芦屋市立美術館での「小杉武久 音楽のピクニック」(2017年12月9日〜2018年2月12日)を見る。会場ではエレクトロニクスを用いた小杉の極小音量のサウンドインスタレーション作品の展示の他、書籍や写真、公演ポスター・パンフレットなどによってこれまでの活動が詳細に紹介されていた。また会期中に、映像に記録された彼の活動が4回にわたって上映紹介された。その中で私が見ることができたのは「プログラム4:マースカニングハム舞踊団」(上映時間3時間以上)のみ。他に「プログラム1:小杉武久 演奏記録」「プログラム2:現代美術との関わり」「プログラム3:PR映画・記録映画・科学映画」が上映された。日程的に観る機会を逸した。会場で無料配布された「小杉武久の映像と音楽」における川崎弘二のすぐれた解説文によって興味をかきたてられただけに、非常に残念な思い(次の機会にはぜひ)。なおついでに言えば公式パンフレットにおける川崎の解説文もじつにすぐれたもので、この種の解説文にありがちな難解な表現を用いずに、客観的視点によって小杉の表現世界に分かりやすく導いてくれる。

小杉武久はアメリカで作曲家ジョン・ケージや舞踊家のマース・カニングハムなどと長く一緒に仕事をしてきた音楽家である。いわゆる実験音楽の作曲家・演奏家と位置づけられ、即興演奏、ライブエレクトロニクス音楽、サウンドインスタレーションのキーワードで彼の活動をとらえることができる。活躍の主たる場所がアメリカであり、欧米の著名アーティストとの協同作業が多いせいで、この種の実験音楽家としてはめずらしいほどに現代音楽界にもその名前はよく知られている。過去、私は彼のライブエレクトロニクス音楽の日本での公演を数回鑑賞し、また20年以上昔になるが彼が音楽を担当したマースカニングハムの舞踊団の京都公演も鑑賞している。ディレイマシンを用いたヴァイオリンによる即興演奏を中心としたライブエレクトロニクス音楽は、私のような伝統的な現代音楽作曲家であっても非常に惹かれた。彼が音楽の構成原理を身につけており、音楽生成への鋭敏な感性を持っていることをあきらかに示すものだった。その上にさらに構成原理のようなものを打ち壊さなければ新しい美は開けないということを示すための実験的要素の導入であったことも私なりに理解できた。

今回の映像で観たマース・カニングハム舞踊団については、ダンサーたちの鍛えられた身体制御力と時間軸上に展開された舞踊造形美とに驚嘆した。これはもちろん即興などではあり得ない。計算し尽くされていると思った。そうした計算し尽くされた舞踊造形美のこわばりを壊すためにもノイズに満ち、拍節も存在しないような実験音楽的音響世界は絶対に必要。観る者はそれらの音響世界によって舞踊造形美に持続を組み立てることができる。日本にもマース・カニングハム的舞踊世界をめざす舞踊団もあるが、決定的に違うのは音楽のあり方なんだ、と今回の映像を観て確信した。ダンスに合わせているばかりの音楽では、舞踊造形美に拡がりふくらみが生じない。