重たくて悲しくて、しかし心に刻み込まれた映画『デトロイト』(キャスリン・ビグロー監督)。こうした映画が生まれたことは「救い」だ。「この映画の製作準備の中で最も貴重な体験は、不幸な事件を経験しながらも生き抜いてきた人々との時間を過ごせたことです」と監督は言う。

今から50年前のアメリカのデトロイトで起こった暴動を題材にした映画。この暴動時、私は高校生。そう思うと遠い昔の出来事ではない。映画では白人警官による黒人への信じがたいひどい暴行が描かれている。狙撃があったという思い込みによる過酷な取り調べ。その過程で複数の黒人を死に至らしめた。それは取り調べに名を借りたあきらかな殺人。しかし裁判では「取り調べ」という壁に守られて白人警官たちは無罪。南部から押し寄せてくる黒人労働者への白人警官たちの偏見と差別と嫌悪、そして恐怖心。当時の白人警官のほとんどがアイルランドなどのヨーロッパの貧しい地域から来た白人移民たちで、彼ら自身の鬱屈が黒人たちに向かう。これって、トランプを大統領に仕立てたのと同じ構図ではないか。

この映画の中心人物の一人ラリーはソウル・ミュージックのすぐれた歌手で、メジャー・デビュー寸前に暴動に巻き込まれ、容疑者にされ、警官から暴行を受け、さらには一緒にいた友人フレッドは警官によって殺された。このたった一夜の体験が彼をソウル・ミュージックの歌い手から教会のゴスペル歌手に変える。彼は世俗的な成功に背を向け、ひっそりと生きる。

歴史の闇に葬ってはならない事件がある。それらは二度と起きてはならない。他者のためにも自己のためにも。だからこそ事件の真実を知る必要がある。そうした製作者の思いがひしひしと伝わってきた映画であった。スタッフ・キャストの能力と気力、そして意思は並大抵ではない。