8月末に出版されたばかりの本。中島岳志の講演に感動して購入。

戦前の日本を牛耳っていた日本主義(天皇制全体主義国家の考え)に親鸞の教えがいかに関わっていたかについて書かれている。

中島は浄土真宗の信徒檀家ではないが親鸞の教えに深く帰依している。それゆえに「絶対他力」の親鸞の基本思想(=教え)が日本主義に絡めとられて太平洋戦争を推進する思想になぜ転向したのか、それを中島は知りたく思っている。

そこで明治以降、親鸞の教えに基づいて日本主義を鼓吹した三井甲之、蓑田胸喜、倉田百三、亀井勝一郎、吉川英治、暁烏敏などの著述や、その暁烏敏も参加した真宗教学懇談会の会議録を調査分析し、それらの転向の謎を明らかにする。

親鸞の教えをより深く理解し、信心をより確かなものにするという動機によって、その時代の真宗の暗部にもきちんとメスを入れようとする中島の態度は見上げたものだ。その真剣さは著書自体を強靱にし、さらに学術書であるにもかかわらず良質の推理小説を読むような興奮すら読者に与える。

高校生時代にあまりよく理解できないながらも熱心に読んだ倉田百三や亀井勝一郎が日本主義への転向者であったことに驚いた。また夫人の死去後すぐに知人女性と関係を持ったことを公に吐露し、それがまるで美談のように喧伝されていた名僧暁烏敏が、真宗教団を日本主義への転向させた際の中心人物であったことも意外であった。

結論として中島は、「絶対他力」という言葉で紹介される親鸞の思想と、人間の小賢しい思慮を超えた日本古来の「やまとごころ」との類似性を指摘する。それ故に「弥陀の本願」が「天皇の大御心」に接続する論理が生まれ、真宗教団が日本主義を肯定し戦争へ導いたと指摘する。

こうした経緯をきちんと理解し確認する努力を通してその時の過ちを乗り越えることができる。これに関して中島の仕事はきわめて誠実だ。

いずれにせよ、この種の過ちは宗教の問題だけとは限らない。何らかのボタンの掛け違いでひとつの思想の解釈があらぬ方向に行ってしまうことはしばしば起こる。そうしたことを防ぐために「これだけは気をつけろ」というようなものはないのだろうか。