○○○○様

八幡謙介氏の当該blog日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみたの内容は、あなたが言うようにルサンチマンをぶつけているような内容ではありません。

今回の事件は公衆の面前での明らかな児童虐待です。これについて擁護するような発言がネットやテレビで出ることに危機感を覚えて、今回の事件をきちんと論理立てて、ジャズを知る立場から当該Blogの執筆者八幡氏は検証されています。その筆致も感情的にならず冷静です。日野皓正氏への言及も必要最小限に抑えています。

私も当該Blogの内容と同様の危機感を覚えています。児童虐待は犯罪です。本来なら現行犯の扱いをうける可能性すらあるものです。

残念ながら事業の主催関係者である世田谷教育委員会も保坂世田谷区長もこの件に関しては腰が引けています。「注意はしたが、これまで成果を上げてきたので、継続をお願いしたという」というような発言が区長からありました。https://togetter.com/li/1146524

事業の成果評価や事業の継続の是非について私は何も言いません。ただ、事業の主催関係者は、今回の件が公衆の面前での暴力あり児童虐待であることを明らかにし、日野皓正氏のきちんとした反省の弁を待って継続の是非を決定すべき、ということだけは言わねばなりません。

権威の前に、教育という大義の前に、暴力を許容することがあってはならない。この観点から私はこの問題に関心を寄せています。当事者間の話題ですまされることではけっしてないのです。

なお、八幡氏の当該ブロクは教育の方法やその成果(=教育論)を問題にしたものではありません。問題にしているのは公衆の面前での暴力あり児童虐待です。したがって下記のあなたの発言はまったくの筋違いです。

  • 要するに、「私は誰からも体罰を受けずにトップに立てました」もしくは「私の弟子は体罰を一切加えてないけどこんなに世界で活躍するミュージシャンになれました」という例を出さないと、机上の空論でしかないということです。

同じように下記の発言も筋違いです。当該ブログの内容を理解するための何の前提にもなりません。

  • ただ、この方は肝心の一点、なぜ自分より彼の方が世界で仕事できているのか?を分析していません。そこは大変気になります。

ルサンチマンについてのあなたの下記の発言は思い込みにしか過ぎません。

  • というわけで、そのblogのどこに説得力があるのか、よく分かりません。大成できなかった自分のルサンチマンをぶつけているようにさえ受け取れました。

たしかに世の中には成功した人にルサンチマンを抱く人はいるでしょう。あなた自身もそうなのだと、あなたの発言からも、想像せざるを得ません。その一方で、世間的な成功にとらわれずに生きている人や、世間的な成功に特に魅力を感じることがない人も、世の中にはいるのです(私が接している範囲ではけっこう多いという印象です)。芸術家や学者の中にもそういう人はいるのです。ついでに言えば、芸術の受け手側にも、権威や名声にとらわれることなく、よいモノを自らの目や耳で発見し、そのモノから深い精神的喜び、つまり芸術的感動を得ている人もけっこういるのです。

成功者に対して意見を言うとルサンチマンと捉えられてしまう、権威に対しては意見をいうと反発が怖いから遠慮する、などという雰囲気が蔓延してしまうのは世の中を不幸にします。本来、芸術はそういう雰囲気と一線を画すものであるはずです。

最後に付け加えます。事件後の日野氏に対する最初の記者会見を見て、私はがっかりしました。https://www.youtube.com/watch?v=IVbULtWTyno

記者にビンタをしたことを問われて日野氏は「叩いていない、軽くなでただけ」と答えました。明らかな嘘です。彼が暴力をふるったことを認めて、それでもなお教育における暴力の必要性を自らの言葉で訴えるならまだ議論の余地があるかも知れません。卑怯な人です。

また、記者が質問したことに対して日野氏は「こんなことをしているから日本の文化はダメになるんだよ」と言いました。「こんなこと」とは彼が起こした児童虐待事件を「問題にしてさわぐこと」を指しています。暴力が許容されなければだめになってしまうような文化だったら、そんな文化は日本には要りません。文化のためには暴力は必要だと日野氏が言うその文化とは、いったいどういうものなのでしょうか。