ES-16
《モニメカラ》ティンパニとヴァイオリン,クラリネットのための舞曲
Moni Mekhala Dances for Timpani, Violin and Clarinet

  • 【演奏時間】13分【委嘱】永野哲【作曲】2009.3【初演】2009.5, 福岡銀行本店大ホール, 永野哲ティンパニリサイタル, 永野哲, 荒川由美子, タラス・デムチシン
    【概要】舞踊の様式を借りて,カンボジアの雨乞いの儀式を象徴的に音楽化した作品.

作曲・初演

2009年3月に九州交響楽団を定年退職したティンパニ奏者の永野哲の退職記念に関するリサイタルのために委嘱を受け、作曲。初演は同年5月19日2009年5月18日福岡銀行大ホールでの「永野哲ティンバニリサイタル」において、永野本人とヴァイオリンの荒川友美子、クラリネットのタラス・デムチシンによって行われた。この初演時の演奏を収めたCD(「永野哲の世界Vol.2」TR-1002 TETSU NAGANO)が2016年に発売されてる。

初演時における作品解説

初演の際のプログラム冊子に以下のような解説文を書いた。

  • この作品はカンポジアの神話「レムソとモニメカラ」を題材にしています。カンポジアの伝説によると、雷や稲妻が起こるのは嵐を操る狂暴な悪魔レムソと水の女神モニメカラとの戦いからとされています。 最後にモニメカラが勝って雨をもたらします。こうした内容を自由な様式の舞曲として表現したものです。したがって同名のカンポジア伝統舞踊の音楽とは直接の関係はありません。しかし、ここ数年、カンボジアの伝統芸能にインスパイアされた作品を作曲し続けている私にとってカンポジアの伝統音楽が意識下で強烈に鳴り続けているのでしょう。作品は、Adagio – Moderato – Allegro molto – Andante – Allegroの5つの部分からなります。性格は相互に際立っていますが、基音から半音上行(曲冒頭はラからシのフラット)がウアモチーフ(原型となるモチーフ)として一貰して現れることで曲全体の統一を図っています。舞曲というものの、特定の舞を想定しているのではありません。ただ、楽想を整理するためには、舞曲という様式を意識することは作曲する上で非常に有効でした。九響のコンサートで、永野さんのティンバニが登場すると急に締まって聴こえてきた事をたびたび経験している私にとって、永野さんのティンパニを中心とした編成で作曲することはとても繕しいことであり、それこそ夢中になって作曲しました。モニメカラの力によって拍手の雨が降ることを願っています 。(2009年5月18日福岡銀行大ホール「永野哲ティンバニリサイタル」プログラム冊子より中村滋延・記)

以下にさらに詳細な解説を追加する。

題材としてのモニメカラ

ラーマヤナを題材にしたクメール芸能(クメール=文化を語る際のカンボジアの別名)に惹かれて何度かカンボジアを訪れている。その地では可能な限り舞踊や劇、影絵劇を鑑賞し、それらの練習場などを訪ねた。その中でモニメカラに題材を得た舞踊(元来は雨乞いの儀式として上演される舞踊)も鑑賞したことがあるらしいのだが、じつはあまり記憶に残っていない。モニメカラの話はラーマヤナのメインの物語とは関係しないと思っていたからだろう。

私は21世紀に入ってから2015年あたりまでラーマヤナからインスピレーションを得て創作してきた。その実態は音楽で物語を描くという標題音楽的な方向ではなく、筋書きの根幹や登場人物の性格や行動、在る特定の場面などが醸し出す雰囲気やイメージを着想のヒントとして作曲するという方向だ。私は一応アカデミックに西洋芸術音楽(クラシック)からその現在進行形としての“現代音楽”を勉強してきた身なので、どうしてもアカデミックな音楽構成法に縛られて着想してしまう。それは過去の音楽構成法のストックから着想法を引き出しているだけなのだ。ところがラーマヤナを題材とすることによって不思議とそうしたストックを利用することがない。自由に大胆に着想でき、発想を膨らませることができる。もちろん作曲作業に熱中しはじめると無意識に過去のストックを利用しているのだが、それは私の身体に染みついた音楽上の個性というべきものであって、これは否定すべきものではない。

