメージしながらその情緒に耽溺すればよい。

 譜例11

 

4.6.第3楽章

スケルツォ楽章である。主要主題は第2楽章のAの主題に基づく。(コツの8)→同じ音楽素材の「現れの違い」に気付くと素材への馴染み感が醸成される。

 譜例12

 

トリオのメロディは序奏主題(譜例1)の反転型である(譜例13)。(コツの9)→楽譜上の分析結果を知ることは音楽を聴く際の必須ではまったくない。しかしこうした仕組みを理解することも音楽を聴くたのしみの一つではある。

 譜例13

 

4.7.第4楽章

この楽章の序奏においてはすでにこれまで登場した序奏主題、第1楽章第1主題、第2楽章A主題、第3楽章第2主題などが次々と登場する。まるでベートヴェン第9交響曲の終楽章のようである。

序奏のあとにソナタ形式の主部がはじまる。ブルックナーのソナタ形式に基づいて3つの主題がある。

第1主題はフーガ風に展開される。主題の中のオクターブ跳躍下行、オクターブの跳躍上行を含んでいる(譜例14)。フーガは主題の提示の後に、複数のパートが次々とその主題を模倣していくことで音楽を形成する。主題がパートを増やして演奏されることで、音楽に空間的な拡がりを感じさせる。その点で壮麗なフィナーレを演出するには最適の技法である。(コツの10)→音楽を空間的イメージ関連づけて聴くことは邪道でもなんでもなく、自然にイメージできるものはそれを受け入れるべきだ。

この主題の重要な素材は、四分音符によるオクターブの跳躍上下行音型と、付点八分音符と十六分音符による弾むようなリズムによる音型である。

 譜例14

 

第3主題(譜例15)はオクターブ跳躍下行を含む点で第1主題と共通する。この主題は弦楽器の情熱的な音階運動を主体とした激しいイメージの楽句の上に展開される。

 譜例15

 

展開部の最初は金管によってコラールが提示された後に、そのコラールを主題にしたフーガが静かに続く(譜例16)。特にその直前の第3主題との対比によって静けさが際立つ。

 譜例16

 

やがてこのコラール主題によるフーガに第1主題によるフーガがからみ規模の大きな二重フーガが展開され、盛り上がる。このあたりのブルックナーの作曲技法の卓越性はみごとなものである。

コーダにおいてもフーガ的身振りによって力強く音楽が展開され、それはfffで全楽器で延々と4分近くも続く。第1楽章第1主題のモチーフも随所に登場する。図1は第4楽章全体の波形図であるが、曲の終わり4分近くにfffで大音量が聴かれることがわかるであろう。

 図1

フーガという空間の拡がりを感じさせる技法によって、全楽器が大音量で空間を満たす様子は、心理的のみならず生理的快感をもたらすと言ってよい。大聖堂を大合唱で満たす礼拝と同じ感動をそこで得ると言ったら、カトリックへの冒瀆になるのだろうか。(コツの11)→大音量の管弦楽の延々と続く全奏がもたらす生理的快感にためらいもなく身を浸してもよい。