2017年もあっという間に過ぎようとしている。自身の創作に関連する活動を中心にこの一年を振り返ってみる。

オペラ『ラーマヤナ』の作曲完成

2011年に1月に作曲途中の室内楽版を演奏会形式によって部分初演されたオペラ『ラーマヤナ』を、ようやく2017年5月初旬に完成させた。上演時間2時間半弱の3幕構成、二管編成オケのオペラである。管弦楽スコは700ページ弱。構想開始から約10年費やして完成させた。解説が本サイトのカテゴリー自作解説オペラ『ラーマヤナ』概要(解説1)に掲載されている。

オペラは徹頭徹尾19世紀の芸術である。そのことを踏まえて作曲としてはあえて時代遅れの芸術をつくろうと思った。しかし上演そのものとしては時代にそったものとして存在するはずだ。残念ながら今のところ上演のアテはない。たのしく歌えたのしく聴けるオペラだと思っているので、じっくり上演機会を模索するつもりだ。仮に私の死後の初演になってもよい覚悟だ。

宮沢賢治世界へのアプローチ開始

2001年以来、私の創作活動のモチーフの大半がインド起源の叙事詩「ラーマヤナ」であった。上記の自作解説にもその理由に触れている。とにかく南アジア・東南アジアの芸能や造形美術のモチーフの宝庫であり、それらは私の創作のための想像をかきたてた。

しかし20年近くそれに関わっていると、正直言って飽きてきた。そうした折りに宮沢賢治の世界に断片的に触れて心に引っかかるものがあった。学生時代に一時賢治に夢中になったことも思いだした。賢治はとてつもないファンタジーの持ち主で、その世界は常人の想像外の要素に満ちている。そうした世界に少しでも近づきたくて、5月と7月に2度賢治の故郷岩手(花巻と盛岡)を訪れた。

今のところ、まだ、何をモチーフにしてそれをどのように展開するかについてはよくわかっていない。時間的余裕もないので、わからないながらも思い切ってその世界の中に入っていこうと思っている。まずは宮沢賢治の詩による声を含む室内楽作品を来年前半のうちに書き上げるつもりだ。

旧作の改訂・浄書の断続的作業

1969年に最初の作品(習作を除く)を作曲初演した。大学1年生の時だ。それ以降じつに雑多なスタイルの作品を書き飛ばしてきた。福岡からの引っ越しの荷物の中にそうした古い時代の作品の楽譜手稿がたくさんあった。演奏されていないものもいくつかあった。このまま引きだしの奥に眠らせておくのが勿体なくて、時間をみつけては改訂するようになった。個人的感慨だけで価値を見いだしているだけかも知れないが、それでもかまわない。いずれも私にとってかけがいのない作品たちだ。(そのうちのいくつかは本サイトのBlogカテゴリー「作品解説」に執筆投稿している。)
この改訂作業はあと数年続く。最終的にはきちんと浄書してPDFファイルにて整理保存し、私の死後において私の作品を求める人があればすぐに対応できるようにしておきたい。

合唱の魅力に気付く

私には合唱曲が少ない。児童合唱用と女声合唱用にまとまった作品がある程度だ。歌ったことも聴いたこともあまりない。合唱曲自体が好きではなかったのかも知れない。

しかしそれがいわゆる「食わず嫌い」であったことが最近わかってきた。その契機のひとつは福岡の合唱指揮者の横田諭氏から新曲作曲と合唱用編曲の委嘱を受けたこと。そのためにやや本格的に合唱のことを調べはじめたことがきっかけになった。もうひとつは妻に誘われ、彼女の母校の関西学院大学のグリークラブのコンサートを聴いたことだ。その高度な演奏技術の男声合唱の迫力に圧倒された。

そしてその直後、京都の観世会館で「能」を鑑賞したのも大きな刺激になった。地謡の音楽的表現力とその迫力に圧倒されたのだ。地謡はまさに男声合唱。それが能役者の台詞や動きを際立たせ、劇を効果的に物語る重要な要素になっていることに気付いたのである。

宮沢賢治の童話を、能の要素を用いた合唱主体のオペラに仕立てた作品をつくりたいと妄想している。その前に単体の合唱曲を作って腕を磨いておこう。

九響プレイベント「目からウロコのクラシック講座」

昨年から続けている九州交響楽団定期公演の上演曲目解説を主体とした「目からウロコのクラシック講座」が今年も好評で、来年度も引き続き行うことになった。開催日時に制限があるため、受講できる環境にある人の数が限定されるのが難なのだが、諸事情でそれについての変更は難しそうだ。

来年度に向けての変更点は、全9回の講座のうち2回ほどは楽曲のピアノ連弾等の例示をメインにすることにした。いわば解説付きコンサートで、例示そのものを音楽としてもっと楽しんでもらうように考えている。コンサートであることを明確にするために、ワンコイン程度の入場料をいただき、時間も90分程度のものになる。

講座の中身をまとめて本にしたらどうかという提案をいただいている。そのつもりで、暇を見つけてはこれまでの講座の内容を文章化するように努めている。