2017年もあっという間に過ぎようとしている。何をしたか、何を感じ、何を考えたのかを自分なりに振り返ってみた。

戦争の記録・記憶

年明け早々にアニメ映画『この世界の片隅に』(片淵須直監督・脚本)を見たことがきっかけになって戦争のことを考えた一年だった。特に甚大な被害をもたらした先の大戦(アジア・太平洋戦争)のことを知ろうと思って自分なりにいろいろな本を読んだ。保坂正康『あの戦争は何だったのかー大人のための歴史教科書』(新潮新書)『昭和史のかたち』(岩波新書)、吉田裕『日本軍兵士』(中公新書)、山崎雅弘『戦前回帰』(Gakken)、白井聡『永続敗戦論』(atプラス叢書)、中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮選書)、等々。また終戦記念日(敗戦記念日)あたりに放送されたNHKの戦争ドキュメンタリーもすべて見た。

感じたのは先の大戦時の日本における非「理性」の蔓延。それを促進したのは暴力による言論統制。暴力はそれをなした方もなされた方も、ともに思考不全をもたらす。驚いたのは、太平洋戦争において日本軍がその終着点(何をもって勝ちとし、何をもって負けとするか)をまったく想定していなかったことだ。日本軍の死者の大半は大戦の帰趨が明らかになった1945年以降の死者だそうだ。それもいわゆる戦死ではなくて、餓死、病死、自決などが大半。

国民の生命財産を守るためには戦争やむなしという状況はあるとは思うが、負けると分かっている戦争を終着点のないままに国民に強いるのは完全に間違っている。歴史から学ぶことは、そのようなことを2度と繰り返してはならないという目的に向かって努力すること。

沖縄辺野古基地問題

日本の全面積の0.6%しかない沖縄に在日米軍基地の74%が集中しているのは異常である。国民の一部の人たちだけに多大な犠牲を強いる何の根拠があるのか。さらに人類の「生」にとってかけがえのない自然(特に沖縄の自然は全世界規模で貴重なものと言われている)を壊滅させてまで得るものに何があるのか。

「地政学上、沖縄に基地が集中するのはやむを得ない」と言う人がいる。対中国や対北朝鮮を想定しているのだろう。アメリカと同盟関係を結んでそれに対応しようとしているのだろう。しかしアメリカとの同盟関係の延長線上に何があるのか、それとの関係で中国との敵対関係の延長線上に何があるのか。国民の一部に過重な負担を押しつける前にそれを考え、その中身を丁寧に説明してほしい。「満州は日本の生命線」「米英蘭の戦争準備・反撃体制が整う前に資源を獲得せねばならない」というかけ声で戦争に突き進んでいった日本の過去をしっかりと認識して、これから先をどうするかを考えねばならない。思考停止は危険だ。

なお、沖縄基地反対運動の実際を知るべく、4月末、辺野古の米軍キャンプシュワブのゲート前での基地建設反対の座り込みに参加した。現実を見て、あらためて基地建設反対への思いが強くなってきた。その運動を卑怯な手を使って押さえつけようとする今の政権に怒りが込み上げてきた。口でいかなる理屈をこねようが、先の大戦の経緯結果に思いをいたすと、今の政権が「国民の生命財産」を守ろうとしているとはとても信じられない。

 

森友・加計問題の不正・不公正

今の政権のデタラメさが象徴的に露呈したのが今年発覚した森友・加計問題。時の政権中枢のために不正・不公正が行われた件である。不正・不公正はただその事柄だけではなく、多くの場合、それに絡んでとんでもない負の要素が付随することが問題なのだ。森友の場合は「戦前回帰を是とする偏向教育」、加計の場合は「日本の学術研究とそれに付随する高等教育の質の低下」である。また不正・不公正は芋づる式に連鎖していく。安倍首相を守るために周辺政治家と関係官僚は不正・不公正を働き、平気で嘘をつく。メディアは事実を伝えるという役目を放棄し、それに惑わされる国民を政権は心の中でバカに仕切っている。

だから「小さな問題だ」とか「いつまでこだわるのか」といってすませることの出来ることではない。機会あるごとにこの問題を考え、解決に向けてえ関わっていきたい。以下はそうした活動のほんの一例で、雑誌・新聞への投書である(左『週間金曜日』3月10日号、右『毎日新聞』6月15日朝刊)。

   

政治・政局:小池の凋落、立憲民主党

今年に入ってからの政局は、小池東京都知事を中心にまさに激変の一年だった。しかし中身のない激変だった。政治への関心をかきたてるようなことではまったくなく、政治家の劣化を感じさせるばかりだ(それは同時に有権者の劣化でもあるのだが)。

7月21日に私の地元高槻市で民進党(当時)辻元清美衆議院議員のパーティが催され、出席した。ここには近畿地区の大物民進党議員がこぞって参加し、代表になる前の前原誠司も辻元清美と挨拶の場で談笑していた。その時には民進党が希望の党と立憲民主党とに割れるなんて考えもしなかった。それにしても前原はひどかった。安倍の「モリカケ隠し解散」を突いて安倍一強体制を揺るがす絶好のチャンスだったのに、結局は的に塩を送ることになってしまった。それに比して枝野幸夫、立党の時の記者会見はじつによかった。いつも質問者を馬鹿にするようないい加減な答弁しかしない菅官房長官の会見との大きな相違。菅官房長官の会見は「国民の生命財産を守る」という気迫が欠如していることを比較して見せた。

民進党が割れた結果として立憲民主党が出来たのは上出来。滑り出し上々なので、応援していきたい。

今の安倍一強体制がさまざまな問題をかかえているので、私は地元出身の議員として辻元清美を一貫して応援している。立会演説のビラを配ったり、事務所でポスターのラベル貼りなどを手伝った。こうした応援活動も政治活動だと思っていて、これを通して政治について敏感になることができる。

今の政局において「野党がだらしない」という人が多いが、何よりもだらしないのは自民党議員だろう。あの安倍政権のでたらめさを平気で許している自民党政治家の知性、理性、感性はいったいどうなっているのだろうか。

世田谷区中学生への暴力事件

11月の大相撲開催中に横綱日馬富士の暴力問題が発覚した。他に報道すべき重要な問題があるのに、大相撲のことばかりを報道するメディア(特にテレビ)については情けない限り。ただ、この問題を通して唯一の収穫は、格闘技であっても「暴力は禁物」「理屈以前によくない」ということが世間の常識になりつつあることだ。

そう思うにつけ、今年8月下旬の世田谷区役所(知事、教育委員会)が関わった中学生によるコンサート会場におけるトランペット奏者の日野皓正の中学生に対する聴衆の面前における暴力事件がきわめて曖昧な形で決着したことはまことに腹立たしい。特に世田谷区長の保坂展人の対応はまったく腑に落ちない。これについては週間金曜日への投書(左写真)やブログ「保坂展人世田谷区長への意見具申」「日野皓正ビンタ事件をめぐる雑感:あるtwitter投稿への返信」(当サイトの投稿カテゴリー「世間」)にまとまったことを書いている。

世田谷区民を中心にこの問題を曖昧なままにしておかないという動きがあるそうだ。私も個人的に協力を求められているので、この問題についてはさらに関わることになりそうだ。