ただ、ラーマヤナばかりを題材にしているとマンネリ化してきて着想を得にくくなる。そこでラーマヤナそのものからやや目先を変えて題材としたのが「モニメカラ」である。雨乞いの踊りなのだが、それが、嵐を操る狂暴な悪魔レムソと水の女神モニメカラの闘いという設定でなされることがインスピレーションを刺激した。

ここで断っておかなくてはならないのが、クメール芸能の中の音楽には直接の影響は受けていないということである。音楽も含めた芸能全体から着想を得ている。ただクメール音楽のヘテロフォニックな音響テクスチュアには無意識のうちに受けた影響があるかも知れない。

 (Moni Mekhala and Ream Eyso)

分析的視点による楽曲解説

モニメカラは闘いの様子を描くダイナミック(動的)な表情の踊りが中心となる舞曲である。しかしそうであってもオリジナルはゆったりとしたテンポの様式化された優雅な動きが主体のクメール舞踊なので、スタティック(静的)な印象も強い。私の《モニメカラ》の全体構成もダイナミックな表情ばかりではない。またラーマヤナもそうなのであるが、東南アジアの芸能の題材となる物語は敗者への優しいまなざしというのがあり、また男と女の闘いの物語は単なる闘いではなく性愛的な要素を時々顔をのぞかせる。だからダイナミックな表情を基調としながらもそれとは正反対のスタティックな表情の部分もあらわれ、多様性に富むような内容に《モニメカラ》はなっている。

構成は5部分から成る。(A)Adagioおそく – (B)Moderato中庸の速度 – (C)Allegro moltoたいへんおそく – (D)Andanteゆっくりあるく速度 – (E)Allegroはやく、と速度の面からは多様であり、表情の面からは、(A)ダイナミック – (B)スタティック – (C)ダイナミック – (D)スタティック – (E)ダイナミックとなっている。各部分ごとにその内容を示す。

(A)冒頭のA→B♭の半音上行がこの作品全体のウアモチーフ(Urmotiv原モチーフ)である。いわばこの曲の統一要素である。この部分ではこのウアモチーフの存在が強調される(譜例1a, 1b)。ウアモチーフの発展型としてクラリネットとヴァイオリンに分散和音と音階上行とが混じった音型がダイナミックな表情を現出する。

譜例1a)  (譜例1b)

(B)ここではウアモチーフはほとんど出現しない。跳躍音程の用いた上行・下行進行による音型が中心で、リズムも16分音符以上の細かい音符による楽句がほとんど登場しないので、ややのどかなイメージが現出する(譜例2)。闘いの前のウォーミング・アップのような感じで、相手の様子や出方を観察しているイメージを現出する。

(譜例2)

(C)まさに闘いのシーンである。ウアモチーフの徹底反復によってそれを現出する(譜例3)。アカデミックな音楽構成法に基づく発想ではあり得ない。モニメカラを題材とすることで得た楽想である。

(譜例3)

(D)ラーマヤナもそうであるが、クメール神話のモニメカラにおいても神にはみな前世があり、時々神の心の中で前世の出来事が蘇る。特に闘いが急に一段落した時などにそういう瞬間が訪れる。この部分はまさに闘いとは無縁の精神状態としての前世の蘇りを現出する。一定した精神状態ではないので、急に前後の流れを断ち切る異質な楽句も挿入されたりする(譜例4)。ここではウアモチーフはメロディの核となって現れる。

(譜例4)

(E)闘いの勝利と、それによってもたらされた降雨の喜びを現出する。ウアモチーフは速いテンポの中の細かいリズムを基調とした楽句(譜例5)となって、喜びの表情に一変する。

(譜例5)