保坂展人世田谷区長の下記の投稿に対して意見具申を行いました

日野皓正さん校長のドリームジャズバンド発表会をふりかえって

保坂展人世田谷区長殿
断片的なコメントは目にしておりましたが、まとまった保坂区長からのコメントをはじめて目にしました。日野皓正氏の児童虐待にも相当する暴力行為を問題だと指摘されている点については、当然のことです。ただ、継続を念頭に置かれているためか、暴力被害を受けた中学生やその親たちのコメントを紹介し、それに保坂区長が納得することで、結果としてはたいした問題ではないというトーンで全体のコメントが彩られているように感じました。

当該中学生とその親は、将来のことを考えると、日野氏や主催関係者(世田谷区教育委員会、区長、etc.)を非難抗議できないことは明らかです。それを保坂区長がそのまま受けとられているのは非常に残念です。中学生やその親たちの思いがどうであれ、公衆の面前でのあきらかな暴力行為であり、それを許してはなりません。あの事業を継続するか否かは、主催関係者が暴力行為の事実を重大に受けとめて、日野氏もそれを認めて謝罪し、真摯に反省の弁を述べて、はじめて継続の可否が問われるのではありませんか。今のままで進まれるのであれば、ずっとこれからも人々のあいだに疑念がくすぶり続けます。それでよいのでしょうか。(なお、念のために付け加えますと、私は日野氏を辞めさせろ、事業を継続するな、と闇雲に言っているわけではありません。)

日野氏が事件後にはじめて空港で記者団に問われたときの応答をご覧になられたでしょうか。日野氏は「叩いたのではなく、なでただけ」と答えました。保坂区長もそう思われていますか。「なでただけ」ということであれば、これほど騒がれているわけですから、そのことを映像などできちんと示すべきではないでしょうか。仮に「なでただけ」であったとしても、映像を見た者にとってはその状況も含めてあのシーンの衝撃は相当なものです。日野氏は被害中学生との親密な関係を弁明のように語っていました。教育の大義の下に問題なしと言いたいのでしょう。仮に彼が記者団への問いに対して殴ったことを認めてそれが教育のためであったと主張すれば、まだしも議論の余地はあるのです。しかし彼は「なでただけ」と発言し、問題を矮小化し、議論も封じてしまいました。卑怯な人です。

今回の事件を当事者間の問題として矮小化しようとする世間的な傾向がありますが、そうであってはならないと私はつよく思っています。教育の大義の下の児童虐待・暴力の問題ですから当事者間の問題だけではありません。特に公的色彩の強い事業の中での出来事であるだけに重要な問題です。

飛躍するようで申し訳ありませんが、日野氏の暴力を見ていて旧日本軍の内務班の暴力を思い起こしました(終戦記念日の前後に大戦のドキュメンタリー番組をよく見る機会がありましたので)。大義名分の下に暴力が許容され、暴力が暴力を生み、結局は大義の前に何も言えない雰囲気をつくり、インパール作戦のような滅茶苦茶な戦争にも問答無用で従わせることになってしまいました。暴力は自由の剥奪の象徴です。

本来、ジャズは自由をもっとも尊ぶアートではないのかと思います。それだけにあれは本来のジャズの姿だろうか、とさえ思います。私自身はジャズのことは詳しくありませんが、本来のジャズの姿ではないという意見は関係者から聞きます。しかし関係者は権威には面と向かって物が言えないようです。ここらあたり被害中学生や参加中学生、彼ら彼女たちの保護者も同じではないかと思ってしまいます。

社民党国会議員の時代から、世田谷区長になられてから、保坂さんの活動を評価してきました。保坂さんなら分かってくださるとの思いでこれを書きました。どうか慎重に対処してくださることを心より願います。